シィナ救出、そして……
「来ないってば……」
シィナは呆れたように呟いたが、スライは聞く耳も持たず、やがて来るであろう【希望の鍵】を待ち望んでいた。
ガードが一人になり再び静けさが戻った一瞬、ガードのすぐ横に積まれていた木箱が突然崩れ始めた。 ガラガラと大きな音を上げて倒れいく木箱はガードの頭上を襲い、逃げる暇も無く下敷きになった。 拍子で壊れた木箱が散乱し、破片がスライとシィナを襲った。
「きゃあっ!」
「な、なんだ? 何があった!」
木箱の中からワインが大量に転がり出て、その何本かが割れて床をワイン色に染めた。 慌てるスライの目を盗んで、素早くシィナの椅子の影に身を寄せたエバは、手際良く手足を縛っていた縄を解くと、懐から短銃を素早く抜いてスライに構えた。
「シィナは返してもらうよ!」
「何っ! お前は誰だ? どこから入ったっ?」
スライは驚愕の表情でエバに自分の銃を向けようとしたが、一瞬早くエバの銃弾がスライの銃を弾き落とした。
「無駄だよ。 俺の腕は世界一だ。 おとなしくしてりゃ、危害は加えねー。 そこから動くんじゃねーぞ!」
エバは、紳士の様にシィナの肩を優しく抱くと、固まるスライに銃を構えたままゆっくりと裏口に向かった。 エバの手が裏口の扉を開けたとき、スライが何か言うのを聞いた。 エバは、直感でもう一人のガードが来ると感じた。
「ウィル! 裏口だ!」
と叫びながら、シィナを抱き上げて走り始めた。 そのすぐ後ろで、扉が破壊される音が響いた。
「しっかり、つかまってろよ!」
とシィナに言って、エバは全速力で走り抜けた。 裏の細い路地から表に出るところに、丁度ウィルが乗り付けた車の姿が見えた。
「ウィル、この子を頼む!」
「はい」
運転席から出てきたウィルはエバからシィナを受け取り、エバは振り返って銃を構えた。 みるみるうちに近付くガードはいつの間にかサングラスが外れ、銀色の瞳をしていた。 シィナの体がビクリと震えたのが、彼女を抱き上げているウィルにも伝わった。
「やっぱりマスターシェージだったか!」
エバは風のように真っ直ぐに突っ込んでくるマスターシェージの頭に狙い定めた。
パンッ!
一瞬後、マスターシェージの頭部は砕け散り、その脳みそが後方へと飛び散った。
「ウィル!」
エバが振り返ると、ウィルはすでに運転席に乗り込んでいた。 シィナも後ろの座席に座っている。
「すぐに出られます」
そう言うウィルの言葉に引き寄せられるように、エバは後部座席に身を滑らせると、車は急発進して埠頭を高速で走りぬけた。 バックミラーに、倉庫の前で突然の騒ぎに驚きうろうろする男たちを小さく遠く映しながら、誰も追いかけて来ないことを確認すると、エバは隣に座るシィナに顔を寄せた。
彼女のくりんっと丸い瞳がエバを見つめた。 エバが味方だと判断したのか、ほとんど怯えた様子は見えなかった。 だがその表情に浮かぶ、少し疲れた様子を気にしながら
「シィナちゃん、俺たちは君の父親に雇われた。 エバ・マイトソンだ。 運転してるのはウィル。 もう大丈夫だからな! 心配するな。 もうあんな怖い思いはさせないから!」
強い口調で慰めるエバに、シィナはじっと見つめ返した。
「ん? どうした?」
薄青い瞳が、エバを捉えて離さない。 その強い眼差しに、エバは少し戸惑った。
「な……何かな?」
「ありがとう……」
さっきまでとは全く違ったしおらしい様子に、エバは再び戸惑った。 シィナの瞳が次第に潤み始めた。 そして倒れるようにエバの胸に額を寄せた。
「シィナ……?」
驚くエバの胸に、振動が伝わってきた。 それは車が揺れるソレではなく、シィナが息を殺して泣いている震えだった。 エバは
『あんなに強がっていたけど、やっぱり、普通の女の子だったんだな』
と、そっと彼女の背中に触れた。 時折痙攣するように引きつりながらしゃくり上げるシィナを気遣いながら、エバはずっとその肩を抱いて見守っていた。
――
「彼女、やっと落ち着いたみたいだ」
事務所に戻ってきたエバは、シィナを自分の寝室に寝かせると、リビングのソファに崩れるように倒れこんだ。
エバ自身も久しぶりに大活躍した今回。 身体的にも精神的にも疲労感を覚えていた。 外はもうすっかり暗くなっていた。
「どうぞ」
ウィルが、テーブルの上にアイスティーを置いた。 エバはかったるそうに体を起こし、腕を伸ばしてグラスを取ると、ストローを抜き取って直接グラスに口を付け、一気に飲み干した。
「ぷっはぁぁーーー!」
まるで最初の一口のビールを飲んだ後のような雄叫びを上げ、次の瞬間には大きく息を吸った。 そしてグラスをテーブルに置くと、再びソファに仰向けに寝転ぶと、思い切り腕と足を伸ばした。
ウィルは氷だけになったグラスを手に取り、キッチンに戻って行った。 エバはその背中に
「ウィル、もう寝ていいぞ。 お前もお疲れ!」
「エバはどこで寝るのですか?」
エバのベッドは、シィナが使っている。 エバは頭の中で思いを巡らせた。
『シィナちゃんに添い寝も、悪くないな』
そう思いながら一人でにやけていると、事務所の扉が開いた。 たいして慌てた様子も無く、エバが視線だけを送ると、レンドが足早に入って来た。
「おや。 こんな時間に珍しいな」
「エバ!」
「なんだよ、血相変えて?」
真っ直ぐテーブルの前に近づき、バンと手を付いて身を乗り出すレンドに、エバは悠々とソファに寝そべって笑った。 レンドはどこか緊張した顔でエバを見つめている。
「何も無かっただろうね?」
「何が?」
「シィナ・フォークニングの事だよ!」
「あー」
そう言いながら再びにやけるエバに、レンドの怒号が響いた。
「ばっかやろう! 依頼者を喰う無礼な奴はキミだけだっ!」
「あっはははは!」
エバの笑い声が響いた。 そしてむくっと体を起こして、ソファにあぐらをかいた。
「これからだってば――いてっ!」
レンドの素早く繰り出されたゲンコツが、エバの脳天を襲っていた。
「間に合って良かった……」
あきれ返った顔で、レンドは肩を落とした。
「やっぱりお前に依頼したのは間違いだったのかもしれん……今夜はボクもここに泊まるからな!」
「えええええーーーっ?」
悲壮な悲鳴と共に俯き、天国から地獄に叩き落されたかのような落胆振りに、レンドはこれで良かったのだと確信していた。 放っておいたら、エバは今夜にでもシィナを口説き落とすに違いない。
レンドにとってシィナ・フォークニングは、保護すべき重要な人物だ。 例え父親であるジズカン博士が娘に対して薄情だとしても、無事に返さなくてはならない。 エバにツバを付けられるなんてことは、間違ってもあってはならないのだ。
「で、シィナはどこに?」
「俺のベッド――おい、落ち着け! だからまだ、何もしてないってばっ!」
再び振り上げられたレンドの拳に、エバはソファからずり落ちそうになりながら弁明した。 そんなじゃれ合いを横目に、キッチンを片付けたウィルは
「おやすみなさい」
と自室へと戻っていった。
「あいつ、ホントに冷静だな」
「マスターシェージだからな」
エバとレンドはどこか拍子抜けして、おとなしく体を離した。
「んで? お前、何しに来たんだ? 本当に俺の監視?」
改めて問われたレンドは、エバと向かい合って座った。
「ジズカン博士から、もう一つ依頼があってな」
「まだ何かあるのか? シィナちゃんを返せば、仕事は終わるんじゃなかったのか?」
「あぁ、そのつもりだったんだが……しばらくシィナを預かって欲しいと依頼があった」
「しょうがない。 引き受けよう!」
即答するエバに、レンドは呆れかえったように空を仰いだ。
「それが心配なんだ! だからボクが引き取ろうかと思って、急いで来たんだ」
「なんで? 俺じゃあ役不足っていうのか?」
「キミと話していると終わりが見えん! とにかく今夜はボクもここに泊まる。 明日ゆっくり話し合おう。 彼女の意見も聞きたいしな」
レンドは勝手知ったるという風に、隣の部屋からブランケットを持ってくると、エバの向かいのソファに寝そべった。
「キミの監視も含めてね」
レンドは可愛らしくウィンクをすると、早々に眠りに入ってしまった。 呆然としていたエバは、はっと我に返るとレンドに文句を言いまくったが、寝つきが良いのか、レンドが目を覚ます様子はまるで無かった。
「はあ……せっかくの初夜だったのにぃ……」
悲しげに弱々しい声で呟くと、エバも体を丸めてふて寝をした。