ラーメンの神様 〜里帰り、あるいは出稼ぎ〜
ルーロー飯のお肉の形状が地域ごとに違う、という夕食時の雑談からなぜか台湾ラーメンに飛び火し、気がついたらそのまま AI と壁打ちしながら書いていた、そんな作品です。
名古屋に、ラーメンの神様でもいるのかもしれない――と、一瞬だけ本気で思った。
湯気の向こうで、真っ赤なスープがぐつぐつと揺れている。唐辛子とニンニクの匂いが、昼下がりの店内にみっちりと詰まっていた。
「先輩、これ、本当に大丈夫なやつですか……?」
向かいの席で、後輩の小田が、恐る恐るレンゲを構えている。
目の前には、挽き肉とニラがこんもり盛られた台湾ラーメン。見た目の時点で、すでに辛さの警告音が鳴り響いていた。
「大丈夫だ。たぶん。人は辛さで死にはしない」
「"たぶん"って言いましたよね今」
隣で同僚の三輪がくすりと笑う。
「心配すんな小田君。名古屋まで来て"味噌カツ"で済ませるか、"台湾ラーメン"で一歩踏み込むか。人生の分かれ道だぞ」
「三輪さん、それフラグじゃないですよね!?」
そんなやり取りをしている間に、俺の丼も運ばれてきた。脳が「危険物」と認識する色だ。
だが、名古屋に来てこれを食わないのは、観光に来てホテルでカップ麺ですませるようなものだろう。
「いただきます」
軽く息を吹きかけて、麺をすする。
――辛い。普通に辛い。
だが、その後から、脂と旨味が舌の奥を撫でていく。辛さの裏側に、妙に丁寧なスープの仕事が隠れている。
「……あー。やっぱり旨いな、これ」
「せんぱい、どんな顔してます?」
「"唐辛子に殴られながら抱きしめられてる"みたいな顔だ」
「どんな顔ですかそれ!?」
ビビっていた小田も覚悟を決めたのか、レンゲでスープをひとすくいして、そっと口に運んだ。
一秒、二秒。
「……っっ!」
目の端に光が宿る。次の瞬間、彼は丼に顔を近づける勢いで、もう一口スープを飲んだ。
「うわ、なにこれ……! 辛いのに、辛いのが続いてほしい……!」
「中毒者の第一声だぞそれは」
「違うんですってば……! なんかこう、辛さと旨さの間に高速道路通ってません? 料金所ゼロのやつ!」
「語彙力が事故ってるぞお前」
三輪が笑いながらビールを一口飲む。
「でもまあ、分かる。これは、人生で一回食べると"二回目"が確定するタイプの味だ」
「ですね! これ、人生で一回だけとか無理です!」
そう言って、小田は麺を勢いよくすすった。汗が額に浮かぶ。それでも箸は止まらない。
そして――丼の底が見えたころ。彼は、レンゲを置いて、妙に真剣な顔で言った。
「先輩」
「なんだ」
「本場の台湾ラーメンを食べに、いつか台湾に行きたいです!」
俺は、箸を持ったまま固まった。
「……いや、ここが本場なんだが」
「え?」
「え? じゃない。今、名古屋にいて、名古屋発祥の台湾ラーメン食ってる自覚あるか?」
小田はきょとんと目を丸くする。
「えっ、でも"台湾ラーメン"ですよね。だったら、本場は台湾じゃないんですか?」
――ダメだ。根っこから間違っている。
言い返そうと口を開きかけたところで、三輪が横から口を挟んだ。
「勘違いは勘違いのままにしておくのが、本人の幸せのためだぞ」
「三輪さん。あなたが一番よくない大人ですからね」
「ほら、夢を見る若者から"正しさ"を取り上げるなよ。ラーメン一杯で異国に憧れるなんて、健全じゃないか」
「その健全さ、方向さえ合ってればな」
小田は、そんな俺たちのやり取りをまるで気にしていない。
「じゃあ、決まりですね。いつか本場の台湾ラーメンを食べに、台湾行ってきます!」
「どのタイミングで決まったんだよ」
「"いつか"って、何年後のつもりだ?」と三輪。
「えっと……パスポートとお金が貯まり次第、ですかね!」
「思ったより早いな!?」
辛さとは別ベクトルの冷や汗が、背中を伝った。
◇
決断は、冗談で言った翌日、現実のものになった。
「先輩、見てください!」
デスクに座った俺の背後から、小田がタブレットを突き出してくる。画面には、航空会社の予約画面。
「来週の金曜、午後の便で台湾行けます!」
「仕事中に何をしてるのかな?」
「休憩時間です! ちゃんとタイムカード切ってます!」
そこは律儀なんだよなこいつ。
「で、パスポートは?」
「この前、"海外行ってみたいなー"って思って作ったやつがあるので!」
「備えだけは一丁前か」
三輪が、何処からともなく現れてモニターを覗き込む。
「へえ、本当に手配してるな。で、休みはどうするんだ?」
「そこなんですよね……有給申請、今書いてるところで」
そう言って、小田は申請フォームの画面を表示する。
休暇理由:
『台湾ラーメン本場調査』
「消せ。今すぐ消せ。それは人事の人の心に一生残るやつだ」
「えっ、でも嘘はよくないかなって」
「こういう時は"私用"って便利な言葉があってだな」
「便利ですね"私用"……」
感心するところじゃない。
「じゃ、じゃあ"海外視察"にします。"何の"とは書いてないのでセーフですよね?」
「お前、将来どこかの議事録に載りそうな言い回し使うなよ」
三輪が肩をすくめる。
「まあいいじゃないか。で、誰かついていくのか?」
「えっ、一人で行くつもりですが?」
「こいつを一人で海外に放つの、普通にリスク高くないですか?」
「高いな。空港で、"台湾ラーメンはどこで売ってますか"って全力で聞きまくる未来が見える」
「それはそれで、現地の人と仲良くなれるかも」
三輪が、悪い笑い方をした。
「監視役が必要だな。なあ、先輩」
「嫌な予感しかしない"なあ"だな」
「ここで止めないと、"なんで止めなかったんだ"って言われるやつだぞ。部署的に」
「その理屈で人を海外に連れて行くな」
小田が、ぱっと顔を輝かせる。
「先輩、一緒に本場の台湾ラーメン食べに行きましょうよ!」
「いやだから、本場は――」
言いかけて、俺は口を閉じた。
三輪が、ビシッと背中を叩く。
「ほら、"勘違いは勘違いのままに"ってやつだ」
「自分の発言をこんな勢いで悪用するな」
……結局、有給申請欄には「私用(海外旅行)」と書かれた。申請は、あっさり通った。
◇
台湾は、思っていたよりも近かった。
飛行機を降りた瞬間、むわっとした湿気と、どこか甘い香りが鼻をくすぐる。
「着きましたね、台湾!」
小田は、子どもの遠足みたいなテンションで辺りを見回している。
「ラーメン一杯で国境を越えた人間のテンションだな」
「先輩、なんか誇りある言い方してください!」
空港を出て、市内へ向かう。車窓には漢字だらけの看板。牛肉麺、小籠包、魯肉飯――腹が鳴りそうな文字列が並んでいる。
「おお、なんか、こう……"異国に来た!"って感じしますね!」
「文字の種類が変わると、急に外国感増すよな」
「でも、漢字読めるからギリギリ雰囲気で分かるのがまた楽しいです」
「"雰囲気で分かった気になる"のはお前の悪い癖だぞ」
ホテルに荷物を置いていると、俺のスマホがぶるりと震えた。三輪からのメッセージだ。
『本場、見つかったか?』
絵文字ひとつない、短い一文。悪意の圧縮率が高い。
『まだだ。市内これから』
『吉報を待ってる。部署全員で』
「部署全員で待つな」
思わず声に出してしまった。
「どうしました?」
「いや、こっちの話だ。行くぞ」
◇
身軽になって街へ出た。駅前の通りには、飲食店がずらりと並んでいる。
「よし、探しましょう、台湾ラーメン!」
小田は、看板を一枚一枚チェックし始めた。
「牛肉麺……魯肉飯……小籠包……」
「どれも普通に旨そうだから困る」
「でも、"台湾ラーメン"って文字が見当たりませんね」
――そりゃそうだ、と喉元まで出かかった言葉を、ぐっと飲み込む。
「とりあえず、どこか入ってみるか。現地のラーメン事情も知りたいし」
「そうですね!」
入ったのは、地元の人で賑わう小さな食堂だった。壁には写真付きのメニュー。そこにも、牛肉麵の文字がでかでかと載っている。
「Excuse me……」
小田が、メニューを抱えてカウンターに近づいた。
「Taiwan…… Ramen……?」
店員の女性は、一瞬きょとんとした顔をしたあと、首をかしげた。
「?……沒有、沒有(ないよ、ないない)……牛肉麵、怎麼樣?(牛肉麺ならどう?)」
「オー、ニョウロウミェン……」
小田が振り返る。
「先輩、"ニョウロウミェン"って、台湾ラーメンの現地名ですかね?」
「いや、それは多分"牛肉麵"そのままだ」
「まぎらわしい!」
「どこにも紛れてないだろ」
結局、牛肉麺を頼むことにした。太めの麺と、やわらかく煮込まれた牛肉。スープは八角の香りが強くて、これはこれでしみじみとうまい。
「これもおいしいですけど……なんか、違いますね」
「そりゃ同じ"台湾のラーメン"でも、別種だからな」
「"台湾ラーメン"って、やっぱり日本で魔改造された系なんですかね」
そこまで言えてて、どうして「本場は台湾」だと思い続けられるのか。人間の脳は不思議だ。
◇
その後も、俺たちは数軒の店を回った。
二軒目の担々麺専門店で、「タイワン、ラーメン」と尋ねる小田に、若い店員は少し考えてから言った。
「……アー、ナゴヤ?」
「え?」
「ナゴヤ、ラーメン?」
「いえ、タイワン、ラーメンです」
「タイワン、ラーメン、ナイ。ナゴヤ、ラーメン、アルトコロ、アル」
小田は、真顔で固まった。
「……先輩、今、"名古屋"って聞こえました?」
「聞こえたな」
「僕の台湾ラーメン、なんで名古屋で回収されかけてるんですか」
「それはこっちが聞きたい」
三軒目、四軒目でも同じだった。店員に「タイワン、ラーメン」と言うたび、誰かしらが「ナゴヤ?」と返してくる。
五軒目の屋台で、人のよさそうなおじさんに聞いたとき、決定打が出た。
「タイワン、ラーメン?」
「あー、日本の名古屋のやつね? 辛いの。ミンチ乗ってるの」
「……あ、はい、それです、多分!」
「あれ、台湾にはないよ。名前だけ"台湾"ね。日本が勝手につけたの」
おじさんは、からからと笑った。
普通なら、ここで気づく。
「そっか……名前だけ"台湾"……」
小田は、少し黙ってから、ぽつりと言った。
「じゃあ、やっぱり、本場の人しか知らない隠しメニュー系ですね」
「どこをどう聞いたらそうなるんだ!?」
「だって、『名前だけ』って、謙遜っぽいじゃないですか。本当はあるけど観光客には出さない、みたいな」
「お前の頭の中、ずっとRPGなんか?」
「ラスボス戦の前の村人情報、全部疑ってかかる派なので」
「その姿勢を現実に持ち込むな」
スマホがまた震える。三輪だった。
『どうだ、本場ラーメン外交は』
『後輩が隠しメニュー説を唱え始めた』
『育ってるな』
「何が育ってるんだよ」
また声に出てしまった。
◇
帰国前日。俺たちは、空港のフードコートで遅めの昼飯をとることにした。
「結局、台湾で台湾ラーメン、見つかりませんでしたね……」
トレーを持ったまま、小田がしょんぼりと言う。
「そもそもな――」
また説明しかけて、やめる。
ここで全部正してしまうのは、なんとなく、彼から何かを奪う行為のような気がした。
「ま、現地の牛肉麺とか魯肉飯とか食えたんだし、それはそれで"本場の味"だろ」
「それはそうなんですけど……」
そんな会話をしながら店を物色していると、ふと目に入った看板に、俺の足が止まった。
赤い提灯。ネオンの縁取り。その下に、太い書体の漢字。
最初は、"拉麺"の二文字しか読めなかった。よくある中華系の麺屋だろうと、一度は視線を通り過ぎさせた。
だが、二歩進んだところで、脳が遅れて警報を鳴らした。
戻って、もう一度見る。
『名古屋拉麺
NAGOYA RAMEN』
「……名古屋……拉麺……?」
追いついてきた小田が、看板を読み上げて、固まった。
「あるんだよなあ、こういうの……」
俺は乾いた笑いを漏らす。
「名古屋で台湾ラーメンが"名物"で、台湾で名古屋拉麺が"ラーメン"として売られてるの、なんか、世界のラベル付けがバグってません?」
「Git管理、破綻してるな」
「朝イチでマージ失敗してる感じありますね」
小田は、真剣に考え込む顔をした。
「つまり……」
「うん?」
「名古屋で台湾ラーメンが"本場"で、台湾で名古屋拉麺が"本場"ってことは……」
「うん」
「名古屋と台湾が相互に本場を送り合う、ラーメン外交……?」
「そんな大業な話にするな。せいぜいB級グルメサミット規模だ」
「でも、なんかちょっとかっこよくないですか? "両国はラーメンを通じて友好を深め"みたいな」
「勝手に共同声明出すな」
メニュー写真を見る限り、その「名古屋拉麺」は、見覚えのある赤さをしていた。挽き肉らしきものも乗っている。
「せっかくだし、食ってみるか」
「賛成です!」
壁に向いたカウンター席に並んで腰を下ろし、注文する。しばらくして運ばれてきた丼は、確かにどこかで見たことのある姿をしていた。だが、盛り付けやスープの濁り具合が、微妙に違う。
「いただきます」
同時に麺をすする。
「……お」
唐辛子の攻撃力は、名古屋の店ほどではない。代わりに、何か別の香辛料の香りが立っている。辛さと旨味のバランスが、ほんの少しだけ、異国寄りだ。
「これも、普通に旨いな」
「ですね……! 名古屋で食べた台湾ラーメンとはちょっと違うんですけど、こっちはこっちで完成されてますよ!」
「語彙力は"こっちはこっちで"しかないのかお前は」
それでも、嬉しそうに食べている顔を見ると、ツッコミも弱くなる。
丼が空になり、小田は大きく息をついた。
「ふぅ……」
そして、満足げに笑った。
「いつか――」
嫌な予感が、背筋を走る。
「いつか、本場の名古屋ラーメンを食べに、名古屋に行きたいです!」
俺は、条件反射でテーブルに突っ伏した。
「だから今食ってんのが"名古屋から出張してきたほう"の名古屋なんだよ! とかツッコませる気か……!」
その瞬間、背後の席から、盛大な音が響いた。
「ブフッ!」
続いて、「ゴホッ、ゴホッ」とむせる音。
振り返らなくても分かる。どうやら、日本語が分かる観光客が、すぐそこにいたらしい。
小田がきょとんと振り向く。
「どうしたんですかね?」
「気にすんな。世界のどこでも、ラーメンを前にした日本人のリアクションは似たようなもんだ」
「そういうものですか?」
スマホが震えた。三輪だった。
『収穫は?』
俺は、しばらく画面を見つめてから、短く返した。
『後輩が次は本場の名古屋ラーメンを食いに行きたいと言い出した』
既読がついて、返信はすぐ来た。
『育ったな』
「だから何が育ってるんだよ」
三度目の独り言に、小田が怪訝な顔をする。
「先輩、さっきからスマホに話しかけてません?」
「お前の育成ログをつけてる人がいるんだよ」
「え、怖」
俺は、体を起こして、空になった丼を見た。
台湾で名古屋拉麺を食って、「本場の名古屋ラーメン」を夢見る後輩。
名古屋で台湾ラーメンを食って、「本場の台湾ラーメン」を夢見てここまで来た後輩。
――たぶんこいつの中では、「ラーメンが旨ければそこが本場」なんだろう。
ラベルがどうであれ、元祖がどこだろうと、目の前の一杯に全力で感動できるなら、それはそれで、強い。
「先輩?」
「なんだ」
「次は何の本場探しましょう」
「何のって、何」
「ギョウザとか、チャーハンとか、カレーとか」
「お前それ全部中華……カレー?」
「うまいものサミット第二回、ですよ」
「勝手にシリーズ化するな」
そう言いつつ、俺も笑っていた。
名古屋に、ラーメンの神様はいなかったかもしれない。
ただ、台湾の空港のフードコートで、その神様が出稼ぎしてる可能性は、否定できない気がした。
ラーメンの湯気の向こうで、世界は案外、単純にできているのかもしれない――と、そんなことを考えながら。
お読みいただきありがとうございました。
……ごちそうさまでした。




