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ラーメンの神様 〜里帰り、あるいは出稼ぎ〜

作者: 黒犬
掲載日:2026/04/18

ルーロー飯のお肉の形状が地域ごとに違う、という夕食時の雑談からなぜか台湾ラーメンに飛び火し、気がついたらそのまま AI と壁打ちしながら書いていた、そんな作品です。

 

 名古屋に、ラーメンの神様でもいるのかもしれない――と、一瞬だけ本気で思った。


 湯気の向こうで、真っ赤なスープがぐつぐつと揺れている。唐辛子とニンニクの匂いが、昼下がりの店内にみっちりと詰まっていた。


「先輩、これ、本当に大丈夫なやつですか……?」


 向かいの席で、後輩の小田おだが、恐る恐るレンゲを構えている。


 目の前には、挽き肉とニラがこんもり盛られた台湾ラーメン。見た目の時点で、すでに辛さの警告音が鳴り響いていた。


「大丈夫だ。たぶん。人は辛さで死にはしない」


「"たぶん"って言いましたよね今」


 隣で同僚の三輪みわがくすりと笑う。


「心配すんな小田君。名古屋まで来て"味噌カツ"で済ませるか、"台湾ラーメン"で一歩踏み込むか。人生の分かれ道だぞ」


「三輪さん、それフラグじゃないですよね!?」


 そんなやり取りをしている間に、俺の丼も運ばれてきた。脳が「危険物」と認識する色だ。


 だが、名古屋に来てこれを食わないのは、観光に来てホテルでカップ麺ですませるようなものだろう。


「いただきます」


 軽く息を吹きかけて、麺をすする。


 ――辛い。普通に辛い。


 だが、その後から、脂と旨味が舌の奥を撫でていく。辛さの裏側に、妙に丁寧なスープの仕事が隠れている。


「……あー。やっぱり旨いな、これ」


「せんぱい、どんな顔してます?」


「"唐辛子に殴られながら抱きしめられてる"みたいな顔だ」


「どんな顔ですかそれ!?」


 ビビっていた小田も覚悟を決めたのか、レンゲでスープをひとすくいして、そっと口に運んだ。


 一秒、二秒。


「……っっ!」


 目の端に光が宿る。次の瞬間、彼は丼に顔を近づける勢いで、もう一口スープを飲んだ。


「うわ、なにこれ……! 辛いのに、辛いのが続いてほしい……!」


「中毒者の第一声だぞそれは」


「違うんですってば……! なんかこう、辛さと旨さの間に高速道路通ってません? 料金所ゼロのやつ!」


「語彙力が事故ってるぞお前」


 三輪が笑いながらビールを一口飲む。


「でもまあ、分かる。これは、人生で一回食べると"二回目"が確定するタイプの味だ」


「ですね! これ、人生で一回だけとか無理です!」


 そう言って、小田は麺を勢いよくすすった。汗が額に浮かぶ。それでも箸は止まらない。


 そして――丼の底が見えたころ。彼は、レンゲを置いて、妙に真剣な顔で言った。


「先輩」


「なんだ」


「本場の台湾ラーメンを食べに、いつか台湾に行きたいです!」


 俺は、箸を持ったまま固まった。


「……いや、ここが本場なんだが」


「え?」


「え? じゃない。今、名古屋にいて、名古屋発祥の台湾ラーメン食ってる自覚あるか?」


 小田はきょとんと目を丸くする。


「えっ、でも"台湾ラーメン"ですよね。だったら、本場は台湾じゃないんですか?」


 ――ダメだ。根っこから間違っている。


 言い返そうと口を開きかけたところで、三輪が横から口を挟んだ。


「勘違いは勘違いのままにしておくのが、本人の幸せのためだぞ」


「三輪さん。あなたが一番よくない大人ですからね」


「ほら、夢を見る若者から"正しさ"を取り上げるなよ。ラーメン一杯で異国に憧れるなんて、健全じゃないか」


「その健全さ、方向さえ合ってればな」


 小田は、そんな俺たちのやり取りをまるで気にしていない。


「じゃあ、決まりですね。いつか本場の台湾ラーメンを食べに、台湾行ってきます!」


「どのタイミングで決まったんだよ」


「"いつか"って、何年後のつもりだ?」と三輪。


「えっと……パスポートとお金が貯まり次第、ですかね!」


「思ったより早いな!?」


 辛さとは別ベクトルの冷や汗が、背中を伝った。


 ◇


 決断は、冗談で言った翌日、現実のものになった。


「先輩、見てください!」


 デスクに座った俺の背後から、小田がタブレットを突き出してくる。画面には、航空会社の予約画面。


「来週の金曜、午後の便で台湾行けます!」


「仕事中に何をしてるのかな?」


「休憩時間です! ちゃんとタイムカード切ってます!」


 そこは律儀なんだよなこいつ。


「で、パスポートは?」


「この前、"海外行ってみたいなー"って思って作ったやつがあるので!」


「備えだけは一丁前か」


 三輪が、何処からともなく現れてモニターを覗き込む。


「へえ、本当に手配してるな。で、休みはどうするんだ?」


「そこなんですよね……有給申請、今書いてるところで」


 そう言って、小田は申請フォームの画面を表示する。


 休暇理由:

『台湾ラーメン本場調査』


「消せ。今すぐ消せ。それは人事の人の心に一生残るやつだ」


「えっ、でも嘘はよくないかなって」


「こういう時は"私用"って便利な言葉があってだな」


「便利ですね"私用"……」


 感心するところじゃない。


「じゃ、じゃあ"海外視察"にします。"何の"とは書いてないのでセーフですよね?」


「お前、将来どこかの議事録に載りそうな言い回し使うなよ」


 三輪が肩をすくめる。


「まあいいじゃないか。で、誰かついていくのか?」


「えっ、一人で行くつもりですが?」


「こいつを一人で海外に放つの、普通にリスク高くないですか?」


「高いな。空港で、"台湾ラーメンはどこで売ってますか"って全力で聞きまくる未来が見える」


「それはそれで、現地の人と仲良くなれるかも」


 三輪が、悪い笑い方をした。


「監視役が必要だな。なあ、先輩」


「嫌な予感しかしない"なあ"だな」


「ここで止めないと、"なんで止めなかったんだ"って言われるやつだぞ。部署的に」


「その理屈で人を海外に連れて行くな」


 小田が、ぱっと顔を輝かせる。


「先輩、一緒に本場の台湾ラーメン食べに行きましょうよ!」


「いやだから、本場は――」


 言いかけて、俺は口を閉じた。


 三輪が、ビシッと背中を叩く。


「ほら、"勘違いは勘違いのままに"ってやつだ」


「自分の発言をこんな勢いで悪用するな」


 ……結局、有給申請欄には「私用(海外旅行)」と書かれた。申請は、あっさり通った。


 ◇


 台湾は、思っていたよりも近かった。


 飛行機を降りた瞬間、むわっとした湿気と、どこか甘い香りが鼻をくすぐる。


「着きましたね、台湾!」


 小田は、子どもの遠足みたいなテンションで辺りを見回している。


「ラーメン一杯で国境を越えた人間のテンションだな」


「先輩、なんか誇りある言い方してください!」


 空港を出て、市内へ向かう。車窓には漢字だらけの看板。牛肉麺、小籠包、魯肉飯――腹が鳴りそうな文字列が並んでいる。


「おお、なんか、こう……"異国に来た!"って感じしますね!」


「文字の種類が変わると、急に外国感増すよな」


「でも、漢字読めるからギリギリ雰囲気で分かるのがまた楽しいです」


「"雰囲気で分かった気になる"のはお前の悪い癖だぞ」


 ホテルに荷物を置いていると、俺のスマホがぶるりと震えた。三輪からのメッセージだ。


『本場、見つかったか?』


 絵文字ひとつない、短い一文。悪意の圧縮率が高い。


『まだだ。市内これから』


『吉報を待ってる。部署全員で』


「部署全員で待つな」


 思わず声に出してしまった。


「どうしました?」


「いや、こっちの話だ。行くぞ」


 ◇


 身軽になって街へ出た。駅前の通りには、飲食店がずらりと並んでいる。


「よし、探しましょう、台湾ラーメン!」


 小田は、看板を一枚一枚チェックし始めた。


「牛肉麺……魯肉飯……小籠包……」


「どれも普通に旨そうだから困る」


「でも、"台湾ラーメン"って文字が見当たりませんね」


 ――そりゃそうだ、と喉元まで出かかった言葉を、ぐっと飲み込む。


「とりあえず、どこか入ってみるか。現地のラーメン事情も知りたいし」


「そうですね!」


 入ったのは、地元の人で賑わう小さな食堂だった。壁には写真付きのメニュー。そこにも、牛肉麵の文字がでかでかと載っている。


「Excuse me……」


 小田が、メニューを抱えてカウンターに近づいた。


「Taiwan…… Ramen……?」


 店員の女性は、一瞬きょとんとした顔をしたあと、首をかしげた。


「?……沒有、沒有(ないよ、ないない)……牛肉麵、怎麼樣?(牛肉麺ならどう?)」


「オー、ニョウロウミェン……」


 小田が振り返る。


「先輩、"ニョウロウミェン"って、台湾ラーメンの現地名ですかね?」


「いや、それは多分"牛肉麵"そのままだ」


「まぎらわしい!」


「どこにも紛れてないだろ」


 結局、牛肉麺を頼むことにした。太めの麺と、やわらかく煮込まれた牛肉。スープは八角の香りが強くて、これはこれでしみじみとうまい。


「これもおいしいですけど……なんか、違いますね」


「そりゃ同じ"台湾のラーメン"でも、別種だからな」


「"台湾ラーメン"って、やっぱり日本で魔改造された系なんですかね」


 そこまで言えてて、どうして「本場は台湾」だと思い続けられるのか。人間の脳は不思議だ。


 ◇


 その後も、俺たちは数軒の店を回った。


 二軒目の担々麺専門店で、「タイワン、ラーメン」と尋ねる小田に、若い店員は少し考えてから言った。


「……アー、ナゴヤ?」


「え?」


「ナゴヤ、ラーメン?」


「いえ、タイワン、ラーメンです」


「タイワン、ラーメン、ナイ。ナゴヤ、ラーメン、アルトコロ、アル」


 小田は、真顔で固まった。


「……先輩、今、"名古屋"って聞こえました?」


「聞こえたな」


「僕の台湾ラーメン、なんで名古屋で回収されかけてるんですか」


「それはこっちが聞きたい」


 三軒目、四軒目でも同じだった。店員に「タイワン、ラーメン」と言うたび、誰かしらが「ナゴヤ?」と返してくる。


 五軒目の屋台で、人のよさそうなおじさんに聞いたとき、決定打が出た。


「タイワン、ラーメン?」


「あー、日本の名古屋のやつね? 辛いの。ミンチ乗ってるの」


「……あ、はい、それです、多分!」


「あれ、台湾にはないよ。名前だけ"台湾"ね。日本が勝手につけたの」


 おじさんは、からからと笑った。


 普通なら、ここで気づく。


「そっか……名前だけ"台湾"……」


 小田は、少し黙ってから、ぽつりと言った。


「じゃあ、やっぱり、本場の人しか知らない隠しメニュー系ですね」


「どこをどう聞いたらそうなるんだ!?」


「だって、『名前だけ』って、謙遜っぽいじゃないですか。本当はあるけど観光客には出さない、みたいな」


「お前の頭の中、ずっとRPGなんか?」


「ラスボス戦の前の村人情報、全部疑ってかかる派なので」


「その姿勢を現実に持ち込むな」


 スマホがまた震える。三輪だった。


『どうだ、本場ラーメン外交は』


『後輩が隠しメニュー説を唱え始めた』


『育ってるな』


「何が育ってるんだよ」


 また声に出てしまった。


 ◇


 帰国前日。俺たちは、空港のフードコートで遅めの昼飯をとることにした。


「結局、台湾で台湾ラーメン、見つかりませんでしたね……」


 トレーを持ったまま、小田がしょんぼりと言う。


「そもそもな――」


 また説明しかけて、やめる。


 ここで全部正してしまうのは、なんとなく、彼から何かを奪う行為のような気がした。


「ま、現地の牛肉麺とか魯肉飯とか食えたんだし、それはそれで"本場の味"だろ」


「それはそうなんですけど……」


 そんな会話をしながら店を物色していると、ふと目に入った看板に、俺の足が止まった。


 赤い提灯。ネオンの縁取り。その下に、太い書体の漢字。


 最初は、"拉麺"の二文字しか読めなかった。よくある中華系の麺屋だろうと、一度は視線を通り過ぎさせた。


 だが、二歩進んだところで、脳が遅れて警報を鳴らした。


 戻って、もう一度見る。


『名古屋拉麺

 NAGOYA RAMEN』


「……名古屋……拉麺……?」


 追いついてきた小田が、看板を読み上げて、固まった。


「あるんだよなあ、こういうの……」


 俺は乾いた笑いを漏らす。


「名古屋で台湾ラーメンが"名物"で、台湾で名古屋拉麺が"ラーメン"として売られてるの、なんか、世界のラベル付けがバグってません?」


「Git管理、破綻してるな」


「朝イチでマージ失敗してる感じありますね」


 小田は、真剣に考え込む顔をした。


「つまり……」


「うん?」


「名古屋で台湾ラーメンが"本場"で、台湾で名古屋拉麺が"本場"ってことは……」


「うん」


「名古屋と台湾が相互に本場を送り合う、ラーメン外交……?」


「そんな大業な話にするな。せいぜいB級グルメサミット規模だ」


「でも、なんかちょっとかっこよくないですか? "両国はラーメンを通じて友好を深め"みたいな」


「勝手に共同声明出すな」


 メニュー写真を見る限り、その「名古屋拉麺」は、見覚えのある赤さをしていた。挽き肉らしきものも乗っている。


「せっかくだし、食ってみるか」


「賛成です!」


 壁に向いたカウンター席に並んで腰を下ろし、注文する。しばらくして運ばれてきた丼は、確かにどこかで見たことのある姿をしていた。だが、盛り付けやスープの濁り具合が、微妙に違う。


「いただきます」


 同時に麺をすする。


「……お」


 唐辛子の攻撃力は、名古屋の店ほどではない。代わりに、何か別の香辛料の香りが立っている。辛さと旨味のバランスが、ほんの少しだけ、異国寄りだ。


「これも、普通に旨いな」


「ですね……! 名古屋で食べた台湾ラーメンとはちょっと違うんですけど、こっちはこっちで完成されてますよ!」


「語彙力は"こっちはこっちで"しかないのかお前は」


 それでも、嬉しそうに食べている顔を見ると、ツッコミも弱くなる。


 丼が空になり、小田は大きく息をついた。


「ふぅ……」


 そして、満足げに笑った。


「いつか――」


 嫌な予感が、背筋を走る。


「いつか、本場の名古屋ラーメンを食べに、名古屋に行きたいです!」


 俺は、条件反射でテーブルに突っ伏した。


「だから今食ってんのが"名古屋から出張してきたほう"の名古屋なんだよ! とかツッコませる気か……!」


 その瞬間、背後の席から、盛大な音が響いた。


「ブフッ!」


 続いて、「ゴホッ、ゴホッ」とむせる音。


 振り返らなくても分かる。どうやら、日本語が分かる観光客が、すぐそこにいたらしい。


 小田がきょとんと振り向く。


「どうしたんですかね?」


「気にすんな。世界のどこでも、ラーメンを前にした日本人のリアクションは似たようなもんだ」


「そういうものですか?」


 スマホが震えた。三輪だった。


『収穫は?』


 俺は、しばらく画面を見つめてから、短く返した。


『後輩が次は本場の名古屋ラーメンを食いに行きたいと言い出した』


 既読がついて、返信はすぐ来た。


『育ったな』


「だから何が育ってるんだよ」


 三度目の独り言に、小田が怪訝な顔をする。


「先輩、さっきからスマホに話しかけてません?」


「お前の育成ログをつけてる人がいるんだよ」


「え、怖」


 俺は、体を起こして、空になった丼を見た。


 台湾で名古屋拉麺を食って、「本場の名古屋ラーメン」を夢見る後輩。


 名古屋で台湾ラーメンを食って、「本場の台湾ラーメン」を夢見てここまで来た後輩。


 ――たぶんこいつの中では、「ラーメンが旨ければそこが本場」なんだろう。


 ラベルがどうであれ、元祖がどこだろうと、目の前の一杯に全力で感動できるなら、それはそれで、強い。


「先輩?」


「なんだ」


「次は何の本場探しましょう」


「何のって、何」


「ギョウザとか、チャーハンとか、カレーとか」


「お前それ全部中華……カレー?」


「うまいものサミット第二回、ですよ」


「勝手にシリーズ化するな」


 そう言いつつ、俺も笑っていた。


 名古屋に、ラーメンの神様はいなかったかもしれない。


 ただ、台湾の空港のフードコートで、その神様が出稼ぎしてる可能性は、否定できない気がした。


 ラーメンの湯気の向こうで、世界は案外、単純にできているのかもしれない――と、そんなことを考えながら。


お読みいただきありがとうございました。

……ごちそうさまでした。

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― 新着の感想 ―
面白い上にお腹が空きました笑 無性に名古屋ラーメンやら魯肉飯が食べたいです。
面白かったです。
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