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人造人間とカスミソウ  作者: 天猫紅楼
11/29

面倒くさいこと

 二、三日経つと、レンドが姿を現した。

 いつものように

「エバー、居るかーー?」

と間の抜けた声で部屋を見渡すと、エバは二階から通じる階段をふらつきながら下りてきた。 こめかみを押さえながら

「何だよ……二日酔いで頭が痛ぇんだよ……」

と迷惑そうにくぐもった声を出した。 レンドはエバを見上げながら

「そりゃないよ! せっかく仕事を持ってきてやったのに!」

と呆れた顔をした。 そう顔の横に挙げた手には、ひらひらと何枚かの書類が握られている。

「仕事か……」

 エバは仕方なく、無理やり眠気を覚ますように頭をかきむしりながらソファに座ると、レンドと向かい合った。 そしてレンドから仕事の話を説明されながら、エバの視線は自然と玄関の方に向けられていた。 それに気付いたレンドは

「ウィルは連れてきていないよ」

と書類に視線を落としながら釘を刺すように言った。 エバは慌てて書類に目を向けると、何でもなかったかのように仕事の内容を読み込んだ。 レンドは、そんな彼の様子を視界の隅で確認しながら

「ウィルは今、警察のネットの門番をしている」

「へぇー」

「そのうち、ネット犯罪の撲滅活動に関わってもらおうと思っている」

「俺には関係ねぇよ」

 エバは事もなげにそう返すと、レンドから書類を引ったくるように受け取った。

「話はこれだけか? 悪いが、出かけなくちゃいけないんでね」

「そうか。 ま、忙しいのは良いことだ。 ボクの仕事も頼んだよ。じゃ」

 部屋を出ようとしたレンドは、何か思い出したように振り返った。

「そうだ。 エバに一応言っておかなきゃ。 ウィルを、リセットしようと思う」

「リセット? ……そんなことが出来るのか?」

 エバの瞳がわずかに揺れた。

 

【リセット】とは、それまでのマスターシェージの記憶を一旦ゼロにする作業だ。

 なんらかの事故や、強烈に精神へのダメージがあった場合、それ以降の仕事に差し支えると判断した場合は、マスターシェージの記憶ナカミを全て空白にすることがある。 それが【リセット】と言われる作業だ。

 レンドが所属する研究所では、マスターシェージの製造は出来ないものの、それ以外の作業――怪我の修復、病気の診察や看病その研究、そしてマスターシェージを再利用する際に施す【リセット】が出来る設備は整っている。 全て、マスターシェージの研究に必要なものだからだ。 このデータを元にレンドたちは、さらに人間に使いやすいように、マスターシェージの製造元へ改良方法を勧めていくのだ。

 レンドは冷ややかに答えた。

「ああ。 余計な思い出は、これからの仕事に必要ないからね。 まだキミから書類はもらっていないけど、こっちの仕事は進んでいるから一足先にさせてもらおうと思って」

「そうか、分かった」

 エバは、自分にはもう関係が無いから後は任せると告げ、事務的な会話をしたあと、別れた。

 

 

 事務所を出たが、エバには行く当てはなかった。 仕事をする気にもなれず、ふらりと街に出たエバは、気付くとアンティークカフェの前を通り掛かっていた。 焼きたてケーキの甘い香りが鼻をくすぐった。 店の外には、若者たちが行列を作っている。 皆、とても楽しみそうな表情で、店内を覗き込んでいる。 エバはそれらにクールな視線を送ると、にぎやかな街へと姿を紛れさせた。

 

 夜も暮れた頃、エバは行きつけのバー【セブンスヘブン】に居た。

 何かあると、エバは必ずこの店を訪れていた。

「久しぶりに来てくれたと思ったら、元気が無いですねぇ?」

 長身細身のマスターが、眉を上げながら首を傾げた。

 白いワイシャツに黒いベストを羽織り、腕には袖留めをして作業の邪魔をしないようにしている。 黒い短髪を緩いオールバックにした、少し堀の深い顔はどこか胡散臭く、万人受けしなさそうな印象があるが、エバにとってはかけがえのない相談相手だった。

「また、何かあったんですね? もしかして、マスターシェージのこととか?」

 エバの指がぴくりと動いた。

「やっぱりマスターには、すべてお見通しなのかな」

 自虐的に笑ってみせて、カウンターに肘をついた。 心地よいジャズの音色が漂う中、客はエバ一人だけだった。 マスターが拭くグラスに、暖色系の照明が反射するのをぼんやりと見つめながら、エバは重い口を開いた。

「ただの仕事のパートナーだったんだ、あいつは」

 マスターは無言でエバの言葉に耳を澄ませていた。

「金さえあれば、新しいマスターシェージなんて幾らでも買える。 でも……」

 エバは、目の前のグラスを傾けた。 褐色のウィスキーが氷を包み込んで鈍く光っていた。

「なんか、違うんだ……」

 マスターは、拭き終わったグラスを静かにしまうと、壁にもたれて煙草に火を点けた。 そして白く長い息を吐くと

「レンドがあなたに紹介したマスターシェージの引渡し場所は、公には機密事項ですが、政治におけるトップクラスの認可をもらっている数少ない場所というのは、彼からも説明をされているでしょう。 その分、規則は絶対です。 エバが今置かれている状況を、よかったら話してくれませんか?」

と、エバにとってとても頼りになる微笑みを見せた。

 エバは素直にウィルの事を話した。 マスターは黙って白い煙を漂わせながら、エバの話に耳を傾けていた。 そして全部聞き終わると、静かに言った。

「その所有者放棄報告書を早く提出しないと、面倒くさいことになると思いますよ」

「何だって?」

「彼らは、マスターシェージの所有に関しては、かなり厳しいはずです。 裏の世界にとって、情報の流出は一番恐れていることですから。 今エバが自分のマスターシェージを無断で他の人物に貸しているということが知れたら、彼らはすぐに動くと思います。 それは貸している相手が警察機関であっても同じこと。 どんな弁解も聞いてもらえないことを、覚えておいてください」

「そうなのか……」

 エバは残りのウィスキーをくいっと飲み干すと、しみる喉を一瞬こらえた顔をして立ち上がった。

「また来る」

 そう言って代金をカウンターの上に置くと、店を出た。 閉まり行く重く分厚い扉の向こう側で、

  カランカランカラン……

というベルの音が小さく遠く聴こえた。

 

 

 暗い路地に入りゆっくりと歩きながら、偶然小さな公園の前を通りかかったエバは、ふらりと中に入った。 がらんとした広場の隅にあるベンチに、倒れこむように腰掛けた。 見上げると、まばゆいばかりの月を黒い雲が包み込むところだった。 公園のあちこちにある小さな街灯がほのかに明るく光を放っている。

 エバは懐から紙を取り出した。 所有者放棄報告書。 そこにはまだ一筆も書かれていなかった。 あるのはただ、無造作に付けられた折り目だけだ。

『面倒くさいことか……』

 とにかくこれをレンドに渡さないと、まだウィルはエバのものということになっている。

『リセットするとか言ってたな』

 エバはなんとなく、アンティークカフェのケーキはたまに食わせてやれとレンドに頼もうと思った。 そしてそれを再び懐に入れると、膝に肘を付いて深く俯いた。 まだ酔いが残る頭の中が揺れている。

「はあ~~」

 苛立ちが含まれたため息が、足元の雑草をかすかに揺らした。 その時、エバに何かが近づく気配を感じた。

 

 

「エバ・マイトソン。 着信拒否ですか?」

 

 

 無機質な声にゆっくりと顔を上げると、そこには、黒いスーツをぴしっと着こなした中年に近い男が立っていた。 夜にも関わらず真っ黒いサングラスをしていることが不気味だった。

「誰だ?」

 わずかに凄味を込めたエバの問いに、男はサングラスをゆっくりと外した。

 途端、エバの顔が蒼白になった。 その瞳は、闇夜の中でもすぐに分かる輝く銀色をしていた。

「マスターシェージ……」

 エバは一瞬で状況が把握できた。

『面倒くさいことになった……』

 その心を読んだかのように、マスターシェージの男は再びサングラスを掛けると、悠々と立ったままで話し始めた。

「アナタは今、禁を犯しています。 マスターシェージを他人に譲渡する場合、然るべき手続きを済ませなくてはならない。 規約にあった通りです。 アナタは今、ご自分のマスターシェージを権利の無い人間に管理を任せている」

「何故それを?」

 そう聞きながら、エバにはなんとなく分かっていた。 警察の中にも、マスターシェージの存在を快く思わない人間が居るということを知っていた。 エバは、マスターシェージの男が口を開く前に手を挙げて制した。

「で、俺をどうしようと?」

 平静を装っていたが、エバの中ではあらゆる走馬灯が頭を駆け巡っていた。 マスターシェージの男は微動だにせず抑揚の無い口調で言った。

「然るべき処置をします」

「…………」

 エバは黙って俯いた。 逃げられないと本能で感じていた。 今更言い訳をしたところで、情状酌量などあり得ない。 マスターシェージは、与えられた任務を遂行することがその存在意義だからだ。

 エバの額の前で、劇鉄が引かれる音がした。

 この最後の時に、彼は、パートナーだった名前を呟いた。

「ウィル……」

 涙も滲まなかった。 後悔も無かった。 意外なほど静かな鼓動を感じながら、俯いて目を瞑り、次の衝撃と死への覚悟をしたエバの耳に、馴染みのある声が届いた。

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