湯煙に包まれて(前編)
「あー、疲れた!」
セレスティアが大きく伸びをしながら言った。
神聖王国での一件を解決し、一行は帰路についていた。街道を歩いて三日目、みんなの顔には疲労の色が濃く出ている。
「お兄様、あそこに煙が見えますよ」
リシアが前方を指差した。
「本当だ。村があるのかな?」
レンが目を細めて確認する。
「今日はあそこで泊まりましょう」
エレノアが提案した。
「野宿続きで、みんな疲れてますし」
一行が近づいてみると、そこは小さな温泉村だった。湯気が立ち上る建物がいくつも並んでいて、硫黄の匂いが漂っている。
「温泉だ!」
カティアが嬉しそうに声を上げた。
「久しぶりにお風呂に入れますね」
「温泉って何ですか?」
イリヤが首をかしげた。
「地面から自然に湧き出る温かいお湯のことよ。体にとてもいいの」
エレノアが説明する。
「へー、面白そうですね」
宿屋の主人は気さくな老人で、一行を歓迎してくれた。
「いらっしゃい!旅のお疲れさまです。うちの温泉は疲労回復に効果抜群ですよ」
「ありがとうございます。部屋をお願いします」
レンが丁寧に頼んだ。
「男女別の大浴場もありますし、小さな家族風呂もあります。どちらがお好みで?」
「……、大浴場で十分です」
夕食後、みんなで温泉に向かった。男女で分かれて入浴することになり、レンは一人で男湯へ。
「うわあ、気持ちいい」
温かいお湯に肩まで浸かると、旅の疲れが溶けていくようだった。レンは日本にいた頃の温泉を思い出していた。異世界にも温泉文化があることが不思議で、同時に懐かしい気持ちになる。
一方、女湯では賑やかな女子会が始まっていた。
「きゃー、本当に気持ちいい!」
リシアが嬉しそうに声を上げながら湯船に浸かった。
普段は品のある振る舞いを心がけている彼女だが、温泉の気持ち良さに思わず声が弾んでしまう。金色の髪が湯気で少し湿って、いつもより幼く見えた。
「久しぶりにゆっくりできますね」
エレノアがほっと息をついた。いつもは冷静沈着な彼女も、温泉の前では一人の女性だった。黒髪をお団子にまとめて、普段の知的な印象とは違う柔らかな表情を見せている。
「エレノアさん、髪をまとめると印象変わりますね」
カティアが興味深そうに言った。
「そうですか?普段は仕事モードだから、つい固く結んでしまって」
「いえいえ、とても素敵です。女性らしくて」
イリヤが微笑んだ。
イリヤは相変わらず上品な佇まいを保っているが、頬がほんのりと紅潮して、普段の凛とした美しさとは違う魅力を醸し出していた。
「それにしても」
セレスティアが湯船に豪快に浸かりながら言った。
「神聖王国での件、本当にお疲れさま」
セレスティアは職人らしく飾り気のない性格だが、温泉に入ると意外にも乙女らしい一面を見せた。普段は作業着姿しか見ないが、実はとてもスタイルが良いことが分かる。
「みんなで協力できたから解決できたのよ」
カティアが微笑んだ。
カティアは湯船の縁に腰掛けて足湯状態で話している。彼女の明るい性格は温泉でも変わらず、場の雰囲気を和やかにしていた。
「レナードさんの判断力には本当に驚かされます」
イリヤが感心したように言った。
「まるで何でも知ってるみたいで」
「そうですね」
エレノアが頷いた。
「レナード様の知識の幅広さは異常なほどです。一体どこでそんなことを学んだのか」
「あ、それ私も思ってた!」
カティアが手を叩いた。
「戦術とか、交渉とか、まるで経験者みたい」
「お兄様は昔から勉強家でしたから」
リシアが少し慌てながらフォローした。
「いつも本を読んでましたし」
「でも実戦での判断力は本だけじゃ身につかないよな」
セレスティアが首をひねった。
「あの冷静さは只者じゃない」
「それに」
エレノアが思案深げに言った。
「時々、まるで未来が見えてるような的確さがあるんです」
「確かに!」
カティアが興奮して言った。
「神聖王国でも、まるで相手の手の内が分かってるみたいでした」
女子たちの会話が盛り上がる中、男湯のレンは隣の女湯から聞こえてくる会話にひやひやしていた。転生者だということがバレそうで、思わず湯船に沈みそうになる。
「でも」
リシアが急いで話題を変えようとした。
「お兄様のことより、みんなの話も聞きたいです」
「そうそう」
カティアが賛成した。
「せっかくの女子会なんだから、もっとプライベートな話をしましょうよ」
「プライベートな話?」
エレノアが首をかしげた。
「例えば恋愛とか!」
カティアが目を輝かせた。
その言葉に、みんなの顔が一斉に赤くなった。温泉の熱さとは違う、別の理由での赤面だった。
「れ、恋愛って」
リシアが慌てた。
「そんな、私まだ」
「あら、リシアちゃんはお兄さん一筋?」
セレスティアがニヤリと笑った。
「そ、そんなんじゃありません!」
リシアが湯船でばちゃばちゃと手を振った。
「でも分かるなあ」
イリヤが優しく微笑んだ。
「レナード様って、とても頼りがいがありますものね」
「イリヤさんも?」
カティアが興味深そうに尋ねた。
「え?い、いえ、そういう意味では」
イリヤも慌てて手を振った。
「みんな分かりやすいな」
セレスティアが笑った。
「でも気持ちは分からなくもない」
「セレスティアさんまで!」
「いや、恋愛じゃなくて尊敬だよ。あいつの技術への理解力は本当にすごい」
エレノアは黙って聞いていたが、ふと思い出したように言った。
「そういえば、私たちってレナード様以外の男性との接点、あまりありませんね」
「確かに!」
カティアが手を叩いた。
「冒険ばっかりで、普通の出会いがない」
「それって、もしかして問題じゃない?」
セレスティアが眉をひそめた。
「どういう意味ですか?」
リシアが不安そうに尋ねた。
「つまり、俺たちレナードに依存しすぎてるかもってこと」
その言葉に、温泉の中が少し静かになった。みんなが何となく感じていたことを、セレスティアが言葉にしてしまったのだ。
「でも」
イリヤがゆっくりと口を開いた。
「それって悪いことでしょうか?」
「え?」
「信頼できる人がいるって、とても幸せなことだと思うんです」
「イリヤちゃん...」
カティアが感動したように見つめた。
「そうですね」
エレノアが頷いた。
「私たちは仲間として、お互いを支え合ってるんです」
「うん!」
リシアが元気よく言った。
「お兄様も私たちを頼りにしてくれてますし!」