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夜明けの凱歌(中編)

帝都の地下深く光の届かない牢獄


そこは、ヴァルクス帝国の栄光とその闇を最も象徴する場所だった。

帝国に仇なす者、宰相リヒテンベルクの意に沿わぬ者、その全てが生きたまま歴史から抹消される忘却の牢獄。


その最深部に、帝国の英雄バルクホルン将軍は囚われていた。


反逆者の汚名を着せられ手足に重い枷をはめられ、彼はただ、冷たい石の床に座り静かに目を閉じていた。

彼の心にあったのは、自らの運命への絶望ではない。

一人娘であるセリナへの想いと宰相の狂気に堕ちていく祖国への、深い憂いだけだった。


(セリナ…無事でいてくれ…)


(陛下…どうか、ご無事で…)


その時、彼の独房の分厚い鉄の扉が軋むような音を立てて開かれた。

現れたのは純白のローブを身にまとった一人の少女。

偽りの「聖女アステル」である、リーネだった。

彼女の顔は、蝋のように青白く、その瞳は、怯えた小動物のように絶えず揺れ動いていた。


「…将軍」


リーネは、か細い声で彼を呼んだ。

彼女は宰相の命令でここにいた。

バルクホルン将軍を懐柔し宰相の計画に協力させる。

それが彼女に与えられた、新たな「役目」だった。

もし断れば、彼女の「家族」である孤児院の子供たちの命はない。


「聖女様が、このような汚い場所に何の御用かな」


バルクホルンは、目を開けることなく静かに言った。


「宰相閣下が…閣下が、将軍にもう一度機会を与える、と仰せです」


リーネは、震える声で宰相の言葉を繰り返した。


「今からでも、閣下に忠誠を誓うならば反逆の罪は許し、再び帝国軍の要職にお戻りになれる、と…」


「…ふん。あの男らしい、甘言だな」


バルクホルンは鼻で笑った。


「そして、もし、私が断れば?」


「そ、その時は…」


リーネの声が恐怖に震える。


「将軍の、ご息女…セリナ様の…命はない、と…」


その言葉を聞いた瞬間、バルクホルンの全身から凄まじい殺気が放たれた。


それは、歴戦の猛将だけが放つことのできる純粋な怒りのオーラだった。

リーネは、その殺気に当てられ思わず後ずさり腰を抜かしてしまった。


「…あの男…セリナにまで、手を出すか…!」


バルクホルンはゆっくりと立ち上がった。

その巨躯が牢獄の天井を圧迫するかのようだ。


「聖女様、いや、アステル殿。君に、一つ問いたい。

君は宰相の言いなりになってこの国が、民が、本当に幸せになると思うか?

君がその偽りの奇跡で民を扇動し、この無謀な戦争を煽った結果、今、どれだけの若者が血を流しているか分かっているのか?」


「ひっ…!」


リーネは彼の言葉の一つ一つが鋭い刃となって自らの胸に突き刺さるのを感じていた。


分かっている。

自分がとんでもない罪を犯していることくらい分かっている。

だが、彼女にはどうすることもできなかった。

孤児院の子供たちが、人質に取られているのだ。


「私には…私にはどうすることもできないのです…!」


リーネは泣きじゃくりながら真実を吐露した。


「私はリーネという、ただの孤児です! 宰相に拾われ聖女に仕立て上げられた、ただの人形なんです! 逆らえば、あの子たちが…私の、たった一つの家族が殺されてしまう…!」


その時だった。


ドガァァァン!!


地下牢全体を揺るがす巨大な爆発音が響き渡った。

厚い石壁がまるで紙細工のように吹き飛ばされ、もうもうたる土煙の中から複数の人影が現れた。


「―――お父様、ご無事ですか!」


その声は、バルクホルンにとって決して忘れることのできない、愛娘の力強い声だった。

煙が晴れると、そこに立っていたのは帝国の軍服を誇り高く身にまとったセリナと、その隣で静かに「軌跡の刃」を構えるレン・アルバートの姿だった。

彼らの背後には、レンの指示で事前に帝都に潜入していた

ダグラス率いる王国の精鋭騎士たちが控えていた。


「セリナ…! レナード殿…! なぜ、君たちがここに…!」


バルクホルンは我が目を疑った。


「話は後です、父上!」


セリナは駆け寄ると特殊な鍵を使って父の枷を素早く外した。


「レナード殿が全て計画してくれた。お父様を助け出して

この国を宰相の手から取り戻すための計画を!」


レンの作戦はアルバート領の戦いのさらに先を見据えていた。

彼はギュンターを打ち破ると、その足で捕虜とした帝国兵の中からバルクホルン将軍を慕う者たちを選び出し、彼らに一つの取引を持ちかけたのだ。


『お前たちの将軍を助けたくはないか?』


将軍を救うためなら命も惜しくない。

そう答えた兵士たちに、レンは帝都の地下牢への秘密の侵入経路とダグラスたちとの合流地点を教えた。

そして、セリナと共にこの救出作戦を自ら指揮するためにやって来たのだ。


「さあ、行くぞ。ここからが本番だ」


レンが冷徹な声で言った。


その時、腰を抜かしたまま震えているリーネにバルクホルンが、手を差し伸べた。


「リーネ殿、君も来るんだ」


「え…?」


リーネは信じられないという顔で、彼を見上げた。


「で、でも、私は…あなたたちを、騙した…」


「君は、被害者だ」


バルクホルンは、力強くそして優しく言った。


「宰相の卑劣な脅しに屈しただけだ。

だが、もう君は一人じゃない。我々が君と君の家族を、必ず守る。だから、我々と共に来てほしい。そして、君のその声で民に真実を伝えてほしいんだ。君にしかできないことだ」


その言葉はリーネの心を、強く、強く揺さぶった。


温かい大きな手。

自分を道具としてではなく、一人の人間として見てくれる力強い瞳。

彼女は生まれて初めて誰かに、本当に「守られている」と感じた。

リーネは、涙を拭うとその手を力強く握り返した。


「…はい…!」


その瞬間、偽りの聖女アステルは死んだ。

そして、自らの過ちを認め真実のために戦うことを決意した、一人の強い少女リーネがそこに誕生した。


レン、セリナ、そして解放されたバルクホルン将軍

そこに、真実の言葉という何よりも強力な武器を持つリーネが加わった。

彼らは帝国の闇を打ち破り、夜明けを告げるための最強のチームとなった。


彼らは地下牢から脱出すると、そのまま帝城の玉座の間へと向かった。宰相が傀儡である皇帝と共に、偽りの勝利報告を待っているその場所へ。


最後の戦いの舞台は、整った。

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