信仰と知略の対決
イリヤが滞在する村の小さな教会に足を踏み入れたレンは、説教壇に立つ美しい聖女に向かって声をかけた。
教会内には多くの村人たちが集まっており、イリヤの神聖な雰囲気に完全に魅了されている様子だった。
「イリヤ・デ・アルカンジェロ。俺と話をしないか?」
レンの登場に、教会内がざわめいた。イリヤは説教を中断し、レンを冷たい視線で一瞥する。
「偽りの英雄と話すことなど、何もありません」
「そうか。でも俺は、お前がなぜ俺を『異端者』と呼ぶのか知りたいんだ。俺はただ、この国の人々を救おうとしただけなのに」
レンの素直な疑問に、イリヤは美しい顔に嘲笑を浮かべた。
「神は愛と慈悲をお説きになります。しかし貴方は暴力を用いて人々を惑わせている。それは明らかに神の御心に反する行為です」
レンは静かに、しかし確信を込めて答えた。
「俺だって暴力が正しいとは思わない。でも、暴力を使わなければ救えない命がある。それを俺はゲームを通じて学んだんだ」
「ゲーム…? 貴方の言うことは理解できません」
イリヤはレンの現代的な価値観に困惑した表情を見せた。
「まあ、お前には分からないだろうな」
レンは苦笑いを浮かべながら、別のアプローチを試みる。
「じゃあ、こう考えてみてくれ。もし目の前で子供が悪人に襲われてたら、お前はどうする?」
「それは…祈りを捧げ、神の加護を願います」
「その間に子供が殺されたらどうする?」
イリヤは言葉に詰まった。レンはさらに続ける。
「俺なら迷わず悪人を止める。たとえ暴力を使うことになっても、子供の命の方が大切だからな」
「エレノア、イリヤの説教内容を詳しく解析してくれ」
レンは後ろで控えているエレノアに小声で指示を出した。エレノアは魔法を使ってイリヤの過去の説教を記録し、パターンを分析し始める。
「解析完了です」
エレノアが冷静に報告する。
「彼女の説教は確かに完璧な論理で構成されています。しかし、その論理は民衆の感情を特定の方向に誘導するためのもの。つまり、彼女は民衆の心を計算されたデータとして扱っています」
「なるほど、やっぱりそうか」
レンは納得したように頷いた。
「俺の戦術は相手のパターンを読んで、それを逆手に取ることだ。イリヤの説教方法も、同じように攻略できるはずだ」
レンはイリヤに向き直り、穏やかな口調で語りかけた。
「イリヤ、お前は民衆の心を論理的に分析して、感情をコントロールしてる。でも、人の心ってそんなに単純なものじゃないだろう?」
「何を言いたいのですか?」
「俺には、お前が持ってないものがある。それは仲間だ」
レンの言葉に、イリヤは明らかに動揺した。彼女はこれまで一人で戦ってきた。仲間という概念自体が、彼女には理解できないものだった。
「仲間…? そんなものが何の意味を持つというのですか?」
「教えてやろうか?」
レンは振り返って、仲間たちを見た。エレノア、セレスティア、リシア、そしてカティア。みんながレンを信頼の眼差しで見つめている。
「みんな、ちょっと来てくれ」
レンの呼びかけに応じて、カティアが一歩前に出た。彼女の表情には、これまで見たことのない強い決意が宿っている。
「イリヤ様…私はかつて、あなたと同じように神の御心にかなうために全てを捧げました」
カティアは涙を流しながら、自分の過去を告白し始めた。
「でも私にとって神の教えは、ただの重い鎖でしかありませんでした。自由も、幸せも、すべて奪われた気がしていました」
「それは貴方の信仰が足りなかったからです」
イリヤは冷たく言い放つが、カティアは怯まなかった。
「いいえ、違います。レナード様は私に、信仰は人を救うためのものだと教えてくれました。人を縛るためのものではないと」
カティアの声には、これまでの苦悩を乗り越えた強さが込められている。
「私は今、レナード様と共に人々を救いたいと心から思えます。これこそが本当の信仰だと思うのです」
「そんなことは…」
イリヤが反論しようとした時、リシアも前に出た。
「私も同じです! お兄様は私に、人を愛することの大切さを教えてくれました」
リシアの純真な笑顔に、教会内の村人たちもざわめき始める。
セレスティアも無愛想ながらも、はっきりと意見を述べた。
「技術者から見れば、結果が全てだ。レナードの方法で実際に人が救われている。それが答えだろう」
エレノアも冷静に分析を加える。
「論理的に考えても、レナード様の行動は一貫して民衆の利益になっています。これを異端と呼ぶ根拠が分かりません」
四人の女性たちがそれぞれの立場から、レンへの信頼と愛情を表明する様子に、イリヤは明らかな動揺を見せた。
「貴方たちは…なぜそこまで彼を信じるのですか?」
「簡単なことだよ」
レンが答える。
「俺は一人じゃ何もできない。でも、みんながいれば何でもできる。これが仲間の力なんだ」
その時、イリヤは突然レンに向かって神聖な光を放つ魔法を放った。眩い光が教会内を満たし、村人たちは思わず目を閉じる。
「これで貴方の偽りが暴かれます! 異端者なら、神聖魔法によって苦しむはずです!」
しかし、光が収まった時、レンは何事もなかったかのように立っていた。それどころか、穏やかな笑顔すら浮かべている。
「なぜ…? 異端者なら神聖魔法で傷つくはずです!」
イリヤは信じられないといった表情で呟いた。
「そりゃそうだろ。俺は別に神様の敵じゃないからな」
レンは肩をすくめながら答える。
「俺が戦ってるのは、神様じゃなくて、神様の名前を使って悪いことをする人間たちだ。神様が本当に愛と慈悲の存在なら、困ってる人を助ける俺を罰するはずがない」
レンの論理的で分かりやすい説明に、村人たちも納得の表情を見せ始めた。
「む、むちゃくちゃです…神学的に考えて、そんなことは…」
「神学なんて難しいことは分からないけど、目の前で苦しんでる人がいたら助ける。それだけのことだよ」
レンのシンプルで真っ直ぐな言葉に、イリヤは完全に言葉を失った。
長い沈黙の後、イリヤは静かに口を開いた。
「貴方の言葉には、確かに心を揺さぶられました。でも…」
彼女の表情に迷いが浮かんだが、すぐに決意を固めたような冷たさに変わる。
「それでも貴方は異端者です。私は神の使徒として、貴方を排除しなければなりません」
「そうか。それなら仕方ないな」
レンは残念そうに首を振った。
「でも俺は、お前と戦うためにここに来たわけじゃない。俺は、お前も含めて、この国の人々すべてを救いたいと思ってるんだ」
レンはそう言って、イリヤに手を差し伸べた。その手は温かく、誠意に満ちていた。
イリヤはレンの手を見つめながら、静かに首を振った。
「貴方という人は、やはり理解できません…」
イリヤはそう言って、教会の出口へと向かった。しかし、扉の前で振り返り、複雑な表情でレンを見つめる。
「でも…少しだけ、興味を持ちました。貴方の言う『仲間』というものに」
イリヤが教会を去った後、レンは仲間たちに囲まれながら安堵のため息をついた。
「何とか戦闘は避けられたな。でも、これで終わりじゃない」
「お兄様、イリヤさんは敵のままなんでしょうか?」
リシアが心配そうに尋ねる。
「分からない。でも、少しは俺たちのことを理解してくれたかもしれない」
エレノアが冷静に分析を加える。
「彼女の心に迷いが生じたのは確かです。これは私たちにとって有利な展開かもしれません」
セレスティアも頷く。
「力だけじゃなく、心も動かせたってことだ。悪くない結果だな」
レンとイリヤの対決は、信仰と人間性をめぐる新たな戦いへと発展し、これまでとは全く異なる局面を迎えようとしていた。
武力でも魔法でもない、心と心の真の戦いが、これから始まるのだった。




