覚悟
エバの脳裏に様々なことが浮かんでは消えていた。
ウィルを購入してから約一ヶ月。 ウィルは、エバの我がまま一つにも文句を言わずに、料理ばかりでなく、洗濯掃除などの家事もそつなくこなしてきた。 勿論仕事にも真面目に向き合っていて、銃弾が飛び交う中でも全く物怖じせずに事件を解決してきた。 それがマスターシェージの存在意義ではあるのだが、それ以上にエバが、ウィルには何か替えがたいものを感じていたのも事実だった。
そのウィルが居なくなる……。
「…………」
何も言えないエバの前で、ウィルは黙々とコンピューターを操作していた。 そしてレンドが持ってきたマスターシェージ専用の電磁脳波交換ヘッドフォンを頭にセットすると、レンドの隣に座った。
「大丈夫です。 このまま跳べます」
淡々と作業を続けようとするウィルに、レンドは満足気に指を鳴らしてコンピューターを操作し始めた。 その時、レンドの腕をぐいっとつかみ立たせたエバは、彼を引っ張りながら
「ちょっと来い!」
と部屋を出て行った。
「えー! ウィルの前で言えない話なのぉ~~?」
わざとらしく女々しい口調で言いながら付いて来るレンドの頭を容赦なく拳骨で叩き、エバはその痛みにしかめた顔に近寄った。
「ウィルの事、保障できるんだろうな!」
「保障、とは?」
からかうようににやけるレンドに、エバの頬がぴくりと動いた。
「保障できないんだったら、この依頼はナシだ!」
レンドはため息を付いて肩をすくめた。 そして、まるで困った奴だという顔で、エバの鼻先にぐいっと指先を押し付けた。
「いいか? ウィルはマスターシェージだ。 人間とは違う。 そういう基本的なことは分かってるね?」
「あ、ああ! 勿論だ!」
「じゃあ、マスターシェージがどういう存在かっていうことも、分かってるよね?」
「回りくどい言い方をするな! 何が言いたい?」
「マスターシェージは、人間が手を出せない作業もこなす。 それが仕事だからだ。 仕事が出来なきゃ、存在している意味も無い。 ウィルは今回、確かに初めての仕事だが……」
レンドはちらっとウィルの方に視線を移した。 コンピューターに向かって何かを打ち込んでいる。 作業に関して、必要な情報をインプットしているのだろう。 マスターシェージは、そういう知識もしっかりと頭の中にアップデートされている。
レンドは再びエバに視線を戻すと、試すような低い声を出した。
「自分の仕事を円滑に進める為、そして、自分の生活を豊かにする為に、大金をはたいて買ったんだろう?」
ドン!
エバがレンドの頬をかすめて、後ろの壁に手を付いた。 その音に気付いたウィルは、ぴくりと頭を上げたが、すぐに作業に移った。
「レンド、答えろ。 ウィルの保障は出来るんだな?」
エバの瞳が熱く揺れた。 レンドはふぅ、と息をつくと、エバの肩に手を置いた。
「ま、ウィルの力を信じてやれ」
そう言ってすり抜けるレンドに
「まて! 答えになってない!」
と強く引き止めたエバに振り向いたレンド。
「ウィルは、生まれた瞬間からキミのために命掛けて仕事してるんだ。 ボクが止めてもキミが止めても、もうやめないと思うよ」
レンドが親指で指し示す先には、すでに作業を終え、準備万端の様子でエバを待つウィルの姿があった。
エバは壁から離した手をぐっと握ると、ウィルに近づいた。
「ウィル……」
「準備が出来ました。 開始の指示を」
淡々と状況報告をするウィルの頭にポンと手を置くと、エバは念を込めるように目を閉じた。
「どうしましたか、エバ?」
しばらくして目を開けたエバを、抑揚の無い瞳で見上げるウィル。 エバは小さく息を吸った。
「いいか、絶対帰って来い」
エバの思いを込めた言葉に、ウィルは小さく首を傾げた。
「事件解決は必ず成功させます。 作業中の事故に関しては出来る限りの力を尽くしますが、もし万が一の場合があってもエバに迷惑は掛けません」
「帰って来い! これが命令だ!」
それだけ言うと、エバはウィルの頭から手を離してソファにどっかりと座った。 そして腕を組んで目をつむった。 その様子を見送ったウィルは、無表情でコンピューターに視線を向けた。 その横にレンドが座り、にこりと微笑んだ。
「よし、じゃ、やるか!」
「了解」
ウィルの指先がこ慣れた感じでコンピューターを操作し、画面には眩い幾何学的な模様がうごめき始めた。 そして幾つもの単語や専門用語が現れては消え始めると、レンドが作業を交代した。
「よし。 後はボクに任せて」
そう言って数秒後、ウィルの体がビクンと大きく跳ね、ソファに倒れこんだ。 慌ててエバがその背中に腕を通して支えた。 軽い重みが伝わり、頭ががくんと揺れた。 ウィルの身体は、どこにも力は入っていなかった。
「ウィル!」
「大丈夫だ! ウィルの意識が電波に乗ったんだ。 その体、しっかり守ってろよ!」
「レンド! ウィルになんかあったら、弁償だからな! 俺の三年分だぞ!」
「はいはい!」
レンドは、そんな軽い返事とは逆に、厳しい光を湛えた瞳で画面を見つめ、機敏で正確な操作で仕事を始めた。