夜明けの凱歌(後編)
帝城の玉座の間は、異様なほどの静寂と、そして一人だけが放つ狂信的な熱気に包まれていた。
宰相リヒテンベルクは、玉座の傍らに立ちまるで舞台役者のように、芝居がかった口調で集まった貴族たちに語りかけていた。
玉座に座る若き皇帝は、まるで魂の抜けた人形のように
虚ろな目で、ただ宰相の言葉を聞いているだけだった。
「―――諸君、聞きたまえ! 我らが正義の鉄槌は、ついに
不義の王国を打ち砕いた! 我が完璧なる計画の前に、レナード・アルバートなる小僧も、なす術なく自滅した!
これぞ神の意志! これぞ、帝国の栄光である!」
宰相は両手を大きく広げ自らの勝利を高らかに宣言した。
その場にいた貴族たちは、心からの賞賛というよりは宰相の権勢を恐れ、媚びへつらうように喝采の声を上げた。
宰相はその音を世界で最も心地よい音楽のようにうっとりと聞いていた。
全てが彼の筋書き通り。
この世界は彼の頭脳によって完全に支配されている。
その万能感に彼は酔いしれていた。
その時、玉座の間の重厚な扉が何の前触れもなく外側から凄まじい勢いで開け放たれた。
「―――その茶番も、そこまでだ、リヒテンベルク」
凛とした、しかし怒りに満ちた声と共にそこに現れたのは死んだはずの男、バルクホルン将軍だった。
彼の背後には帝国の軍服をまとったセリナ、漆黒の戦闘服に身を包んだレン、そして純白のローブをまとったリーネの姿があった。
玉座の間は水を打ったように静まり返った。
貴族たちは目の前で起きていることが信じられず、ただ、呆然と立ち尽くしている。
宰相はその顔から血の気が引いていくのを感じた。
「ば、バルクホルン…! なぜ、貴様がここに…! 衛兵! 衛兵は何をしている! こ奴らを捕らえろ!」
宰相がヒステリックに叫ぶ
しかし衛兵たちは動かない
彼らは自らの主君であるはずの皇帝ではなく、帝国の英雄であるバルクホルン将軍の方を敬意のこもった眼差しで見つめていた。
「もう、お前の駒は、一つも残ってはいないぞ、宰相」
レンが冷たく言い放った。
「黙れ、小僧が!」
宰相は最後の虚勢を張るように叫び返した。
「貴様ごときが、私の完璧な計画を覆せるものか! 私の頭脳は神に等しいのだ!」
「神、だと?」
レンは、フン、と鼻で笑った。
「お前は、ただの思い上がった三流プレイヤーだ。盤上の駒しか見えず、盤外の要素を何一つ考慮に入れていない。
お前の計画は、最初から破綻していたんだよ」
その時、リーネが一歩前に進み出た。
彼女は集まった貴族たち、そして玉座に座る皇帝に向かって、深々と頭を下げた。
「皆様、そして、陛下。私は聖女などではありません。
宰相に利用され、皆様を欺いていたただの孤児です。
私の偽りの奇跡によって、この国は大きな過ちを犯しました。心からお詫び申し上げます」
彼女の勇気ある、命をかけての涙ながらの告白は、その場にいた全ての者の心を強く打った。
そして、彼女は顔を上げると、宰相を真っ直ぐに見据え力強い声で真実を告げた。
「宰相は、この戦を利用して帝国の権力を、全てその手に収めようとしていました! 陛下を傀儡とし、自らがこの国の支配者となろうとしていたのです!
バルクホルン将軍は、その野望に気づいたが故に反逆者の汚名を着せられたのです!」
リーネの言葉は、最後の、そして決定的な一撃となった。
貴族たちの間に、もはや宰相への恐怖はなかった。
あるのは裏切られたことへの激しい怒りだけだった。
「リヒテンベルク…! 貴様、我らをそして陛下を騙していたのか!」
「国を、私物化するつもりだったとは…! 断じて許せん!」
貴族たちの怒りの声が玉座の間に響き渡る。
宰相は、もはや誰一人として味方がいないことを悟り、
その場に崩れ落ちた。
彼の顔は絶望と狂気の色に染まっていた。
「なぜだ…なぜ、私の完璧な計画が…! ありえない…! こんなことは、ありえない!」
彼は何かをブツブツと呟きながら、ゆっくりと後ずさり玉座の背後にある、隠し通路へとその手を伸ばした。
「逃がすか!」
セリナが剣を抜き後を追おうとする。
「待て」
レンがそれを制した。
「あれは、俺の獲物だ」
レンは、セリナに目配せすると一人宰相の後を追い隠し通路へと姿を消した。
隠し通路の先は、帝城の最も高い塔の最上階へと続いていた。
そこは宰相の私室であり彼の狂気の城だった。
壁一面には無数の本棚が並び、床には大陸の巨大な地図が広げられその上には、無数の駒が置かれていた。
「…終わったな、宰相」
レンは静かに部屋の中央に立つ宰相に声をかけた。
「レナード・アルバート…!」
宰相は憎悪に満ちた目でレンを睨みつけた。
「貴様さえ、貴様さえいなければ、私の計画は完璧だったのだ…!」
「いいや、お前は俺がいなくても、いずれ破滅していた」
レンは、床の地図を冷ややかに見下ろした。
「お前は、人間をただの駒としか見ていない。
だが、人間は駒じゃない。感情があり、意志があり、そして愛する者がいる。
お前はその最も基本的なことを見落としていた。
それがお前の唯一にして最大の敗因だ」
「黙れ、黙れ、黙れぇぇぇっ!」
宰相は狂ったように叫ぶと、机の上に置いてあった装飾用の短剣を手に取りレンに襲いかかった。
それは、もはや合理的な思考のかけらもない、ただの獣の足掻きだった。
レンはその貧弱な攻撃を、身じろぎもせずに片手で受け止めた。そして宰相の腕を掴むと、そのまま床に叩きつけた。
「ぐ…はっ…!」
「お前のゲームは、もう終わりだ」
レンは宰相を見下ろし冷徹に告げた。
「お前には、これから自分が駒として扱われることがどれほどの屈辱か、その身を以て味わってもらう」
レンは宰相を気絶させると、彼を担ぎ上げ玉座の間へと戻った。
宰相リヒテンベルクの独裁と狂気は、こうして終わりを告げた。
彼は全ての地位と財産を剥奪され、かつて彼がバルクホルン将軍を閉じ込めた、帝都の地下牢の最も深い場所に幽閉されることとなった。
彼は光の届かない独房の中で、来る日も、来る日も、壁に向かって何かをブツブツと呟き続けていたという。
「なぜだ…なぜ、私の完璧な計画が…」
彼の頭脳は、自らの敗北を最後まで理解することができなかった。
彼は、自らが作り上げた完璧なチェス盤の世界に永遠に閉じ込められたのだ。
それは、彼が他者に与えようとした最も残酷な罰を、彼自身が受けることになったという皮肉な結末だった。