二話
家からさほど遠くもない森は、十分ほど歩けばたどり着いた。
「ここまで近づいたのははじめてね」
なぜ早く気がつかなかったのだろうか。もっと早く気づいていれば、こんなにも空腹を感じることはなかったかもしれない。
「さて、わたしのご飯ちゃん、待っててね」
トウィンカは舌なめずりをしながら、森の中へと入った。
森の中は思っていたより、木々や草花がうっそうと茂っており、少し歩きにくい。少し歩けば、きのこやウサギなどの小動物がいるかと思っていたが、なかなか見つからなかった。
「もう、この森はなにもないの!?」
お腹の減り具合が限界をこえるとこまできているトウィンカは、近くにあった木をいらいら解消のために蹴り飛ばそうと、足を大きく振りかぶった。
足は見事に木へ命中しするが、丈夫な木がへこむわけでもなく、トウィンカの足が犠牲となった。
――もう、なにするのよっ!
「え、あ、ご、ごめんなさい!」
痛い、と叫びたいのを押さえ、足をさすっていると木からいきなり声が聞こえた。反射神経のように、謝るがふと我に戻る。
「木って喋るっけ?」
蹴った木にぺたぺたと触ってみるが、喋る気配はまったくしない。
――わたしに、さわらないでよ
「え……?」
次は隣の木から聞こえてきた、と思ったが、違ったらしい。木々の間から人影が見えたからだ。木の影からそっと顔を出し、様子をうかがう。そこには後姿しか見えないため、よくはわからないが、紫色の長い髪を持つ女性を、柄の悪そうな男たち三人がかこっていた。どうみても、絡んでいるようにしかみえない。
「ほうってはおけないよね」
たとえお腹がすいていたとしても、だ。
トウィンカは古びたナイフとフライパンを両手に持って草をかきわけ、その場におどりでた。
「フライパンアタック!」
「はぁ? 誰だ、おめ……痛っ」
「正義の味方です」
少しえらそうに胸をそらしていいはる。
その場は少しの沈黙のあと、全員の呆れた視線がトウィンカに突き刺さった。
「ええと、……」
紫色の長髪の女性がトウィンカに何か話しかけようとするが、何をいったらいいのか迷っている様子で、言葉が続かない
「そこは素直にありがとうぐらい言ってよ! まあ、いいけどっ」
トウィンカはナイフを懐にしまい、空いた手で女性の手を掴むと男たちに背を向け、走った。男たちの怒声が聞こえてくるがそんなものは無視し、ひたすら元来た道を走る。
数十分ほど走り、家にたどり着くと女性を押し込んでトウィンカ自身も入り戸を閉めた。気配を探るように耳をすませる。幸い聞こえたのは鳥の鳴き声と、風が木の葉を揺らす音のみ。人の足音は一向に聞こえてはこなかった。
「とりあえずは、大丈夫みたいね」
なんとなく、額の汗をぬぐう仕草をしてみる。お腹がすいていても、人一倍体力のあるトウィンカにとってこれくらいの運動は汗をかくほどでもなかったので、本当にふりだけだ。しかしそれが良かったらしい。女性は口元に手をあて笑っていた。
「あなた、おかしな人ね」
「よくいわれます」
「…………」
「あの、そこはつっこんでくれると助かるんだけど」
コントのような会話をしたあと、二人は顔を見合わせて盛大に笑った。
しかしいつまでも、戸の前で座っているわけにもいかないので、部屋にあるイスをすすめる。お互いにイスに座ったところで、自己紹介をはじめた。
「さっきは助けてくれてありがとう。私はアリエ・ベルティ。アリエって呼んで」
「どういたしまして。私はトウィンカ・ミルキークォーツ。よかったらウィンって呼んで」
「わかったわ、ウィン。ねぇ、あなたってそれ地毛なの?」
いきなり髪のことを聞かれ、トウィンカは内心焦った。集落の人たちのようにアリエも自分のことを避けるかもしれないと思ったからだ。基本この国の髪色は様々だが、白という色は存在しない。老人になって白くなる以外は染料を使うしかその色にはなれない。
アリアが好きといってくれた、雪のように白い髪。それはトウィンカの自慢の髪ではあったが、こういった場面になると、アリアのように栗色の髪や目の前のアリエのような紫色の髪がうらやましく思えてくる。
どういったら、せっかく仲良くなったアリエとの関係を崩さずにいられるのかがわからず、言葉につまる。考えても、正直に話すしか方法はなかった。
「これは、ね。その、地毛なの」
おそるおそるアリエの顔を見上げる。アリエの表情は驚きに満ちていた。
(集落の人たちみたいにアリエも……)
そんな考えが頭をよぎる。
「ウィンっ!」
「はいぃっ」
アリエの声にびくっと肩をゆらす。はきはきとした口調に思わずかしこまった返事をしてしまった。
「その髪とても綺麗ね。地毛でその純白だなんてなんて羨ましい」
「そうだよね、きれ……、綺麗?」
思っていた言葉とは間逆の言葉に目をきょとんとしてしまう。アリエの目はトウィンカの髪に釘付けで、その目はアリアと同じような感情を映していた。
「うん、とても綺麗。雪のように真っ白で綺麗な髪はじめてみたわ」
言葉までもがアリアと同じだった。偶然なのだろうが、アリエの姿がアリアと重なってみえた。もちろんアリアとアリエは全く姿形が異なる。
目が熱く感じたと同時に、雫が頬を伝い零れ落ちる。
トウィンカは泣いていたのだ。
「え、ちょっ、どうしたの? 私、変なことをいっちゃった?」
アリエのあわてる姿が滲んだ視界に映る。
「うんん、違うの。嬉しかったの」
涙をぬぐいながら安心させるように、笑いかける。
「嬉しかった?」
「うん。アリエの姿がお母さんに重なって見えちゃって」
まだ会って一日もたっていない間柄なのに、どこか気を許せた。アリアと同じことを言ってくれたからかもしれない。
トウィンカは、アリアからもらった赤い結晶以外のことを話した。アリアが一週間前に亡くなったこと、集落での自分の立場。アリエはトウィンカの話を時折相槌を打ちながら最後まで聞いてくれた。何でも受け止めるように聞いてくれるアリエに感謝しながら、アリエに出会うきっかけになった理由まで話すと、アリエは考えこむように顎に手をあてた。
「つまり、トウィンカは働くことができなくて、生活に困ってるってことよね?」
まとめるとそういうことになる。トウィンカは気まずそうに頷くとアリエはわかった、と一人きらきら目を輝かせていた。
「あなた、私と一緒に王都で働かない? ちょうど、人手が不足してたのよ」
王都といえば、ナウラル国の中心部、ロビリィのことを言っているのだろう。ロビリィは自然に囲まれた美しい街と聞いたことがある。国で一番栄えた街で、物価もそれほど高くはなく、資源も豊か。料理も美味しいものがたくさんあり、人気の街だ。ロビリィで就職先を見つけるのは将来の夢だ、という者は結構多い。そのくらい就職希望者が大勢おり、倍率はとても高い。トウィンカにとっては夢のまた夢のようなことだ。
「でも、私この髪と目だし」
「大丈夫よ、ロビリィには染色する粉も売っているし、髪色を変えて楽しむ人も多いから誰も気にしないわ。あなたもここから出たくないって思っているわけではないんでしょう?」
アリエは一人、うんうんと頷く。
確かにこの家には、アリアと過ごしたたくさんの思い出があるが、アリアはトウィンカに何にも縛られることなく、好きに生きなさいと言っていた。アリアの気持ちを汲み取るならば、この集落を出るのも一つの手である。いつまででもここにいたら、森でも狩りが上手くいかなければ死しか道はないのだから。
「迷惑じゃない?」
「迷惑? そんなことあるわけないじゃない。私はウィンといて楽しいし、一緒に働けたら素敵だとも思っているもの! これは私から、助けてもらったお礼として受け取ってくれないかしら」
アリア以外にここまで好意を持ってくれる存在がいなかったからか、心がとても温かくなるのを感じた。トウィンカはイスから立ち上がり、アリエに頭を下げる。
「お願い、してもいいかな?」
「もちろんっ」
きゅるるぅー……。
お互いよろしく、と握手をしているとトウィンカのお腹が盛大に音を上げた。
「……まずは、ご飯ね」
「……はい」
いつになく空気を読まないお腹である。トウィンカとアリエは互いの顔を見て笑った。