表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人造人間とカスミソウ  作者: 天猫紅楼
1/29

序章

 エバ・マイトソン――個人探偵。

 

 元は警察に属する人間だったが、組織の中で時間と規則に忠実に従うことに嫌気がさし、自ら退任。

 現在二十六歳。

 公務員を抜けた身とは言え、それまで組織の中でそれなりに訓練を受け、それなりに耐えてきただけあって、特にその銃の腕前は札付きである。

 今でも毎日のトレーニングは欠かしていない。 これはエバのプライドでもある。 もともと細身ではあるが、筋肉が適度に付いていないとどうにも気持ちが悪いのだ。 それに、筋肉を見せれば女の子にももてると信じてやまない(こっちの方が本来の目的という意見もある)。

 それとは別に真面目な理由で、何かあった時にすぐに動けるように、スタミナと瞬発力、そして動体視力はいつも鍛えている。

 今は小さなビルの一角を買い取り、細々とだが自由気ままに営業している。

 

 昼下がり、天井の角に設置してある小さなスピーカーから静かなヒーリングソングが流れる事務所の机の上で小さな電卓を叩いていたエバは、はぁっと重く長いため息をついた。

 部屋の隅にバカでかい鉢植えの観葉植物がある以外は、捜査の資料や報告書などのファイルを入れる為の小さなキャビネットが二つ並んでいるのと、その前にはワンセットのソファーとテーブルが置いてある。 そのソファーは黒い革張りの立派なもので、まだ誰も座った形跡もないような、何の染みもシワも無く、新品同様の風貌をしている。

 事務所の中はエバ一人だけだ。

 

「仕方ねえなあ……」

 

 吐き出すようにそう呟いておもむろに席を立つと、背もたれに引っ掛けておいた薄手のネイビー色のジャケットを、鍛えられた胸筋が際立つようにぴったりと張り付くような、吸水性の良いお気に入りの黒いTシャツの上に羽織ると、扉を開いて事務所の外に出た。

 

 

 

 乾いた風が街路樹の葉を揺らし、一枚、また一枚とアスファルトの道へと落としていく。

 もうすぐこの道も、落ち葉で埋まる。

 少し冷たさも交じり始めた空気の中、ボタンもかわずに羽織っただけのジャケットのポケットに両手を突っ込むと、足早に歩いた。

 

 

 目的地はすでに決まっていた。

 

 

 エバは迷いも無く裏道に入ると、道の両脇に力なくもたれて何かを噛んでいたり、座り込んで仲間となにやら話したりしているゴロツキ達のじろじろした視線を、まるで気にしないといった表情で通り過ぎていく。

 やがて人通りのほとんど無い路地に入ったエバは、小さな木造の物置のような小屋の前に立ち止まると、そっと眼球だけを回して周りを伺った。

 人っ子一人居ないのを確かめると、その小屋の扉に手を掛けた。

 鍵はかかっていない。 今にも壊れそうな木の扉を開け、エバはその中へと身体を滑らせた。

 一歩だけ入り、静かに扉を閉めると、途端に暗くなった空間に目が慣れるまでに、少し時間が掛かった。 やがて少し慣れたところで、エバは歩を進めた。 途端にその身体がフワッと落下した。

「うわっ!」

 思わず出た声に慌てて口を塞ぎ、息を殺した。 誰かが気付いた様子が無いことを確認すると、ふぅ、と息をついた。

「階段か……」

 エバは足元を探った。 コンクリートで固められた階段が、入り口を入った途端にその口を開いていた。

 両手を広げれば軽く両側に届くような狭い階段の壁に片手で触れながら、エバはゆっくりと下りて行った。 照明のひとつもない真っ暗な階段を数十段ほど下りていくと、また一つ扉が目の前に現れた。 今度は金属で出来たしっかりした扉だ。 隙間から、向こう側の明かりが漏れている。

 エバは息を飲むと、そのノブに触れた。

 

 

「うっ……」

 途端に明るい部屋に出たエバは、思わず目が眩んで腕を顔の前に挙げた。 目を細めて辺りを注意深く伺った。 今日は丸腰だ。 何かあったら、この身ひとつで何とかしなくてはならない。

『アイツに紹介された場所とはいえ、やはり銃かナイフのひとつくらいを忍ばせておくべきだったか?』

などと若干後悔をちらつかせながら、辺りの気配を探った。

 やがてそこは、近代的な金属で出来た壁に覆われた部屋だと分かった。 人の気配は無いが、どこかピンと張った空気が漂っている。

 エバは警戒しながら、ゆっくりと部屋の中央へと歩いた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 声をした方へと緊張しながら身体ごと振り向くと、その壁の色とそっくりなグレーのスーツをビシッと着こなした男がひとり、エバを見つめて立っていた。

 グレーの髪の毛をオールバックで固め、穏やかで薄い笑顔をまとったその男は、上品な仕草で銀縁の眼鏡のツルを上げた。

「お客様ですね?」

と尋ねられ、エバは自分の顔の前に上げていた腕をゆっくりと下げると、小さく頷いた。 それでもエバは変わらずに気を張っていた。 何故かこの男、隙が見当たらないのだ。 丸腰という後ろめたさもあってか、緊張感が背中を襲い、エバの頬に冷たい脂汗が伝い落ちた。

 それを知ってか知らずか、男は穏やかな微笑みを崩さずに頷くと、壁のスイッチに触れた。

 エバと男との間に、床から金属の板が持ち上がってきた。 いくつかに折りたたまれているそれは、静かに上がってくると、金属がぶつかる音を小さく響かせながら自動で設置され、カウンターテーブルに早変わりした。

「ではそちらに記入してください」

 エバは男の様子を伺い見ながら、少し戸惑いつつカウンターテーブルに向かうと、すでにセットしてある机上の用紙に、共に吸い付くように置いてあったペンで記入した。

 住所、氏名、職業、連絡先――

 書き終わったそれを男に手渡すと、彼は静かに受け取って目を通した。 眼鏡の向こうに輝く銀色の瞳が、不気味に文字を追っている。

「エバ・マイトソン様。 これは正式な契約書となりますが、よろしいでしょうか?」

「ああ」

「では、こちらへ」

 男は契約書を丁寧に折りたたむと自分の懐へ入れ、軽く腰を低くして手を部屋の奥へと伸ばし、うやうやしくエバを促した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ