第8話
夜空が燃えていた。
国境の空に、無数の炎の矢が降り注ぐ。
隣国の魔導軍団──三万の兵が、王都を包囲していた。
私たちは、氷の翼を広げて最前線に降り立った。
風が冷たい。
血と焦げた魔力の臭いがする。
「エリシア!」
セイルが叫ぶ。
前方に、黒いローブの魔導師団長が立っていた。
レオハルトが密かに手を結んでいた男──ヴォルド。
「聖女など、所詮は伝説の残滓だ」
ヴォルドが哄笑する。
「今夜こそ、その首を我が王に献上する!」
瞬間、巨大な炎の槍が私たちに向かって飛んできた。
私は手を掲げた。
──氷華よ、咲け。
私の魔力が爆ぜる。
槍は空中で凍り、粉々に砕け散った。
兵士たちがざわめく。
「嘘だ……一瞬で……!」
私は一歩踏み出す。
「あなたたちは、知らないのね」
声は震えていない。
「私の力は、愛する人を傷つける者を許さない」
次の瞬間。
大地が鳴った。
王都の城壁から、国境の森まで──
一夜で咲くと言われる伝説の〈氷華の結界〉が、瞬時に展開した。
高さ百メートル。
厚さ数十メートルの、純白の氷の壁。
三万の軍勢が、完全に閉じ込められた。
「な……!?」
ヴォルドが絶叫する。
「こんな規模の結界は、歴史上ただの一人も──」
私は翼を広げて、ゆっくりと浮上した。
月光が、私の髪を銀に染める。
「私は、ただの聖女じゃない」
声が、国中に響き渡る。
「この国を、セイルを、国民を、みんなを守る女です」
セイルが、私の横に並ぶ。
彼はもう、王太子の正装を脱ぎ捨てていた。
ただの黒い外套。
でも、その瞳は王そのものだった。
「私は今日、王位継承権を放棄する」
彼の宣言が、結界を通じて王都のすべての人に届く。
「王冠より、彼女を選ぶ」
貴族会議の老臣たちが、遠くの王宮で膝をつくのが見えた。
「しかし……!」
「もう遅い」
セイルは笑った。
「僕の騎士は、もう決まっている」
彼は私の前に跪き、剣を捧げた。
「エリシア・フォン・ローズベルク。
僕の聖女、僕の愛、僕のすべて。
一生、あなたの騎士として生きさせてくれ」
涙が落ちて、氷の花になった。
私は彼の手を取って、立ち上がらせる。
「一緒に、終わらせましょう」
私たちは手をつないだ。
魔力が共鳴する。
セイルの王家の血と、私の聖女の血が融合する瞬間──
結界が光り輝いた。
「氷華の裁き(クリスタル・ジャッジメント)」
私の声が落ちた。
氷の壁が内側へ収縮し始める。
敵軍は逃げ惑う。
でも、誰も死ななかった。
氷は刃にならず、ただ敵の武器と魔力をすべて封じた。
三万の兵は、武器を失い、魔力を失い、ただの人間に戻って膝をついた。
ヴォルドが、最後に叫んだ。
「怪物……!」
私は静かに答えた。
「違うわ。
私は、愛する人を守っただけ」
結界が消える。
夜明けの光が、国境を照らす。
敵軍は降伏した。
戦争は、一夜で終わった。
私は翼を畳み、セイルの胸に倒れ込んだ。
「もう……限界……」
魔力を使い果たして、意識が遠のく。
セイルが私を抱き上げて、優しくキスをする。
「よくやった、エリシア。
君は、この国を救った」
遠くで、民衆の歓声が聞こえた。
「聖女様!」
「セイラフィール様!」
「ありがとう!!」
私たちは、もう王族じゃなかった。
ただの、恋人同士だった。
でも、それで十分だった。
だって、世界で一番大切な人が、そばにいるから。




