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人造人間とカスミソウ  作者: 天猫紅楼
20/29

ホワイトチョコケーキ

 翌日、やはり心配に思ったレンドは、再びエバの事務所を訪れた。

 キッチンからは、朝食が終わりシィナが食器を洗っている音が聞こえていた。

 

「……どうした、そのクマ?」

 レンドが驚いた顔で見るエバの目の下には、まるでマジックで書いたかのようにくっきりとクマが出来ていた。 エバは眠そうに髪の毛をくしゃくしゃにかきむしりながら

「昨夜、眠れなくて……」

とくぐもった声で答えた。 するとレンドは目を見張って

「キミ、まさかっ?」

と肩を震わせた。

 エバはいや、と重い手を挙げると、昨夜あったことをレンドに説明し始めた。

 

 

 昨夜――

 シィナには、ウィルが使っていた部屋を使ってもらうことにした。 彼女は最初、素直に頷いて自分の寝具を持って部屋へと入っていった。

 だが……

 夜も更けて眠気に襲われ、あとは寝るだけだと自分の部屋でベッドに入ったエバ。

 不意に小さいノックの音を聞いた。

「?」

 顔だけを上げて扉の方を見ると、そっと開いた。

「えっ? シィナちゃん?」

「あの……」

 シィナは恐る恐る部屋の中に入って来た。

「ど、どうしたの?」

 動揺してベッドの上に起き上がるエバを、シィナは彼から借りたTシャツの長い裾を掴んで、じっと見つめていた。 そして潤んだ瞳で一歩近づくと

「やっぱり、あの部屋では寝られないわ……お願い……一緒に寝て欲しいの……」

「えええっっ! お……俺と……?……だよな?」

 思わずシーツを掴んで後退りをするエバに、シィナは小鳥の様にこくんと頷いた。

 言葉を失い、しばらくシィナを凝視していたエバの脳裏を、様々な考えが巡った。

 確かにシィナが自分を頼ってくれるのは嬉しい。 彼女のような完璧な美しさを持っている女性と近づくことのは、エバが生まれた時からの切なる望みでもあった。 ソレが今、叶えられようとしているのだ。

「じゃ……じゃあ……」

 シィナは

「ありがとう」

と小さく微笑むと、エバのベッドに入った。

 彼女に緊張の色は見られなかった。 するりとエバの横に滑り込んで、すぐに眠りについた。

 

 

 

 二人の間には、それ以上何も起こらなかった。

 

 

 

 さすがのエバも、依頼者の娘であるシィナに手を出すことは躊躇するに至ったのだ。 それくらいの常識は心得ている。 それでも男としての欲望はムクムクと起き上がってくる。 自分の本能と必死に戦いながら、彼は横ですーすーと寝息を立てるシィナの寝顔を見つめながら、彼女の横で眠ることも出来ずに結局朝まで起き続けていたのだ。

 翌朝それを知ったシィナは、申し訳なさそうに苦笑していたと言う。

 

 

 

「本当に何も無かったんだろうな?」

 再度確認するレンドの瞳には、猜疑の光しか無かった。 エバは

「俺だってそれ位の道徳はあるぞ!」

と、心底疲れた顔でうなだれていた。

『さしものエバも、社会のルールは守るんだな』

と改めて安心したレンドは

「ま、少しは信じてやるよ」

と笑って肩の力を抜いた。

 レンドは、もう一つ話を持ってきていた。 彼は穏やかな表情から、仕事モードの引き締まった表情へと変わり、話を始めた。

「ジズカン博士と連絡が取れた。 スライ・マザーニーがいつまた動き出すか分からないなら、事件が収まるまでシィナを預かっていて欲しいと。 その間の生活費は勿論出すって話だ」

 レンドは、そっとシィナの表情を伺った。 エバの横で話を聞いていた彼女は、やっぱり、といった雰囲気でため息をつくと

「どうせ、あたしの事で研究が中断されるのがイヤだからでしょ」

とそっぽを向いた。 レンドは胸を痛めた。 ジズカン博士は、確かにこう言っていたからだ。

「悪いが、今研究を中断させるわけにはいかないんだ。 娘だけが狙われているというなら、警察に任せておいたほうが安心だ。 事件が落ち着くまではここにも近づかんでくれ!」

 そう言う博士の口調からは、明らかに迷惑そうな雰囲気を醸し出していた。

『依頼は受けるが、面倒なことはごめんだよ……』

 レンドは、挟まれた自分の立場を恨んだ。

 前には、今にも眠りに落ちそうなエバ。 こっくりこっくりと船を漕ぐ彼は、今の話も聞いていたのかどうか分からない。 レンドが

「聞いているか?」

と突っ込もうとした時、シィナがエバの後ろから腕を絡ませた。

「うわっ?」

 驚いて飛び起きるエバに、頬が付きそうなほど顔を近づけたシィナは

「あたし、エバと一緒に生活できるなら、いつまでもココに居るわ!」

と楽しそうに言った。 シャンプーの良い香りが、エバの鼻をくすぐった。

 レンドの細い目を感じながら、エバは嬉しそうに苦笑いをするだけだった。

 

 

 

 数時間後、エバは事務所を飛び出していた。

 どうしてもシィナの傍にいると息が詰まりそうだったからだ。 どうもエバは、積極的なタイプに弱い。

「ま、後はレンドに任せておけば大丈夫だな!」

 エバは、事務所に残されたレンドが散々文句を言っているのを感じながらも、あっけらかんと街でナンパを始めた。

 しばらくして、アンティークカフェの前を通り掛かったエバは、ふとウィルのことを思い出した。 たった一日顔を見ないだけだったのに、何故かずっと長い間会っていない感じがして、エバはアンティークカフェの中に入っていった。

 そして数刻後には、ウィルが住むアパートの前に来ていた。 手には、ウィルが好んで食べるアンティークカフェのホワイトチョコケーキが入った箱を持っていた。

 二階に上がる階段に足をかけたとき、エバを呼び止める声がした。 アパートの管理人だった。

「やっぱり心配で来たんだね? さすがはお兄ちゃんだ!」

「お兄……っ」

 エバは言葉を詰まらせた。

「あの子、愛想が良い子だねえ」

『愛想?』

「顔を見るたびに笑顔で挨拶してくれて」

『笑顔?』

「本当に気持ちの良い子だね。 物騒な仕事をしている兄とは全然違うね」

「一言余計だっ!」

 エバは拳を振り上げる真似をして、ウィルが居る部屋へと駆け上がった。

 軽くノックをして

「ウィル! 俺だ」

と言うと、すぐに扉は開かれた。

「エバ?」

 少し驚いたようにわずかに目を丸くして、ウィルは首を傾げた。

「呼んでいただければ、すぐに行きましたが?」

「いや、俺が来たかったんだ。 中に入ってもいいか?」

 ウィルはまた少し首を傾けながら、体をずらして部屋の中へと招き入れた。

 部屋の中は、昨日の今日とはいえ、シンプルな内装をしていた。 特に何か飾ろうとも思わないのだろう。 女性特有とも言える、小さなぬいぐるみ一つも置いていない。 もっとも、マスターシェージにそういう嗜好は必要ないのかもしれない。

 ウィルはグレーのカーペットの上に置いてあるローテーブルにエバを促すと、お茶の用意を始めた。

「ウィル、ここに来る途中で、アンティークカフェのケーキを買ってきたんだ。 一緒に食べよう」

 その言葉を聞き、ウィルはほのかに頬を赤らめた。

「ありがとうございます。 では、紅茶の方が良いですね」

 手際よく紅茶と皿の用意がされ、土産のケーキが皿の上に載った。 無地の白い皿に乗るホワイトチョコケーキは、それでも神々しい存在感を放っていた。

「ありがとうございます」

 もう一度礼を言ったウィルは、エバがどうぞ、と言うのを聞くと、フォークを取って一口含んだ。 途端に、また頬が赤らむ姿を見て、彼はやはり嬉しく思った。

 そしてもう一度、シンプルな部屋の中を眺め

「もう少し、飾り付けしても良いぞ? 味気ないだろう?」

と呟いた。 するとウィルはそれには答えず

「シィナさんを、お守りしていなくてもよろしいのですか?」

と、逆に質問をした。 エバは昨夜の事を思い出して、少し言葉を飲んだ。

「えっ……と、今はレンドが居るから大丈夫だ。 お前は気にするな」

と愛想笑いをして、気を紛らわせるために自分もケーキを口にした。

「やっぱり美味いな!」

 笑顔になるエバに、ウィルも頷いてほのかに頬を緩ませた。

「そう言えばウィル! お前、管理人のおっさんに愛想よくしてたって聞いたけど、本当か?」

「はい。 エバがそう言ったので」

「笑顔も見せたとか?」

「はい」

「お前、笑顔を作れるのか?」

「昨日、練習しました」

「じゃあ、俺にも見せてくれ」

「イヤです」

「えっ?」

 エバは軽くショックを受けた。 それまで「はい」「はい」と進んできて、急に否定されたのだから驚いたのだ。

「な……なんでだよ?」

 ウィルは少し下を向いたあと、静かに顔を上げた。

「管理人さんのために練習したからです」

「なんだよそれ? いいじゃないか! 俺にだって見せてくれたって? 減るもんじゃないだろ?」

「イヤです」

 ウィルは何故か、笑顔を見せることだけは頑として拒否し続けた。

「この頑固者めっ」

 半ば拗ねた感じで口を尖らせながら、最後の一口を放り込むと、お腹をぽんと叩いた。

「うーーん! やっぱりあそこのケーキは最高だな!」

と満足そうに笑うエバに、ウィルは素直に頷いた。

「笑顔は?」

「イヤです」

 エバは仕方なく肩を落とした。


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