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人造人間とカスミソウ  作者: 天猫紅楼
10/29

ウィルとの別れ

 翌日、エバは約束通りにアンティークカフェへとウィルを連れていった。

 街角にひっそりと建つ小さな店アンティークカフェは、若者にとても人気のある洋菓子店で、遠方からわざわざ足を運ぶ常連もいるくらいの、大変繁盛している店だ。 数十分の行列を経て、甘い香りが漂う喫茶スペースに向かい合って座ったエバとウィルは、早速注文をした。

 以前ウィルが栄養失調で倒れたときに、さすがに責任を感じたエバが土産に買ってきたケーキが気に入ったというウィルは、いつか店に行きたいと言っていたのだ。

 

「もう、体は何とも無いのか?」

 エバは少し身を乗り出すように尋ねた。 ウィルの身体自体に何かされたわけではないので、見た目では分からないダメージがあるかもしれないから気をつけてと、昨日レンドに言われていた。

 エバの心配もよそに、ウィルは無表情ながらも、どこか穏やかな顔で頷いた。

「大丈夫です」

 本当はまだ頭の芯がズキズキしていたのだが、ウィルはエバに言いたいこともあったし、疲れには甘いものが良いと聞いていたので、外に出たのだ。 何より、自分の体調管理は自分でしろとのエバからの命令もあったことなので、確証はない事だが、ウィルは自分の思う方を選んだ。

「お待たせいたしました」

 マスターシェージよりも機械めいた口調で店員が言った。 注文したケーキとドリンクが目の前に置かれると、ウィルは早速フォークを手にした。

「いただきます」

と小さく手を合わせて、ウィルはホワイトチョコケーキをひとかけらすくうと、少しためらいがちにそっと口に運んだ。 途端に桃色にふわっと染まった頬で、感想はすべて伝わった。

「昨日は、ご苦労だったな」

 エバは珈琲をすすって言った。 実際、エバ自身も疲れていた。 なにしろあんなに無力な自分を思い知らされることは無かったからだ。 温かい珈琲が、心を和ませてくれた。

 ウィルは、そんなエバの言葉にフォークの手を止めた。 そしてテーブルにそっとフォークを置き、姿勢を正して真っ直ぐにエバを見つめると、静かに言った。

「あの時エバが呼んでくれなかったら、私は消されていました。 だから、私はエバに感謝しています」

 そう、ウィルはマスターであるエバに感謝の言葉を言いたかったのだ。 言うだけなら事務所でも言える。 だが、こうして賑やかな場所を選んだのは、ウィルの中に少しだけ照れがあったのかもしれない。 ただその気持ちは本物だ。 何の迷いも無い漆黒の瞳で見つめるウィルに、エバは戸惑った様子で自分の頬を指で掻いた。

「いや、俺はただ、何も出来ねーから……呼んだだけだ」

 照れたように視線を泳がせるエバに、ウィルはわずかに微笑んだ。 そして再びフォークを取ると、ケーキに陶酔した。

 

 

 

 その数日後、レンドが報酬を持ってエバを訪れた。

 意外に功績が称えられ、事前に提示していた額よりも大幅に増えた報酬だと、ほくほくの笑顔で言いながらテーブルの上に山と積んだ札束とレンドを前に、エバの表情は逆に固かった。

「そりゃ、どういう意味だ?」

 エバの驚き見開いた目が、レンドをとらえている。 レンドは悠々とソファに沈み込むようにもたれ、言った。

「だから、ウィルを引き抜きに来たんだよ。 この報酬と引き替えにね」

 そしてレンドは身を乗り出して、札束にポンと手を乗せて示した。 エバはこめかみを軽く押さえて俯いた。

「なんでだ?」

「この間のウィルの働きは、他のマスターシェージにはない特別なものを感じた。 キミのような女たらしのいち掃除屋の下においておくのは勿体ない。 そこでだ。 ウィルを、警察本部の特別電子班に専属所属させようと思う。 こちらに来たほうが、ウィルにとっても働き甲斐がある。 これだけの金額と引き替えだ。 キミはまた新しいマスターシェージを買えばいいじゃないか」

「…………」

 エバは頭を抱えていた。

『ウィルを引き渡す……この大金と引き替えに……』

 確かに百二十万アーニーもあれば、新しいマスターシェージどころか、この狭苦しい事務所を広く新しくすることもできる。

 エバはちらりとキッチンの方を見た。 レンドに出すお茶を用意するウィルの後ろ姿が、チラチラと見える。 答えを出せずに黙りこくっているエバに、レンドは苛立つように身を乗り出した。

「悪い条件じゃないと思うけどなあ? なぁに、煩わしい手続きはしなくていいんだよ。 キミはこの書類に所有者放棄報告を一筆書けばいいだけ。 後はボクが手続きを済ませるから」

 レンドは早々に一枚だけの書類をエバの前に出すと、ご丁寧にペンをその横に置いた。 その時

「この間エバに買ってもらった、アンティークカフェのクッキーです。 レンドもおひとつどうぞ」

 ウィルがトレイに紅茶とお茶うけを持ってきて、テーブルに並べた。 レンドはウィルに笑顔で見上げ

「美味しそうだな! ありがとう、ウィル。 キミはアンティークカフェが好きだと聞いたけど?」

「はい。 あそこのケーキはとても美味しいのです」

 言いながら、ウィルの頬がほんのりと赤らんだ。 相当気に入っているのだろう。 それを見たレンドは、うんうんと頷くと

「これからは、幾らでも買ってあげるよ!」

と微笑んだ。 ウィルは少しだけ目を開いて

「本当ですか?」

と、小鳥のように首を傾げた。 そしてエバの方を見やると、彼はどこかへ意識が行ったようにぼんやりと目の前の書類を見つめていた。

 それをちらりと見ようとしたウィルに気付いたエバは、慌ててそれをくしゃっと二つ折りにした。

「仕事の依頼では?」

「い、いや、なんでもない」

 どもるエバの様子を観察しながら、レンドが言った。

「ウィル、ボクのところに来ないか?」

「えっ?」

 驚いて振り返るウィルを見上げ、レンドは強い眼差しを送った。

「キミには、こんな雑用ばかりをしているのは勿体ない才能を持っている。 公務員もいいもんだよ。 色々と保証もされているからね」

 レンドの言葉には嘘も交じっていた。

 実は、どんなに優秀でどんなに才能があるマスターシェージも、人間と同じ保証などは一切与えられないのだ。 上層部に君臨する者ほど、マスターシェージを所詮人間以下の存在として、使い捨てにする。 警察機関も同じだった。 もともと存在してはならない物としながらも、【正義の為に使う道具】という位置づけをしていた。

 レンドはそんな嘘をついてでも、ウィルを引き抜きたかった。 無論、短い間しか公務員に居なかったエバには、そんな疑いなど全く無かった。 それほど彼は、レンドに対しては信頼していた。

 先日の仕事でパートナーを努めたレンドには、ウィルの可能性が光り輝いて見えた。

 ウィルはじっとレンドを見つめていたが、やがて意見を求めるようにエバを見た。 エバはその視線に気

 付いて見上げると、ゆっくりと口を開いた。

 

「お前が決めろ、ウィル」

 

 するとウィルは、エバを見つめながらわずかに眉をしかめた。

「マスターシェージは、自らマスターを選ぶことは出来ません」

「……そうなのか」

 エバは目を伏せると再び黙り込んだ。

 彼にも理解は出来ているのだ。 こんな寂れた事務所で、いつ来るとも知れない大きな仕事を待ちながら細々と街の掃除屋をしていくよりは、公務員として安定した職に就いたほうが良いに決まっている。

 だが、家事全般まで任せ切りにしている今となっては、また一人で細々と暮らす生活に戻るには辛すぎた。 それでも目の前には、大金が積まれている。 生活が覆されるほどの大金だ。

『ウィル……』

 エバの脳裏に、昔飼っていた犬のウィルが蘇っていた。 いつも一緒だったウィル。 幼い頃のエバの相棒、ウィル――

 その時、レンドの声がその幻影を崩した。

 

「エバ。 何を迷っている? まさか、ウィルに情が沸いたというんじゃないだろうね?」

 

「えっ?」

 エバの表情が固くなった。

「まさか……」

 そう呟きながら、エバは正直動揺していた。 そして瞬間的に叫ぶように返した。

「そんなわけないだろうが! いいよ! こんなしょぼい金じゃ足りねーけど、交換してやるよ!」

「なんだ、金が欲しかっただけか! 心配はいらないよ。 キミに損はさせない。 ウィルで稼いだら、少しは流してやる!」

 レンドは満足そうに笑いながら立ち上がると、テーブルの上に置かれた皿からクッキーを一掴みして一つかじると満足そうに微笑んだ。

「うん、美味い!」

 そしてエバに一言

「じゃ、連れて行くから」

と告げると、ウィルを連れて部屋を出て行った。

 

 

 エバは、ウィルの顔を見ることが出来なかった。 ウィルがどんな顔で部屋を出て行ったのか、無論、いつものように無表情で玄関を出て行ったのだろうが、それさえもエバには思い返すことが出来なかった。 なぜだかぽっかりと穴が開いたような感覚に戸惑っていた。

『マスターシェージに情が沸いただって? 絶対ありえん! ただの仕事のパートナー。 ただの人形じゃないか!』

 そう思おうとすればするほど、エバの脳裏には、アンティークカフェでほんのりと頬を桃色に染めてケーキを口に運ぶウィルの姿が浮かんできて仕方がなかった。 目の前には、報酬として手に入れた山と詰まれた現金と、無造作に折り畳まれた所有者放棄報告書だけが静かに鎮座していた。

「ちくしょう!」

 エバは粘つく心のもやもやを振り切るかのように、勢いつけて立ち上がると、ジャケットを引っ掴んで夜の街へと姿を消した。

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