ウィル、倒れる
エバが頬いっぱいにサラダを詰め込む様子を、ウィルは静かに見つめていた。
彼はそれに大した反応はせずに、一人黙々と食事を口にしている。
エバにとっては、ウィルは単なる仕事のパートナーであり、仕事に支障がなければ満足なのだ。
生活のことについては、放ったらかしにしていた。 ただ面倒くさかっただけだ。 なによりウィルは、何も言わなくても掃除や洗濯はしてくれるし、「腹が減った」と言えばすぐに食事の準備をしてくれる。 それ以上に、仕事も滞りなく解決させてくれる。
もしこれが、昔共に過ごした犬のウィルならば、ちゃんと散歩をしたり遊んでやったり、食べ物も気を使って栄養のあるものを与えていたのだろうが、自分で何でもこなせるマスターシェージには、そういう気配りや心配は要らないと考えていたのだ。
だが、真相は違っていた。
マスターシェージの体は超人的な力を発動する為に、それなりのスタミナと栄養を欲する。 つまり、食事や休息は、普通の人間の様に必要不可欠なのだ。
エバは、マスターシェージに関しては無知だった。
ウィルにとってのマスターはエバだ。 直接「食べるな」とは言われていないが、女性と外食が多いエバが居ない間に、勝手に食事を取るのは出来ないでいた。 他のマスターシェージなら、勝手に好きなものを食べる者もいるだろうが、ウィルに関しては、どこかエバに気を使っている所があったのだ。 それは多分、もともとの性格の性だろう。
やがてそのしわ寄せは、数日後の銃撃戦を収めている最中に現れた。
不意にウィルのバランスが崩れ、同時に流れ弾がウィルの腕に被弾したのだ。 そのままウィルの体は、もがくことなく二階のベランダから真っ逆さまに地面に落ちた。
「ウィルっ!」
驚いて駆け寄ったエバは、ウィルの体を抱き起こしてその顔を覗き込んだ。
「ウィル! おいっ! 目を開けろ!」
エバの必死の呼びかけにも応じず、ウィルは瞳を閉じたままで身体を揺さぶられるままにされるだけだった。
「マスターシェージが機能しなくなったって?」
エバに呼ばれた元相棒:レンドはたいして慌てた様子も無く、エバの事務所にやってきた。 手には大きめのアタッシュケースを持ち、紺色のシングルスーツを着て悠々と部屋に入って来た。 エバはソファに寝かせているウィルを指すと
「そうなんだ。 いきなりバランス崩して、腕に流れ弾も受けちまうしよ……せっかく大金はたいて買ったのに、もう使えないってことはねーよなぁ?」
エバは少し猫っ毛のカール茶髪を掻き乱しながら、困惑しきった顔でウィルを診るレンドを落ち着きなく見下ろしていた。
レンドはしばらくの間、倒れてから数時間経っても未だに眠ったように瞳を閉じているウィルの、まずは流れ弾を受けた腕の傷を手当てし、その後、脈拍や血液を採って様子を診た。
そして落ち着いた表情で金髪のストレートの前髪をくいっとかき上げ、透き通るような空色の瞳をエバへと向けた。
「コイツの状態、どうなんだよ? お前、マスターシェージのことは詳しいんだろ?」
「エバ……」
レンドは小さくため息をつくと、膝に手をついて立ち上がった。 そしてエバに振り向くと、ちょい、と指を動かしてエバを自分に近づけた。
「エバさ、ちゃんとご飯食べさせてる?」
「えっ?」
目を丸くするエバの様子で何やらを察知したレンドは、呆れたような表情で手を腰に当てた。
「あのさぁ、マスターシェージだってちゃんと生きてるんだ。 人間の様に、腹が減ったら食べるし、疲れたら眠る。 やっぱりエバには、マスターシェージなんて代物、手にするには器が小さかったみたいだね!」
落胆した声と共に肩をすくめ、レンドは再びしゃがんで、ウィルの腕の包帯を指すと
「こっちの傷は、たいしたことはなさそうだよ。 他も、打撲が少しある程度で、すぐに動けるようになると思う」
と、安心しな、と微笑んで見せた。 そんな言葉を聞きながら、エバは呆然と立ち尽くしていた。
レンドが多少の栄養剤の点滴を施して帰ったあと、しばらくすると、ウィルは目を覚ました。
ゆっくりと目を開けると、ブラウンの瞳が天井の照明を反射して眩しそうに再び目を細めた。 そしてすぐに我に返ったように、勢いよく起き上がった。
「私は……!」
「あほ!」
いきなりの言葉と頭を軽く叩かれた衝撃に、わずかにウィルの表情が驚いたように見えた。 ウィルの傍らには、椅子の背もたれを前に抱えるように座っているエバが居た。
「お前、俺に恥をかかせるな!」
「…………」
「腹が減ってんなら、そー言えば良いじゃねーか。 何を強がってんだよ?」
手にあごを乗せて口を尖らせるエバはあまり怒っている口調ではなかったが、ウィルは悲しげに目を伏せた。
「すみません……」
「なんで無理してた?」
「私は……マスターの居ない所で勝手に物事をすることが出来ません。 マスターが見ている前で、言われたことをするだけです」
「でも、その性で仕事に支障が出たぞ」
「はい……反省しています。 自己管理が出来ていませんでした」
まるで親に叱られている子供の様にうなだれるウィルに、エバは小さくため息をついた。
「よし! じゃあ、俺から指令を出す!」
「はい」
ウィルは顔を上げた。 その鼻先に指を差し出すと、言い聞かせるように言った。
「お前は人間と同じように過ごさなくちゃならないんだ。 それはお前も分かっているはずだ。 俺が言った言わないで、仕事に影響が出たら困る。 いいか? これからは、自分の体調に関してはお前が自分で考えろ。 仕事に関することだけは、俺の指示を待て。 いいな?」
ウィルはじっとエバの指先を見つめ、そして彼の顔を見つめると
「はい、分かりました。 マスター」
と答えた。 それを聞いて、エバは困惑したように髪の毛をかき上げた。
「あのさ、その【マスター】っていうの、やめてくんないか? 他で聞かれたら面倒くさいことになりそうだから、あー……エバって呼んでくれればいいから」
「はい、エバ」
ウィルは素直に繰り返した。 それはまるで犬のように従順な、まっすぐな瞳だった。