御前会議
王城の大会議室は、水を打ったように静まり返っていた。
そこにいる全ての貴族たちの視線が、たった一人、議場の中央へと進み出た少女に釘付けになっていた。
ヴァルクス帝国の軍服を誇り高く身にまとった、セリナ・フォン・ヴァルクス。
彼女の存在そのものが、この場の常識を根底から覆す一撃だった。
「私が、ヴァルクス帝国が姫騎士、セリナ・フォン・ヴァルクスでございます」
凛とした声が、静寂を切り裂いた。
その声には、恐怖も、憎しみも、媚びもなかった。
ただ、自らの身分と名誉に対する絶対的な誇りだけが響いていた。
主戦派の貴族たちは、あまりの衝撃に言葉を失いただ呆然と彼女を見つめている。
レンは、その光景を計算通りだと満足げに眺めていた。
宰相が作り上げた「囚われのか弱い姫」という虚像は、今この瞬間、本人の手によって木っ端微塵に打ち砕かれたのだ。
セリナは居並ぶ貴族や将軍達を見回した後、
再度、自らの名乗りをあげた。
「私は、ヴァルクス帝国の姫騎士、セリナ・ヴァルクス。そして、このレナード・アルバートと共に戦い、彼の強さと、そして誠実さを、この身をもって知る者です」
彼女は、レンの隣に並び立つと、高らかに宣言した。
「彼が語った帝国の現状は、全て真実です。私の故郷は今、宰相という病に蝕まれようとしています」
セリナは誇り高く毅然とした態度で言葉を続ける
「そして、その病は、間もなくこの王国にも牙を剥くでしょう。これは、レナード・アルバート個人の戦いではありません。王国と、そして帝国に残された良識派が共に手を取り合って立ち向かうべき共通の脅威なのです!」
捕虜であるはずの姫が、敵国であるはずの王国の危機を訴える。その鬼気迫る姿と、彼女の言葉に宿る真実の響きは、会議の空気を一変させた。
何よりも彼女がレンの隣に立ち、彼を全面的に擁護したという事実が、レンの報告の信憑性を決定的なものにした。
皆が静まり返るなか、一人の貴族が声を上げた。
「茶番は、そこまでにしていただきたい」
沈黙を破ったのは、やはり宰相と最も深く通じていると噂されるマーカム伯爵だった。
彼は、動揺を必死に隠しながら甲高い声で叫んだ。
「帝国の姫君が、なぜ敵国であるこの場所にいる! それは、そこにいるアルバート顧問が、貴女を誑かし操っているからに他ならぬ! 皆様、騙されてはなりませぬぞ!」
マーカム伯爵はレンを指さし、続けた。
「この男は、レオンハルト王子を失脚させ、王国の権力を我が物にしようと企む危険な男です! その男が、今度は帝国の姫と手を組み、我らを欺き王国を内側から売り渡そうとしているのだ!」
その言葉は、毒のように、貴族たちの心に染み渡っていった。
そうだ、この男は得体の知れない力を持つ、危険な存在ではないか。彼の言葉を、鵜呑みにしていいものか。
議場が再び不穏な空気に包まれ始めたその時だった。
セリナが、静かに口を開いた。
「私が、誰かに操られている、ですって?」
彼女は、フン、と鼻で笑うと、マーカム伯爵を射抜くような鋭い視線で見据えた。
「笑わせないでいただきたい。この私、セリナ・フォン・ヴァルクスが、誰かの言いなりになるとお思いか。だとしたら、貴方こそ人を見る目がない愚か者だ」
その言葉は、絶対的な自信と揺るぎない気品に満ちていた。それは、誰かに言わされた台詞では決して出せない迫力だった。
「私がここにいるのは、私自身の意志です。そして、アルバート顧問は、祖国を憂う私の心を誰よりも理解してくれた、ただ一人の人間。彼と私は、利害を超えた固い信頼で結ばれている。貴方のような私欲のために国を売るような人間には、到底理解できないでしょうが」
「なっ…! な、何を言うか、この小娘が!」
マーカム伯爵は、顔を真っ赤にして激昂した。
「図星、ですか?」
セリナは、冷たく言い放った。
「ならば、お聞きしたい。貴方が三日前に帝国の密使と、王都の裏通りで密会していたのは、一体なぜですかな?」
その瞬間、マーカム伯爵の顔から、血の気が引いた。
彼は、誰も知らないはずの事実をなぜこの姫が知っているのか、理解できなかった。
セリナは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
それはエレノアが、自身が持つ情報網を駆使して得たものだった。
「これは、貴方が帝国の密使に渡そうとしていた、我が王国軍の配置図の写しです。幸いにも、アルバート顧問の部下が貴方の裏切りに気づき、未然に防ぐことができましたが」
議場は、今度こそ完全な沈黙に包まれた。
裏切り者がこの場にいた。
その動かぬ証拠が、今、目の前に突きつけられたのだ。
「ま、待て! それは、罠だ! その男が私を陥れるために仕組んだ、卑劣な罠だ!」
マーカム伯爵は、最後の悪あがきとばかりに叫んだ。
その時、今まで玉座で静かに事の成り行きを見守っていた、国王エドワードが、重々しく口を開いた。
「―――もう、よい」
その声は、静かだったが絶対的な王の威厳に満ちていた。
「マーカム伯爵。そなたの言い分は、牢の中でゆっくりと聞こう。衛兵、連れて行け」
国王の非情な宣告に、マーカム伯爵はその場にへたり込んだ。衛兵たちに両脇を抱えられ、引きずられていく彼の姿は、哀れそのものだった。
国王はゆっくりと立ち上がると、全ての貴族たちを見渡し、宣言した。
「皆、よく聞け。アルバート顧問は、余が全権を以て信頼する、王国の軍事顧問である。そして、セリナ姫は自らの危険を顧みず、我々に真実を伝えに来てくれた、勇気ある友だ。これ以上、彼らを侮辱する者は、この余が、決して許さぬ」
国王の、あまりに明確な意思表示に、もはや誰も反論することはできなかった。
「我々は、宰相の仕掛ける『聖戦』という名の茶番には乗らぬ。だが、和平交渉もしない。我々は、帝国を蝕む病巣…宰相リヒテンベルクを排除するため、帝国に残された良識派…バルクホルン将軍と連携する!」
王は、レンよりすでにバルクホルン将軍が軟禁されていることは報告を受け知っている。しかし、今回、王が宣言した戦略が帝国に伝われば、宰相は自らが先手を取ったと思うだろう。
さらに、まだこの場に潜んでいる裏切者が油断し、大胆に振る舞った結果、ボロを出すかも知れない。
これは情報戦だ。
発する言葉には必ず行動を促す指向性をのせる、特にこういった場では…。
表面的には、それは戦争でもなく和平でもない、第三の選択。王国から手を出したのではない事を周辺国に知らしめ、かつ敵国の内政に積極的に干渉するという前代未聞の決断だった。
「異論は、認めぬ」
国王のその一言は、全ての議論に、終止符を打った。
レンの仕掛けた一石は、セリナという最高の援護射撃を得て、国王という最大の駒を動かしチェス盤のルールそのものを、根底から書き換えたのだ。
会議が終わった後、レンは国王に個別に呼び出された。
「…見事であった、アルバート顧問。そなたの狙い通り、いや、それ以上の結果となったな」
「全ては、陛下のご英断と、セリナ姫の勇気のおかげです」
「謙遜はよい」
国王は、悪戯っぽく笑った。
「だが、忘れるな。余は、そなたに賭けたのだ。この国の未来をな。もし、この賭けに負ければ…分かっておるな?」
国王は、あらためてレンに念押しした。
「はい。その時は、俺の首を、民衆の前に晒してください」
レンも再度、臆することなく答えた。
その覚悟の深さを、国王は満足げに見つめていた。
王都のチェス盤で、レンは、初戦を鮮やかに制した。
しかし、彼は知っていた。これは長い戦いのほんの序章に過ぎないことを。
宰相は、この結果を知れば必ずやより直接的で、より残忍な次の一手を、打ってくるだろう。
その夜、レンは一人、執務室で地図を睨んでいた。
セリナは、国王から客室を与えられ今はそこにいる。
一人になった部屋で、レンは静かに思考を巡らせていた。
(宰相は、必ず俺の故郷…アルバート領を狙ってくる。それも、正面からの攻撃ではなくもっと陰湿な方法で…)
レンは、地図上のアルバート領に一つの黒い駒を置いた。
(毒か、あるいは偽情報による内部崩壊か…いや、おそらくその両方だ)
彼の脳裏には、FPSで敵の陣地に潜入し補給ポイントを破壊したり、偽の情報を流して混乱させたりする妨害工作の数々が浮かんでいた。宰相がやることも本質的には同じはずだ。
(エレノアと、リシア、そして兄さんたちだけでは荷が重いかもしれない…)
レンは、もう一つの駒を、アルバート領の隣に置いた。
それは、天才鍛冶師、セレスティア・ドレイクを示す駒だった。
(彼女の力が必要になるかもしれない…)
レンは、一枚の羊皮紙を取り出すとペンを走らせ始めた。
それはセレスティアに宛てた極秘の手紙だった。
王都の戦いは、まだ始まったばかり。そして、もう一つの戦場である、アルバート領の戦いもまた、静かにしかし確実に、その幕を開けようとしていた。
レンは、二つの盤面を同時に見据えながら、次なる一手を、慎重に、そして大胆に、打ち込もうとしていた。




