シィナ・フォークニング誘拐事件
「誘拐事件~~?」
ソファに沈み込むように座って面倒臭そうな視線を送るエバは、ウィスキーのグラスを揺らしながら視線を泳がせる数日前の彼とは違っていた。 仕事に愛想のない、無関心ないつものエバだった。
仕事を持ってきたレンドは、その様子に秘かにホッとしながら
「せっかく仕事を持ってきてやったってのに、そういう態度を取るな!」
と書類をエバの額にポスッと叩き付けて言い返した。 エバは細い目でチラリとキッチンに立つウィルの後ろ姿を確認すると、ぐいっと身を乗り出した。
「で、その誘拐された奴は、美人の女か?」
するとレンドは、来たか、とばかりににやりと口角を上げた。
「ああ。とびきりの上玉だ!」
「よし、任せろ!」
エバは当然の様に、報酬よりもそっちを選んだ。 レンドは、それでこそエバだと満足げに頷くと、詳しく話し始めた。
誘拐されたのは、マスターシェージ研究の第一人者ジズカン・フォークニング博士の一人娘、シィナ・フォークニング。
犯人はスライ・マザーニーという男。 裏で手を結び、友好を繋げるやり方とは真逆な、脅迫という手口を使ってマスターシェージの製造に関する情報を手に入れようという魂胆だ。 事を荒立ててまで実行に移すということは、スライ側も自信があってのことだろう。 すでに大量のマスターシェージを抱えているのかもしれないし、裏に巨大な権力者がいるのかもしれない。
出来るだけ一般社会に知られず、極秘に解決をしろというのが、レンドからの要請だった。
最後の注意事項内容には若干の懸念もあるが、今までの成績を見ても、エバに依頼するのが一番信用できるとレンドは判断していた。
「いいか! くれぐれも、極秘にだからな!」
再三釘を刺したレンドが部屋から出ていくと、エバは思い切り腕をのばして体を仰け反らせると、
「よっしゃ、行くか!」
と勢いつけて跳ね起き、ウィルを促した。
ウィルはエプロンを丁寧に畳んでキッチンのテーブルの上に置くと、奥の部屋に引っ込んで動きやすい服装に着替え、手ごろな銃やナイフを懐に忍ばせて、すぐに出かけられる準備をした。 機動性の良い小さな四駆車のハンドルを握るエバの脳裏に、さっきのレンドとの会話が反芻されていた。
「プライスタブ埠頭の第三倉庫。 そこに、シィナは監禁されてるらしい。 条件は、シィナの父親、つまりジズカン博士と引き替えってことらしいが、この父親がそれを拒否したらしい」
「へぇ~~。 世の中、そんな親も居るんだな。 ま、そんなことは俺には関係ない。 要は、シィナちゃんを救い出せば良いんだろ?」
目的地に向かって運転をしているエバの頬が、心なしか緩んでいる。
『待っててね、シィナちゃん! 今すぐに、格好良い王子様が助けてあげるからねーーっ!』
エバは心の中で叫びながら、アクセルを全開にした。 助手席には、ウィルが黙って無表情に前を見つめている。 エバの思考内容など、興味が無いようだ。
港に着くと、人目につかないところに車を置き、エバとウィルは小走りで目的のプライスタブ第三倉庫に近づいた。 倉庫の周りには数人の部下たちが見張りについているのが見えた。 表に面した倉庫の巨大なシャッターは堅く閉じられ、中の様子はまったく分からない。 だが、レンドの情報によれば、その倉庫にシィナが監禁されているはずなのだ。
エバは一考して、辺りを警戒しながら倉庫の裏手に回った。
壁の上の方にある小さな窓へ手を掛け、懸垂の要領で身体を引き寄せると、片手でそっと窓を開けて中を覗いた。 すると、椅子に座らされて後ろ手に縛られている少女の姿が見えた。
口元をガムテープで塞がれているが、軽くウェーブの掛かった背中までの髪の毛の合間から見える、小さな顔にまつげの長い大きな瞳、筋の通った形良い鼻だけ見れば、エバには充分だった。
『おおっ!』
思わず上げそうになる声を我慢して、エバはそっと窓を閉めて地面に降りた。
『完璧に可愛い子じゃんか! レンド! 大当たりだぜ!』
心の中でレンドに感謝をしながら満面の笑顔で親指を立てる様子を、ウィルは静かに見つめていた。 エバはそんなウィルにそっと耳打ちした。
「いいか、彼女は俺が助ける。 お前は車に戻って、中で待機していろ。 呼んだら、車で迎えに来い。 いいな? 予想外に何かあったら、その時に指示をする」
「はい」
ウィルはしっかりと頷き、あっという間に姿を消した。
エバは舌なめずりをしてもう一度周りを確かめると、反対側の裏手へと移動した。
小さな裏口の前には一人の見張りがいて、エバは彼の後ろから口を塞ぎ、羽交い絞めにすると、首の後ろに手刀をたたき込んだ。 声を出す間もなく崩れ落ちる見張りを静かに寝かせると、懐から銃を取り出してそっと扉を開いた。
照明もほとんど無い薄暗い中を、うず高く積まれた船の貨物と思われる木箱の隙間を縫いながら移動した。
シィナは、縛られたままで怯えたように少し俯いていた。 両側には体型の良い黒いサングラスを掛けた男たちが微動だにしないし、そこから少し離れた古ぼけた椅子に座っている銀縁眼鏡をかけた男スライ・マザーニーは、悠々と煙草を吹かしている。 時折鏡を見ては、額に一筋だけ垂らした前髪の角度を気にしている。
エバは貨物の間から観察をし、シィナの両側に居る男たちはマスターシェージだと判断した。 マスターシェージを製造する博士をおびき出すのに、普通の人間を雇っているとは考えにくい。 博士自体も、マスターシェージを伴ってやって来るかもしれないからだ。
スライは、カタンと椅子を鳴らして短くなった煙草を落とすと、
「もうそろそろだな」
とシィナに近づき、その口に張りついているガムテープをゆっくりと剥がした。
「いったいわねっ! デリケートな女の子の唇になんてことするのよ! 荒れたらあんたの性だからね!」
シィナは口が自由になった途端、騒ぎ始めた。 スライは顔をしかめてうるさそうにした後、シィナにくいっと顔を近付けた。
「まあそういきり立つな。 父親がやってきたら、すぐに返してやるよ」
「パパは来ないわよ!」
「なんだと?」
「あの人はあたしのことなんかより、マスターシェージの方を愛しているんだもの! あたしがどうなろうと、あの人はなんとも思わないわよ! 何かあったら、マスターシェージであたしの代わりを作ろうとか軽く考えてるわ、きっと!」
「ふん! そんなことでこの私が、気の迷いを誘うとでも思っているのか? まあいい。 もうすぐ時間だ。 一時間後には、私はマスターシェージの世界を支配できる! ……ふ……ふはははは!」
スライは、希望に満ちた自身の将来を思って高らかに笑い、シィナはそれを唇を噛んで睨み付けていた。
『あのシィナって子、思ってたよりも気が強そうだな……しかし、父親が来ないってこと、本当に知ってるのか? それとも相手を動揺させようとしているのか?』
一部始終を裏で聞いていたエバに若干の動揺が生じたが、口のテープが取れたシィナの顔を再び見たことでその美貌が確定すると、エバのテンションも秘かに上がって背中を簡単に押されたのは事実だった。
「おい、ジズカン博士を表に行って迎えてこい。 もうそろそろ来る頃だ」
スライの命令に、ガードしていた片方の男が
「はい」
とその場を立ち去った。




