九話
「さて、と。ほらホープ君も挨拶しなよ。君は竜騎士だからよく顔を合わせることになるんだし」
目の前にいるホープと呼ばれた失礼な男はドラゴンだったらしい。
トウィンカを一瞥するなり馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。
「なっ……」
これから仕える相手とはいえ、初対面で嫌い、許さないと訳のわからないことを言われた上に、今の態度だ。怒らない者などいないだろう。
けれどここで怒りに任せて、暴言を吐いたりすれば即刻解雇間違いない。明日のご飯代すらあやしいのに、それは勘弁被りたい。
そこでトウィンカは良い方法を思いつく。要は暴言を吐いたりせずに、穏便にかつ相手を不愉快に思わせればいいのだ。
「決めたわ。私、あなたと仲良くなる。あなたが私を好きになるように努力するわ。ふふっ、嫌いって言う相手を好きって言わせるって楽しそうだものね?」
それに嫌いとずっと思われているより、少しでも仲良くなった方が今後過ごしやすいだろう。口角を上げて嫌みな視線をホープに向ける。ホープは目を見開けたあと、不機嫌顕わにした。
「あー、楽しみ」
「……ウィンって意外と良い性格してるのね」
ぼそっと呟くアリエの声が聞えた気もするがここは聞えなかったことにしておこう。
ついでに近くで腹を抱えながら大笑いをしているアルも視界に入らなかったことにしておく。
「よろしく」
「……」
ホープに手を差し出すが、ホープはひと睨みしたあと顔をそらして竜騎士たちの棲む建物の中へと入っていってしまった。
トウィンカは差し出した手を見ながら、なんとなく手をひらひらと動かした。
「ま、ここからが本番ってことかな」
嫌いから始まるなら、嫌われる心配はいらない。好かれることだけを考えればいいのだ。それに、ホープはトウィンカの見た目で嫌っているわけではなさそうだ。見た目で避けたり、嫌われたりすることはよくあった。その場合はもうどうしようもない。けれど今回はトウィンカの知らない何かが原因で嫌われているだけなのだ。その原因をどうにか解明して好かれればいい。
そうポジティブな考えをアリエとアルに話せば、二人とも別々な表情を現した。
「さすがウィン。尊敬を通り越した前向きさね」
若干呆れた物言いだが、瞳はまるで年下の妹をみるように優しい。
アルはといえば、どこに笑うところがあるのか腹をかかえて笑っていた。
「君、本当に最高だよ。ふふ、はははっ」
「笑いすぎ、アルさん」
「さんはいらないよ、俺も君のことウィンちゃんって呼ぶことにしたから」
「はいはい」
「さて、笑わせてもらったことだし、俺はそろそろ行くとするよ。お仕事、頑張ってね」
猫のように気ままな人だなあと思いながら、手をひらひらと振ってホープの後を追うように竜騎士の建物内へ入っていく姿を見送った。
「なんかすごい人物にいきなり会っちゃったわね」
「そう?」
ホープはドラゴンでアルはおそらく貴族。普通に生活していれば滅多に会えない人物かもしれないが、城内では珍しいことではないと思う。
彼らは何か特別な存在なのだろうか。
首を傾げて、アリエを見ればアリエは考えるそぶりを見せたのち、なんでもないと首を振った。
「彼の正体はいずれわかるわよ。ずっとここで働いていればね。それに、彼らが言わなかったのだって何か理由があるかもだし」
独断で話すことはできない、とアリエはすまなさそうに笑い、トウィンカが彼の正体について知ることは当分先になりそうだ。それにアリエが暗に言う『彼』がどちらを指しているのかもわからない。興味がないといえば嘘になるが、今は仕事の方を優先したほうがいい。
機会があれば、知ることもできるだろう。
「ま、いいや。それよりもアリエ、お仕事教えてくれる?」
ずっとここでこうしているわけにはいかない。
アリエはトウィンカの言葉に頷くと、ホープやアルが入っていった扉を中へ足を進めた。
中に入ると最初に目に映ったのは、大きな玄関ホールだった。靴で本当に歩いていいのかと思わせるほどふわふわした赤い絨毯が隙間なく敷かれており、天井には堂々とシャンデリアが飾ってある。目線を前に戻せば、幅広い階段があり、途中から二手に分かれていた。王様が住む城の一角と言われて納得してしまうくらいだ。
「すごいでしょう?」
アリエもここに連れてこられたときはびっくりしたらしい。あいた口が塞がらないとはまさにこのことだ。
「びっくりした……」
「目の前に広がる階段は、竜騎士たちの部屋に繋がっているの。竜騎士メイドが階段を上がる時は竜騎士の誰かの許可をとっていないと上がれないから注意してね。私たちが働く場所は主に一階よ」
どうやら目の前の階段は中々上がることのできない階段らしい。
「もしかして、あそこ?」
玄関ホールを眺めていると、一つ目立たないように作られた部屋の扉が目に入った。
「そうよ、よく気付いたわね」
壁も扉も取っ手部分も全て白く遠目からはすごくわかりにくい。けれど、竜騎士や視力が特に優れている人はすぐに見つけることができるだろう。
「こう見えても視力だけはいいんだよね。あ、体力にも少し自信があるよ」
力こぶを服越しに作ってみせる。
「ウィンって意外に竜騎士メイド向きかも」
トウィンカの小さくできた力こぶうを触りながら、アリエは呟きをもらした。
「そう?」
「ええ。だって竜騎士と会っても媚びることなく堂々としてるし、メイドって基本力仕事だから向いてると思うのよ」
媚びる、なんて文字はトウィンカの辞書にはのっていない。それをしている自分の姿を想像してみるが、気持ち悪いだけだった。
媚びるくらいうだったら、力仕事を永遠していたほうが何倍もマシだ。
「ウィンってやっぱり変わってるって言われない?」
「え、どこが」
基本、母としかきちんとした会話をしたことがなかったから、そう言われてもわからない。自分自身普通だと思って今まで生きてきたがもしかして普通ではなかったのだろうか。
「自覚がないのはよくわかったわ。さ、行きましょうか」
アリエに急かされるように背を押され、扉の方へと向かった。扉の前に着くと、ノックもなしにアリエが中へと入っていく。
「ウィン、入って」
アリエに促されるように中へ入ると、そこには初めて顔を合わせる竜騎士メイドがいた。
ここにくる途中でアリエが言っていた人だろう。亜麻色の短髪に、アリエよりも色素の濃い、まるで闇夜のような瞳をしていた。
「はじめまして、フラリス・エクレットと申します」
第一印象は淑やかな女性だった。微笑んだり、挨拶をしたりする仕草一つ一つに上品さを感じられる。
「トウィンカ・ミルキークォーツです」
自己紹介を交わし、アリエとフラリスから早速仕事内容について聞く。
「仕事といっても、最初はそんなに気負わないでね」
フラリスはアリエやトウィンカよりも年上らしく、順序良く仕事内容を説明していく。説明もわかりやすく質問は、と聞かれないと即答してしまうほどだった。
「さて、三人になったことだし、仕事もがんばりますか」
アリエはトウィンカに目配せして嬉しそうに微笑む。トウィンカもアリエとこうして働けることが嬉しくて頷いた。
「じゃあ、トウィンカの研修も兼ねて一カ月くらいは二人で行動してね」
口元を手で隠し、フラリスはふふっと笑った。
「ありがとう、フラリス!」
「ありがとうございます」
アリエは大胆にも、フラリスに抱きつき、フラリスも驚きながら抱きしめ返していた。
トウィンカも先輩ということでなれない敬語ではあるものの、礼を述べる。
「では、いってらっしゃい」
「はーい、じゃあいきましょう。ウィン」
手を差し伸べてくれた手を握り返し、トウィンカたちは掃除道具を持って部屋をあとにした。




