二十六話
「ここ、は……」
頭が少しくらくらとする。目をゆっくりと開けると、石を組み合わせて作られた壁が最初に映る。四方向の壁にはろうそくが一本ずつかろうじてつけられている程度で薄暗い。窓は一つもなく、今が昼なのか夜なのかすらもわからない。
起き上がろうと体に力を入れるが、手足が何かに拘束されていて動かない。唯一自由な首を動かして手足を見ると、頑丈な鎖と手錠でベッドのような台に縛り付けられていた。どうやらトウィンカは、いかにも地下の実験室というような大きな部屋の中心にある台に寝かされていたらしい。
ろうそくの灯りしかないため。おぼろげにしか見えない部屋が不気味に見えてくる。トウィンカは言い知れない恐怖に襲われていた。早く逃げないと、早くここから出たい。そんな気持ちがトウィンカを急かす。
「外れてよ、外れてっ」
手足を無理矢理動かすが、外れてはくれない。手足が手錠と擦れて、皮膚がめくれたのか、ヒリヒリと痛い。
「こらこら、そんなことしたら駄目じゃないか」
「え?」
いきなり聞こえた声の方へ顔を向ける。
そこには、人が立っていた。先程までいなかったはずなのに、と驚きで目を見開けるが、もしかしたら気配をずっと消していて、今まで様子を窺っていたのかもしれない。ろうそくの灯りを背にしてこちらに向いているため、顔の部分が影になっていてどんな顔をしているのかが見えない。けれど声の低さからして、男性であることはわかった。
「君、ハーフドラゴンなんだろう? フラリスからそう聞いたよ」
フラリス、という名を聞いて攫われてしまった事実を突きつけられる。できれば夢であってほしかった。そして、攫われたのであれば、ここがナウラル国でないことが非常に高い。いつも馬鹿、といわれているトウィンカでも今がとても危険な状態であることはわかる。慎重に言葉を選びながら、そこにいる男性に話しかけた。
「ねぇ、ここはどこなの?」
「ん? ここ? 見てのとおり僕の実験場だよ」
「いやいや、そうじゃなくてここはどこの国かって聞いてるのよ」
「あぁ、そうなの?」
「うん、そうなの」
なんとも間抜けな会話だと心の中で呟いてしまう。
「ここは、君がいたナウラル国の隣国、ヴァラーズ国だよ」
当たってほしくない予想が見事にあたってしまった。
「そういえば、君名前なんていうの?」
「私の、名前? フラリスから聞いてないの?」
フラリスの仲間ならば、名前を知っていてもおかしくはない。
「聞いたけど、僕は君の口から聞きたいんだよ」
変な人。それが第一印象だった。
もう相手がトウィンカの名前を知っているなら、今名乗ったところで大して問題にはならない。トウィンカは相手の目があるであろう位置を睨みつけながら教えた。
「トウィンカ・ミルキークォーツ」
両親がトウィンカを想ってつけてくれた名前。そう思うと、こんな状況なのに、言葉を紡いだだけで勇気をもらえる気がした。
「うん、やっぱりいい名前だね」
「はい?」
「だからいい名前だねって言ってるの」
「え、あ、はい。ありがとう……?」
「どういたしまして」
敵だとは思えないほどのんびりとした口調に、平凡な会話。そのことに少し戸惑ってしまう。本当にこの人は敵なのだろうか、と疑問を持ったとき、男性は平然と驚きの言葉を口にした。
「ねぇ、君の体少しだけ切り刻ませてよ」
子供が親におねだりをするように、トウィンカに頼み込んでくる。
「切り刻ませてって……」
男性はトウィンカに自分のために死んでほしいといっているように聞こえる。
「大丈夫だって。ドラゴンの血を引いてるなら、切り刻んだところで死にはしないよ」
どこか確信を持つ言い方に疑問を覚えた。まるで何匹も殺しているような言い方だ。
「ドラゴンの鱗は硬く、普通の剣ならば容易く跳ね返す。けれどこの剣は違う」
男性は懐から小さな剣を取り出した。見る限り、装飾も何もついていないただの剣。しかし、目をひきつける何かがあった。
「この剣はね、死したドラゴンの鱗を剥ぎ取って何年もかけて作られたものなんだ。だからドラゴンの鱗だって簡単に引き裂く。もちろん擬態化しているドラゴンもね」
「なっ……」
世間話をするように話しているが、内容は恐ろしいものだった。全身の血が引くかのように、体が震えだす。
「大丈夫だから。安心して?」
剣はろうそくの光を鈍く反射して、不気味な色をしていた。薄暗いこの部屋でも存在感が嫌というほど伝わってくる。まるで吸血鬼のように血を吸って、今の色になったみたいだ。男性の手を借りて、赤黒い刃がトウィンカとの距離を少しずつ縮めてくる。
「嫌、だ。嫌っ」
「もう、子供みたいにわがまま言わないの」
「狂ってるっ」
「褒め言葉をどうも。ああ、そういえば自己紹介がまだだったね。僕の名前はクエスト。さて、どこからいこうか」
クエストは剣をトウィンカの腕にあて、にっこりと笑った。
「やっぱり、血液採取からだよね。死なないように腕にする僕に感謝してよ?」
剣先を腕に抉りこませるように引き裂く。見ているだけでも恐怖をあおるそれは、今まで感じたこともなかった痛みを伴わせた。
「いっ、あああああっ!」
声を上げずにはいられなかった。視界が血で染まったかのように、世界が赤で彩られる。
「ねぇ、なんでこれくらいで声を上げるの?」
その言葉には純粋な疑問しか感じられず、クエストに恐怖しか感じられなくなった。
歯を食いしばり、痛みを堪える。クエストを睨みつければ、クエストは嬉しそうに微笑んだ。
「そうそう、その調子だよ。よし、血液はこれくらいでいいかな」
試験管に溜まったトウィンカの血をうっとりと見ながら、試験管を倒れないよう剣とともに机にしっかりと置き、トウィンカの体を触りはじめる。
足のつま先、太もも、手首、頬と手つきは慎重だが、嫌悪感を覚えるには十分だった。鳥肌が立ち、身を捩じらせて触らせないようにするが鎖で繋がれているから結局逃げ道を失い、触られてしまう。あまりの気持ち悪さに吐き気がするが、吐けば負けたように思えて必死に我慢する。
しばらくして満足したのか、クエストはトウィンカの体から手を離し、机に置いていた剣を再び手に取る。
「つまらないな。普通の人間の体と同じに見える。質感も同様、やっぱりハーフドラゴンだからなのかな」
「だったら、解放してくれるわけ」
「しないよ。飽きたなら殺す。選択はそれだけだよ。もしここで解放して、この場所が人に知れ渡ったら面倒だし」
殺す、その言葉が耳に残る。死んだら、母の元へ行けるかもしれない。けれどそれではアリエとは複雑な関係のまま別れることになる。せっかく知り合ったサランやラルド、アルやホープとも会えなくなってしまう。
それだけは嫌だった。
アリエとは仲直りしたいし、ホープとは仲良くなると決めたのだ。途中で放棄なんてしたくない。
「私は殺されない」
「へえ。じゃ、試してみようか」
クエストは剣を振り上げ、心臓を突き刺そうとしていた。
「ああ、でも安心して。殺しても一応研究はしてあげるよ。そうだなあ、まず心臓を一突きで殺して、どれくらい生きているのか実験。死亡後、体を切断して、骨を取り出し研究するっていうのもいいな。あ、血肉はもしかしたら欲しがる人いるかもね?」
「嫌な趣味」
「勝手に言ってなよ」
影になって顔はよく見えないが、相手からはトウィンカの顔はしっかりと見えている。だったら睨むだけでもしてやろうとクエストを睨みつければ、視線があった。クエストの立ち位置が最初に対面したときより少しずれたところにあったから、顔の部分がろうそくの灯りによって顕わになったのだろう。長い髪を後ろにまとめ、眼鏡をかけている。眼鏡がろうそくの灯りを反射して眼鏡の奥は見えない。
刺されるのは怖い。体を抉られるときに感じた痛み以上の苦しみが待ち受けているのだろう。弱味を見せないように、と強がりな台詞を言って見せるが、クエストはにっこりと嫌な笑みを浮かべるのみだった。
「それじゃ、死になよ。バイバイ」
振り上げられていた剣が迷いもなくトウィンカの心臓がある部分に落ちていく。目を瞑りたい衝動に駆られたが、それをしたら負ける気がして、剣の行く先を追う。どうにかそれから逃げたくて、手足の手錠を外そうと必死にあがく。また皆に会うために、最後まであがくことを決めた。無情にも手錠は頑としてびくともしないが、剣がトウィンカを貫くその時まであがくことを止めない。時間の流れが緩やかになったかのように、剣がゆっくりとトウィンカに落とされる。たった数秒のことなのに、数分かけて落ちてくるように感じる。刺さるという瞬間、あがくトウィンカを抱え込むように何かが間に入り、剣が心臓に刺さることの邪魔をする。同時に一生聞きたくなかった音が耳に届く。血肉を貫く鈍い音だ。遅れて小さな呻き声と、鉄の臭いがトウィンカの鼻をかすめる。
その何か、は目をずっと開けていたからすぐに誰かわかった。
「血が、なんで、なんで、ここにいるのよ……ホープ」
トウィンカを許さないといつも睨みつけていたホープの姿がそこにあった。剣が腹から突き出し、痛みに耐えているホープの顔が目の前にある。
ホープはトウィンカのことが嫌いだったはず。なのになぜ、トウィンカをかばって刺されたのだろうか。
「なんで、か。ドラゴンは情が深い生き物。半分しかドラゴンの血が入っていないお前でも、死なせたくないって俺の中の血が騒ぐんだ」
痛いはずなのに、無理をしてトウィンカに笑ってみせる。見下した笑い以外、トウィンカはみたことがなかった。こんな時なのに、トウィンカのために笑ってくれる表情ははじめてだった。
ホープを刺したクエストは、ホープの体から剣を抜き、ついている血を造作もなくはらった。ホープはさすがドラゴンといった力で、トウィンカの体の動きを封じる鎖を紙をちぎるように壊し、トウィンカに覆いかぶさるように崩れ落ちた。トウィンカはあわてて受けとめ、自身が寝ていた台を明け渡し、傷に触らないよう注意してそっと寝かす。ホープの体からは、とまることなく血が流れ出てくる。トウィンカの着ていたネグリシェはすぐに赤く染まり、辺りには血が水溜りのようになっていた。
「ハーフドラゴンではなく、ドラゴンを手に入れられるとはなんてついてるんだ」
クエストはトウィンカに興味を無くしたかのように、ホープを輝いた目で見ている。
トウィンカはクエストの視界にホープを入れないよう、ホープとクエストの間に体を割り込ませる。
「どいてよ」
「どかない、どけ、ない」
クエストをホープに近付けたくない。その一心で地に足をつけて立っていた。
けれど心の中はぐちゃぐちゃだった。ホープが死んでしまうかもしれない。誰でもなく自分自身のせいで。ドラゴンは滅多なことでは死なないと言うが、これだけ血が流れれば。いくらドラゴンといえども死んでしまう可能性がある。
トウィンカはホープの血で真っ赤に染まった己の手を見る。それはまだ生暖かく、ぬるぬるとしていた。
「私の、せいで。私が、捕まらなければ……」
「お前の、せいじゃない」
後ろから絞り出すようにホープがトウィンカに声をかける。トウィンカはその声に振り向くことなく、首をふった。
「私のせい、だよ。私の、私のせいで……血が」
死んでしまったらどうしよう。そんな考えが心の中を埋め尽くす。
――……ィン、し……ろっ
誰かの声がトウィンカの頭に響いた。けれどその言葉はしっかりと届くことなく、トウィンカの心にも届くことがなかった。
台から滴り落ち、それが地面に広がっていく。それを見た瞬間、頭の中が赤色に染まる。赤は血の色。
それをホープから奪ったのは誰、だ。
「ホープが怪我した。私のせいで。だったら、だったら……そいつを殺せばいい」
心という弱いものは消して。己の体を強靭な肉体に変えて。本来持つ力で殺せばいい。心を無くせば、本能が目覚める。なぜかそれが頭の中に思い浮かぶ。トウィンカはそれに従うように心を闇の中へ沈める。白かった心は赤へ、赤く染まった心は暗闇にゆっくりと侵食されていくかのように、赤黒く染まっていった。




