第一話 深淵を覗き込む男
「結果があってだね、君。その結果が偶然であったとしても、なぜその結果に至ったのか状況を紐解けば、いかにも必然的と思えるほど美しく、結果への道筋が見えるワケなのだよ。」
フロード・サウロンはコートのポケットをまさぐり、キャンディーの包み紙しか入ってない事を確認すると、眉間にシワを増やしながらも話を続ける。
「たとえばだね、我々人類が高い知能を持った生命体としてこのような姿形へと進化できた可能性、それを考えてみてくれたまえ・・・・・そこには、奇跡的な偶然が幾重にも重なり、それこそ何者かによって導かれたとしか思えないような事象とさえ言える。しかしそれはだね」
「サウロン様、わたくしはサウロン様の事をお慕いしておりますわ。ですからそう遠回しなさらなくとも、ただ一言仰っていただければわたくし、たとえこの身すべてでも喜んでサウロン様に捧げますわ。」
サウロンの言葉をさえぎると、豪奢なドレスに身を包んだ少女フランジェリカ・クラインは、鈴の様な美声を奏でながらサウロンの骨ばった手をそっと、己が手で包み込む。何か頼みごとがあると急に講釈をしだすサウロンの癖を、彼女は理解していた。
その事にサウロンは少々バツが悪い表情をしながらも、フランジェリカの手からスルリと抜け出すと「では」と改める。
「キャンディーがきれてしまってね。君、少しお使いを頼まれてくれないかね?なるだけ急いでほしいのだよ。それからケーキも欲しいところだね、カルティーオのチェラルドケーキを3つ、そうそう!キャンディーは10カロン(約5kg)ほど・・・では、頼むよ?」
サウロンの、14歳の少女には些か容赦のない注文に、フランジェリカは満面の笑みで「はい」と答える。想い人から必要とされているというその事が、フランジェリカは何よりもうれしかった。
「それと、様をつけて呼ぶのはやめてくれたまえ。」
言うだけ無駄だと分かっていながらも、部屋を出て行くフランジェリカの背中へサウロンはなげかけた。
ガス灯が電灯へ、電報が電話へ移り変わり、しかし、馬車が自動車へ変わるのはもう少し後になるだろうそんな時代。
古を支配していた魔法や魔物が、科学と言う名の新しい力の影に押しやられ、人々は約束された明るい未来に希望を歌う、そんな世界。
そしてここはレムツェーラ王国首都ヴェラヘイム。その首都ど真ん中に位置するヴェラヘイム王立学院、その中で、今は本来の役目を果たしていない旧校舎をねぐらにしている変人が一人、名をフロード・サウロンと言う。
彼は、名門フロード家の次男として生を受け、物心ついた頃より学院の図書館に篭もり、所謂「本の虫」となってしまった。彼の生まれた後、フロード家は、三男、長女、次女と次々に子宝に恵まれた事もあり、本を読むことが唯一の楽しみであった陰気なサウロン少年は、家族からもしばしば存在を忘れられるほどであった。
そんな彼が突出した才覚を発揮させたのは新暦1242年、19歳の頃だった。親の計らいで、半ば無理矢理王国騎士団に入団させられたサウロンは、その鋭い観察眼と、今まで蓄えてきた知識、一度見たものは忘れず記憶する思慮深い頭脳を遺憾なく発揮し、次々と難事件を解決に導き「サウロンに解けぬ事件なし」と歌われ一躍時の人となる。が、しかし、そんな彼でも解けない事件があった。
それは、夜の種族と呼ばれるモノが関わる事件である。
夜の種族とは何なのか・・・何処から来て何処に行くのか、何の為に生きているのか、そもそも生き物なのか、それすらも分からず、ただ分かっている事は、突然現れ、害悪を撒き散らし、忽然と消える存在ということ。それは人類の敵という名を冠するには十分であり、王国側も秘密裏にソレを処理している。
元来、知識の探求が三度の飯より好きなサウロンは、自分の今まで蓄えた知識、そして、そこから紡ぎ出された理から一線を画した夜の種族という慮外の存在に歓喜し、のめり込んでいった。
1247年、サウロン24歳の冬、騎士団を辞めた彼は、異例の若さでヴェラヘイム王立学院の教授となる。もともと、親の意思で入団させられた騎士団に思い入れはなく、学院の、一般公開されていない文献や禁書の類を閲覧する事ができる教授という職は、長年の彼の夢でもあった。
しかし、実績無しでは教授になる事はできず、やむをえず入った騎士団での実績が「犯罪心理学」教授への道しるべとなった事は、サウロンにとってうれしい誤算であった。
そして、サウロンは、隠された歴史の闇と、本を通じて対面する事となる。
狂気に彩られた知られざる歴史、不可解な事象。それらはまるで、夢物語のような奇怪さで、サウロンを蝕み、魅了した。本来ならば作り話だと笑い飛ばしてるような記録さえ、騎士団時代に何度か味わった奇妙な体験、常日頃から感じていた歴史の矛盾や、この世界の抱える違和感、それらを当てはめ考えると、身震いするかなような美しい一致を見出せた。
1254年、彼の元へ国王から直々に手紙が送られてきた。それは依頼書という名の招待状で、彼を本格的に夜の世界へと導く、そしてそれは、越えると決して戻ることのできない、正気と狂気との事象の地平線でもあった・・・。
ぎぎぎぎぎーーーーぎぎぎぎーーー
悪霊に付かれたコオロギのような音を発する訪問者用ベルの音にサウロンは顔を顰めた。電気を使った珍しい仕掛けの装置に、好奇心で設置してみたものの、その神経を逆撫でする騒音は不愉快以外のなにものでもなく、それに合わせて、有意義な孤独の時を他人に邪魔される合図ともなれば、いよいよと、サウロンはベルに繋がる電気コードに手を伸ばす。
「先輩!!いるんなら返事くらいして下さいよ~~何のために付けたベルなんですか?」
「あーヴィクター君かね、わざわざ奇人変人の館まで赴いてもらって悪いのだがね、私は今糖分をきらしていてね。ヴィクター君なら御存知だと思うが、私は糖分がなければ動けない性分でね。騎士団の依頼ならばまた後日、それ以外の依頼もまた後日、あぁ、たのんでおいた本が来たというのであれば動くのもやぶさかではない、君がサインしてここまで持ってきてくれたまえ。」
ヴィクター・トロイエム。
彼はサウロンが入団していた騎士団に所属する、言わばサウロンの後輩であるが、貴族の嫡男として甘やかされて育ったヴィクターに首都の治安維持などが勤まるわけもなく、団内ではお荷物扱いされ、果てはサウロンへの依頼配達が唯一の仕事となってしまった、哀れな落ちこぼれ騎士である。
「残念ながら本の類は来てませんよ。それより依頼です。」
それを聞いたサウロンはあからさまに嫌な顔をし、シッシと追い返すように手を振るが、ヴィクターの次の言葉に反応する。
「国王直々の依頼です。何でも急ぎの用とかってうわ!!」
ヴィクターの手から依頼書を捥ぎ取ると、サウロンは王家の紋章が刻印された蝋を剥ぎ内容を確認する。
「ヴィクター君、君も人が悪い・・・いやいやしかし、久しぶりに骨のある依頼内容だね、早速準備に取り掛からなくては。」
まるで陸から水に戻した魚の様に生き生きと荷造りをし始めるサウロンをヴィクターは訝しげに見つめながら依頼内容を問おうかと口を開くが、その口から言葉が紡ぎ出されるすんででサウロンに止められる。
「ヴィクター君、深淵を覗くならば、深淵も等しく君を見返すのだ。自分の領分を弁える事ができなければ、待っているものは己が破滅のみ。」
いつもとはまるで雰囲気の違うサウロンにヴィクターは言葉を呑まざるおえなかった。
「うむ、では出かけてくる。戸締りをよろしくたのむよ?」
「あの・・・・サウロン様はどちらへ?」
「これはこれは、クライン殿!!先輩なら今しがたお出かけになりましたよ?」
ケーキと10カロンのキャンディーを抱えたフランジェリカは、戸締りをしていたヴィクターの言葉を聞き、へたりとその場にしゃがみこんだ。
「クライン殿!!お具合でも悪いのですか?もしよろしければお荷物をお持ちいたしましょう。」
フランジェリカは溢れ出しそうな涙を拭うと
わたくしが遅すぎてしまったのだわ。あぁ、サウロン様はキャンディをお持ちにならないままお出かけになられてしまった。わたくしの足が遅いばかりに・・・。
そう嘆くのであった。