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王都のチェス盤と、帝国の暗流(後編)

王都のレンの元に、帝国の「聖戦布告」の正式な報が届いたのは、それから数日後のことだった。


宣戦布告の使者は、尊大な態度で王国の無条件降伏と、セリナ姫及びレナード・アルバートの身柄引き渡しを要求してきた。それは、交渉の余地など一切ない、最後通牒だった。


そして、その報と時を同じくしてレンが最も恐れていたニュースが、彼の元にもたらされた。

帝国に潜入させていた密偵からの、緊急報告だった。


「…父上が…」


報告書を握りしめ、セリナはその場に崩れ落ちそうになった。

そこにはバルクホルン将軍が反逆罪の汚名を着せられ、一族郎党もろとも拘束されたと、簡潔に記されていた。

これで、帝国内に残されていた最後の抵抗勢力は、完全に沈黙させられたことになる。

宰相は、王国への侵攻の前に国内の憂いを完璧に断ち切ったのだ。


「…どうやら、盤上の駒は、すべて黒に染まったらしいな」


レンは、静かに言った。

彼は、黙ってセリナの肩を支え椅子に座らせた。

その瞳には絶望の色はなかった。

むしろ、逆境であればあるほど彼の思考は極限まで冴えわたる。

FPSで味方が次々と倒され、たった一人で敵チーム全員を相手にするような、絶望的な状況。

そんな状況を、彼は何度も何度も覆してきた。


この世界でもやることは同じだ。


「セリナ、顔を上げろ」


レンはセリナの肩を強く掴んだ。


「お前の親父さんは、まだ死んだわけじゃない。それに、お前がここで泣いていたら、それこそ宰相の思う壺だ。奴は、お前が感情的になって冷静な判断を失うことを、誰よりも望んでいる」


「だが、私は…! 父も、故郷も、全てを奪われたのだぞ!」


「違う」


レンは、セリナの目を、真っ直ぐに見つめて言った。


「お前は、まだ何も奪われていない。お前が、ヴァルクス帝国の誇り高き姫騎士である限りな。違うか?」


レンの言葉に、セリナは涙をぐっと堪え、ゆっくりと顔を上げた。


そうだ、自分は騎士だ。

父から受け継いだ、帝国の民を守る誇り高き騎士なのだ。


その誇りだけは、宰相ごときに奪わせてなるものか。

その瞳には、悲しみを乗り越えた新たな闘志の火が灯っていた。


「ああ、そうだ…私は、騎士だ…!」


「それでいい」


レンは不敵な笑みを浮かべた。


「さあ、始めようか。宰相閣下にご自慢の『完璧な論理』とやらがどれほどのものか、試してやろうじゃないか。

奴がチェス盤のルール通りに駒を動かすなら、俺たちはその盤ごとひっくり返すだけだ」


レンはすぐさま行動を開始した。

彼は、国王エドワードに緊急の謁見を求め、自らの作戦の全貌を包み隠さず打ち明けた。


「―――つまり、君は、帝国の姫を、王国の会議に出席させると言うのかね?」


国王は玉座から興味深そうな、しかし鋭い視線でレンを見つめていた。


「はい。宰相は、プロパガンダによって、セリナ姫を『囚われのか弱い姫君』に仕立て上げ、民衆の同情と怒りを煽っています。

ならば、我々はその真逆のイメージを王国の貴族たちに、そして世界に叩きつければいいのです。

自らの意志で王国に協力し、宰相の非道を訴える、理知的で誇り高き『本物の姫』の姿を」


「面白い…」


国王は顎に手をやった。


「だが、貴族たちが反発するだろう。特に、主戦論を唱える者たちはな」


「承知しております。ですが、それこそが私の狙いの一つでもあります」


レンは、臆することなく続けた。


「この戦は、帝国との戦いであると同時に、我々の内なる敵…腐敗した貴族や、宰相と内通する裏切り者を炙り出す絶好の機会です。セリナ姫の存在は、彼らにとってこれ以上ない『踏み絵』となるでしょう」


国王はしばらくの間、黙って目を閉じていたが、やがて重々しく口を開いた。


「…よかろう、アルバート顧問、君の作戦に乗ろう。

余の全権を以て、君にこの局面の指揮を委ねる。

ただし…」


国王は、その瞳をカッと開きレンを射抜くように見つめた。


「もし、この賭けに負けた時はどうなるか、分かっておるな?」


「はい。その時は、この首、いつでも陛下に差し出します」


転生前の世界、毎日が孤独で虚無な世界にいた頃には決して考えなかった、言えなかった覚悟を、レンは口にした、いや、口にできた。


それは、この世界で手にした「現実の人との絆」、決して失いたくない、やっと手にすることができたものが、レンを強くしていたからだ。


レンの揺るぎない覚悟を見た国王は、満足げに頷いた。


「それでこそ、余が見込んだ男だ。存分にやってみせよ」


王の承認という、最強の武器を手に入れたレンはすぐさま王都の貴族たちを招集し、緊急の対策会議を開いた。


議題は、「帝国との和平交渉の可能性について」

その報は、瞬く間に王都を駆け巡り、貴族たちの間に大きな波紋を広げることとなった。



会議当日、王城の大会議室は異様な熱気に包まれていた。

主戦派の貴族たちは、公然とレンを「臆病者」と罵り、和平案に猛反対の声を上げた。


「アルバート顧問! 貴様は、帝国の脅しに屈するおつもりか!」


「そうだ! 今こそ、一丸となって、邪悪な帝国に鉄槌を下すべき時!」


何か事が起きた際、最初に騒ぎ立てるやつは大抵が雑魚だ

そんなことは歴史が証明している。真剣に耳を傾ける必要なんてない。


喧騒の中、レンは静かにその時を待っていた。

やがて、全ての罵詈雑言が出尽くしたのを見計らい、彼はゆっくりと立ち上がった。


「皆様、お静かに。

皆様のお気持ちは、痛いほど理解できます。ですが、我々の真の敵は、帝国そのものではありません。帝国を蝕む、宰相リヒテンベルクただ一人です。その証拠を、皆様にお見せしましょう」


レンが合図すると、大会議室の重い扉がゆっくりと開かれた。

そして、そこに現れた人物の姿に、議場にいた全ての貴族が、息を呑んだ。

そこに立っていたのは、帝国の軍服を誇り高く身にまとった、セリナ・フォン・ヴァルクス。その人であった。


彼女は、一切の物怖じをすることなく、まっすぐに前を見据え、堂々とした足取りで、議場の中央へと進み出た。


「私が、ヴァルクス帝国が姫騎士、セリナ・フォン・ヴァルクスでございます」


凛とした声が、静まり返った議場に響き渡る。

王都のチェス盤で誰も予想しなかった、最強の「駒」が、ついに盤上に置かれた瞬間だった。

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