鈍愛
流行作家・桐生廉は、死者を食って生きていた。
亡くなった人間の周辺を嗅ぎ回り、悲しみの形を言葉にする。いや、正確には「形にするふりをして歪める」。読者が欲しがる涙の輪郭へと削り出す。その過程で、事実はしばしば邪魔になった。
今回の標的は、人気芸人・早坂俊介の死だった。
急逝。理由は曖昧。ファンは泣き、メディアは飽和し、そして沈黙が生まれた。
桐生はその沈黙に刃を入れた。
――未亡人は冷たい女だった。
――夫の成功に寄生していた。
――最後の夜、二人は激しく言い争っていた。
証拠はない。だが、文章は滑らかだった。まるで真実のように読めた。SNSは燃え、記事は拡散し、桐生の名前は再び頂点に浮かび上がった。
そして、彼女は現れた。
早坂の妻、綾音。
最初は抗議だった。次に告発。そして沈黙。流行作家、桐生康は、関西弁でせせら笑った。
「わしが嘘ついたなんて、そんなもん。吐きますかい。言いますかいって、そんなもん。そもそも、小説家ってのは、剽窃家なんや。なんなら、裁判でもやりましょか?そんなん、嘘をいちいち馬鹿正直に反省していたら、際限がない、『永遠のゲロ』になりまっせ!!って、誰が上手いこと、言えって言ったんや!」
と、ノリツッコミをして舌を出す。
彼女は沈黙で応じるが、その沈黙は不気味であり、桐生が知る種類のものではなかった。
記事の更新から半年後、桐生の家に一通の手紙が届いた。
「あなたの書いたもの、全部読みました」
それだけだった。
不気味だ、と桐生は思った。だが同時に、どこか満足もしていた。届いている、刺さっている。自分の言葉が誰かの人生を動かしているという実感は、彼にとって麻薬に近かった。
さらに数週間後、彼の周囲で奇妙なことが起き始めた。
講演が突然中止になる。出版社との契約が見直される。過去の原稿に対する告発が匿名で届く。小さな亀裂が、ゆっくりと広がっていく。
綾音の名前は、どこにもなかった。
だが、彼女の気配だけがあった。
ある夜、桐生は自宅の書斎で次の原稿を書いていた。テーマは「愛の記憶」。皮肉なものだと自分で思いながら、彼はキーを叩く。
そのとき、遠くで低い音がした。
雷かと思った。だが違う。規則的ではない。鈍い、重い響き。
彼は窓に近づいた。
暗闇の向こう、何かが動いている気がした。視界の端で、光が瞬く。
次の瞬間、世界が揺れた。
窓ガラスが砕け、空気が押し寄せ、音がすべてを塗りつぶした。
桐生は床に叩きつけられた。耳鳴りの中で、彼はようやく理解する。
狙われている。
理由は、分かりすぎるほど分かっていた。
這うようにして机の影に身を寄せると、彼の視界に一枚の紙が入り込んだ。いつの間にか、そこに置かれていた。
白い紙に、黒い文字。
「あなたは、物語を愛しているのではなく、壊すことを愛している」
震える手で紙を拾う。
その裏に、もう一行。
「だから、あなたにも同じものをあげます」
外で、再び光が走った。
桐生は初めて、自分が書いてきた「愛」という言葉の重さを考えた。
それは、誰かを理解することではなかった。
ただ、近づいて、削って、形を変えて、自分のものにすること。
鈍く、執拗な、暴力だった。
そして今、その暴力が、彼に返ってきている。
綾音は、きっとまだどこかにいる。
顔も見せず、名前も出さず、ただ確実に、彼の世界を削り取っている。
それは激しい憎しみではなかった。
もっと静かで、逃れられないもの。
愛に似ていた。
ただし、それは――鈍い愛だった。
精神的な攻撃の他にも、更に、物理的なダメ押しがあった。
乾いた桐生の瞳は、暗闇の中からそれを見つめていたが、何を思っているのかはわからない。
破れた窓の向こうに、小高い丘があって、グレネードランチャーを手にした、着物姿の綾音がいた。
桐生の身体は、全てが吹き飛んだ部屋の中、黒煙の中に紛れているが、恐らく万に一つも助かることはないだろう。
次の瞬間、彼の豪邸が音を立てて崩壊する。




