~北九州・境界観測録~ 大根(短編)
3作目
■「あったはず」
冷蔵庫を開けて、少しだけ手が止まった。
何を取ろうとしたのか、すぐには思い出せない。
しばらくして、ああ、と気づく。
大根だ。
昨日、一本買ったはずだった。 半分に切って、ラップに包んで、下の段に入れた。
そこを見る。
ない。
奥まで覗く。 引き出しも開ける。
ない。
「親父、大根使った?」
中に声をかけると、すぐに返ってくる。
「知らんぞ」
いつも通りの声だ。
もう一度、中を見る。
やっぱり、ない。
不思議なのは、なくなったことじゃない。
あったときの感じだけが、やけにはっきりしている。
手に持った重さとか、 切ったときの音とか。
そこまで覚えているのに、 今、どこにもない。
引き戸が開いて、九十九が入ってきた。
勝手に冷蔵庫を覗いて、何も言わずにビールを取る。
「大根、見なかった?」
聞くと、少しだけ考えるようにしてから、
「ああ」
とだけ言った。
「そういうのはな」
一口飲む。
「残り方が逆になることがある」
「逆?」
「物は消える」
あっさり言う。
「触った方が残る」
冷蔵庫の中を見る。
空いているはずの場所に、 なんとなく“置いてあった感じ”だけがある。
手を伸ばしかけて、やめる。
そこに何かある気がして、触りたくなかった。
そのまま扉を閉める。
夜、もう一度だけ確認した。
やっぱり、何もない。
代わりに、まな板の上に水が残っていた。
雰囲気重視




