第1話
石が飛んできた。
ぱしっ、と小さな音がして、フードの端が跳ねた。
「……っ!」
反射的に身を屈める。
次の石は頬をかすめ、熱い線を引いた。血の匂いが鼻を突く。
「魔女だ、魔女!」
「近づいたら呪われるって!」
子供たちの声が、市場の喧騒に紛れて刺さる。
私は足早に路地へ逃げ込み、壁に背中をつけて息を整えた。
指先が震えている。
魔力が暴れそうになるのを、必死で抑え込む。
(落ち着いて、エリシア……腕輪を、腕輪を握って……)
左腕に巻かれた古びた銀の腕輪。
長年使い込んだせいで、表面は細かい傷だらけだ。
冷たい金属が肌に食い込む感触が、私の魔力を少しだけ鎮めてくれる。
……これをくれたのは、あのひと。
五年前、王立学園の裏庭で。
当時、私はまだ十二歳だった。
魔力の制御に失敗して、温室の花壇を一瞬で凍らせてしまった日。
ガラスが割れる音と、級女たちの悲鳴。
先生に引っ張られていく私を、遠くから見ていた銀髪の少年。
彼は誰にも気づかれないように近づいてきて、小さな声で言った。
「怖がらないで。これは、お守り」
差し出されたのは、この腕輪だった。
「君の魔力は強すぎる。でも、これを着けていれば暴走しない。僕が保証する」
……誰?
名前も聞けなかった。
ただ、氷のように透き通った青い瞳だけが、頭に焼きついている。
それから五年。
私はもう十七歳。
この国で「魔女」と呼ばれるようになって、三年が経つ。
最初は小さな失敗だった。
魔力の暴走で、舞踏会のシャンデリアを凍らせてしまった。
氷の破片が降り注ぎ、貴族令嬢が怪我をした。
それ以来、私は「危険人物」扱い。
公爵家の次女でありながら、実家からも遠ざけられ、王都の端にある古い屋敷に一人で住んでいる。
婚約者?
いたわよ。
隣国の第二王子、レオハルト殿下。
でも、彼は去年、私にこう言った。
「魔女と婚約しているなんて、恥ずかしい」
舞踏会の最中に、みんなの前で婚約破棄を宣言された。
周囲は拍手喝采。
私はただ、俯いて笑っただけ。
(どうせ、誰も私の味方なんていない)
そう思っていた。
……でも、違うみたい。
最近、妙なことが続いている。
石を投げてくる子供たちの後ろに、いつも同じ影がある。
黒いマントを羽織った背の高い男。
顔はフードで隠れているけど、銀色の髪が少しだけ覗いている。
石が飛んでくるたびに、その男が子供たちを睨むと、ぴたりと止む。
昨日なんて、私が転びそうになったとき、さっと腕を掴んで支えてくれた。
「……ありがとうございます」
顔を上げると、もういなかった。
残ったのは、冷たい風と、かすかな鈴の音みたいな笑い声だけ。
(まさか……あの時の少年?)
ありえない。
王立学園のあの人は、きっと高貴な身分だ。
今ごろは立派な貴族になって、私みたいな「魔女」を助ける理由なんてない。
それなのに。
腕輪が、最近少し温かい気がする。
まるで、誰かが私の魔力を、遠くから撫でてくれているみたいに。




