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人造人間とカスミソウ  作者: 天猫紅楼
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ウィル

 エバ・マイトソンが買ったマスターシェージという人造人間は、全うに生きている人間には全く必要の無いものだ。

 世界が進化と革命を繰り返し、利便とスピード、そして文明の利器を手にしてからというもの、世の中には幸福と不幸が色濃くなった。

 一番の間違いは、【人間の代わり】を生み出したことだった。

 それが人造人間……すなわち、マスターシェージである。

 両親というものはなく、言うならば親は科学者だろう。 遺伝子操作で研究所の試験管の中に生まれ、何百種類もの薬で育てられた。

 あくまでも人間として社会に適合させなくてはならないため、痛み、苦しさなどの感覚もあるが、感情は欠落している。

【人間が命令した通りに行動し任務を遂行する】

 それが、マスターシェージの存在意義なのだ。 彼らにとって余計な感情は生きる妨げになる為に、最初から感情を埋め込むことはしないことが、暗黙の規則となっていた。

 

 マスターシェージが発明されたのは、つい十年程前のことだ。

 元は、国や政府の警護や戦場に赴く兵士といった、危険な任務に付かせる為に開発されたものだったが、一部の裏切り者によってその情報が流出。 裏での取引がされるようになった。 そこまでの時間は、そう長く掛かることは無かった。 模倣というもの程、広まるのが早いものはないのだ。

 マスターシェージは、運動能力が異常に高い。

 跳躍力、持久力、機敏さなどに加え、タイプによっては聴覚や視覚など、特定の能力が強調される場合もある。 たいしたトレーニングをしなくても、保てる筋力と精神力。 全てにおいて人間を超え、人間を守るに相応しいモノだった。

 それと同時に、使う人間によっては犯罪にも利用出来るということだ。

 世の中に出てしまえば、その能力を出さなければ普通の人間と全く見分けがつかない。

 国もそれを摘発する術はなく、世の中は、表では平静を保ちながら、裏では混沌としていた。

 密かに裏社会にマスターシェージが広まるにつれ、凶悪な犯罪が右肩上がりになっていた。

 そこで表社会では、余計にマスターシェージの需要も高くなる。 そんな負のスパイラルが、競演するようにぐるぐると螺旋を描いていた。

 

 まだ幸運なことに、マスターシェージたちはマスター(買った人)の声にしか反応をしない。 命令されたことに対して自分で考えることはできても、それをむやみ勝手に行動に移すことが出来ないようにプログラミングされている。

 それは科学者が打った最後の砦のつもりだったが、正義にとっても悪にとっても、富を産むことになった。

 

 

 

 ひとりで探偵業を営むエバもまた、必要にかられて貯金を崩してマスターシェージを手に入れることにしたのだった。

 ただ、国家権力を持たない一庶民に、マスターシェージは手に入れることは出来ない。 その存在自体、無きモノとなっているからだ。 どんなにネット社会が発達しているとはいえ、マスターシェージの情報は何十にも重ねられた保護機関とネットパトロールによって、厳重にマークされ、その一片とて流出することは無いのだ。

 そんな一庶民エバがマスターシェージを購入出来たのは、元警察官という経歴を持っているからだった。 かつて相棒だったレンド・フォリスンという男が、エバに紹介をした。 このレンドという男、警察の中の【秘密処理部】に籍を置き、普通の事件に関わる仕事をしながらも、自分も研究所を構えてマスターシェージについて研究を続けている。 警察の中ではマスターシェージを製造及び売買していないため、あくまで一般には秘密裏にマスターシェージを売買している場所を紹介したのだった。

 

 

 

 デパートを出て、エバは自分の横につかず離れずぴったりとついてくるマスターシェージに尋ねた。

「お前、名前は?」

 マスターシェージはくりっとした黒い瞳をエバに向けると、静かに無機質な声を返した。

「決めてください」

「お、俺が?」

 エバは動揺した。 ペットの名前さえ決めたことの無い自分が、いきなり人の名前を決めるなんて……。

 彼は何かヒントを探すように、マスターシェージの上から下までを眺めた。

 茶色のフワッとした膝までの長ブーツに黒いタイツ、ピンクのミニスカートに白いパーカー。 そのフードに通されている毛糸の先には、白いボンボンが付いている。

「ボン……」

 言いかけたエバは言葉を飲み込んだ。 【ボン】はさすがに怒られそうだ。

「うーん……ピンク……ミンク……ミルク……モモ……」

 視線を泳がせながら必死に考えるエバに、マスターシェージは小さく笑ったように見えた。

 その瞳の様子が、幼い頃飼っていた犬を思い出させた。

【ウィル】と名付けられた、細身の肢体を持ったシェパード犬で、強い【意志】を持った最高のパートナーだった。 あの頃はウィルさえいれば、何も怖くなかった――

 

「ウィル……そうだ、ウィルにしよう。 お前はウィル。 いいな?」

 犬の名前だったものを流用したことは言わないでおこうと思いながら、エバが

「決定!」

と人差し指を立てると、ウィルと名付けられた少女型マスターシェージはわずかに微笑んで頷いた。

「ウィル……了解しました」

 そして少し外ハネ気味の、元気の良さを表すような肩までの黒髪を揺らして、くるっと回った。

 エバは一仕事終わったかのように息をついて、頭をひと掻きした。

 それを見たウィルは機敏に振り返ると、スタスタと歩き始めた。

「では仕事に向かいます」

「こら待て! 事務所の場所なんて、知ってんのかよ?」

 エバは慌ててウィルの小さな背中を追った。

 後ろ姿などは、まだ十代の少女そのものだ。 このマスターシェージに、果たして自分の仕事の助手が務まるのかと、一抹の不安がエバの脳裏をよぎった。

 

 

 ウィルと共に事務所につくと、まずエバは一通りの生活について説明した。 なにしろ、ウィルがどこまで【人間の生活】を知っているかどうかも皆無なのだ。

 しかしそんな心配をよそに、ウィルは何でもすぐに覚え、そつなくこなした。

 ウィルの話に寄ると、どうやら眠りながら色々な社会の規則や言語、一通りの基本的な計算の仕方や歴史などは脳に埋め込まれているらしい。

 眠りながら勉強を覚えられるなんて、まるで、毎晩の様に眠い目をこすってフラフラになりながら机にかじりつき、合格したと思ったら、体力と精神の限界まで特訓に明け暮れていた自分がアホらしいではないかと、エバは心の奥でがっくりと肩を落とした。

 目を覚ましたら、すでに人間として出来上がっているのだから。

 そんなことを普通の人間が知ったら、生きる気力さえ無くしてしまうんじゃないかと懸念しながら、沈み込むように革張りの自分の椅子に座ると、机上に山と積まれたファイルを見た。

 エバの元には以前から、レンドからの【いち警官には手に負えない事件】が湯水の様に流れてきている。

【いち警官には手に負えない】とは、【人間の手には負えない】ということだ。

 エバ自身もこの事件が解決出来るようになれば、もっと稼ぐことが出来るし、同時に生活も楽になる。 そう思い立って、レンドの助言も相まって、多額の金を払ってマスターシェージを購入したのだった。

 彼の中では、ウィルがいくら【人間の様】だったとしても、【モノ】として扱うつもりで居た。

 今まで彼にとってのマスターシェージは、犯罪を犯す加担者だった。 警察官時代、そのあやふやな存在意義に議論が耐えなかった。 加担者でもあり被害者でもあると悲観視する者も少なくは無かったからだ。 だがエバの中では、仕事を余計に増やし、より複雑にし、まるで自分たちをあざ笑うかのような立ち振る舞いをする【異端者】でしかなかった。

『それが今じゃ、自分のパートナーになるとはな……』

 この巡りあわせが凶にならなければ良いが、と不安に思いながら、エバはウィルにひとつの封筒を渡した。

 首を傾げるウィルに

「この中には銀行のカードが入ってる。 少し入れてあるから、とりあえずこれで今必要なものを買うんだ。 家電とか家具とか……無駄遣いはするなよ。 しばらくはこれで賄うんだ。 それから、連絡手段に携帯電話をすぐ用意するから、それで――」

 するとウィルはエバの言葉を遮るように自分の耳を指し、爪が綺麗に切りそろえられた細く白い指先でチョンとつついた。

「聞こえますから、大丈夫です」

「?」

「マスターの声はすでに認識されています。 どんなに遠い所に居ても、私の名前を呼んでいただければ、すぐに飛んで行きます」

「へぇ~~!」

 エバは思わず感嘆の声を漏らした。 そして戸惑いの含んだ苦笑いをしながら、チリッとした茶色の髪の毛に指を通し、がしがしと引っかいた。

「うまく出来てるんだな~~」

 ウィルには、それまで空き部屋だった六畳間を与えた。 すぐにウィルは、ベッドや洋服タンスなど、必要なものを取り揃えた。 その一つ一つにも、無駄は無かった。 本当に必要なものだけを吟味し、一番安い方法で手に入れるという作法を知っていた。


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