路地裏の司令官、立つ
「三男のくせに家の恥を広めるな」
「兄たちを見習え」
「剣も魔法もからっきしで、何の役に立つんだ」
「領地の子供でももっとマシに働くぞ」
「継ぐものがないからといって、怠ける理由にはならん」
「一度でいいから父を喜ばせてみろ」
「せめて人並みにはやれぬのか」
……etc、etc
よくあんなに家族を罵倒する言葉が次から次へと出てくるもんだ。俺が転生する前のレナードってどうやって生活してたんだ?転生してからのこのひと月を思い返してみるが褒められたことが一度もない。目が合えば小言ばかり、人の心はそんなに強くはなれねーよ。
実際、転生前のレナードの記憶には剣の技術も魔法の知識もないんだから俺が突然出来るわけもない。結構なブラック企業に就職した気分だ。
そんなある日、ふと自室の本棚についてる扉を開けみるとそこには下の倉庫へと降りる階段があった。かつて女性使用人の部屋であったその場所へこっそりと降りれる階段。すぐに先祖のご乱行が思い浮かんだ。まあ、大体金があるとこういうことに費やすもんらしいからな。
俺は前世で最近離婚したというバイトの先輩が「男なんて誰にも知られないお金ができると大体浮気するのよ」と、悟りを開いたように遠くを見つめる目でつぶやいた言葉を思いだす。没落前の貴族なら尚更だろう。
まあ、とにかく、ここからならうるさい奴らに知られずに外に出ることができる!ありがとうご先祖様。
レンの「お忍び」はこうして始まったのだった。
屋敷での息苦しい生活から逃れるように、俺は今日も「レン」になる。くたびれたシャツとズボンに着替え、裏口からこっそりと抜け出す。貴族の三男「レナード」という窮屈な鎧を脱ぎ捨て、ただの少年「レン」として城下町の喧騒に紛れるこの時間は、俺にとって唯一の自己証明の瞬間だった。
屋敷にいる俺は、父や兄たちにとっては存在しないも同然なのだから。
初めてこの城下町に足を踏み入れたのは、ひと月ほど前のことだ。活気のある市場を抜け、少し入り組んだ路地裏に迷い込んだ時、俺は彼らに出会った。
「そこをどけよ、ノロマ!」
ガキ大将然とした少年が、俺より少し小さい子を突き飛ばしている。日に焼けた肌に、勝ち気な光を宿した瞳。周りの子供たちは、彼を恐れるか、あるいは崇めるような目で見ている。
突き飛ばされた子は、悔しそうに唇を噛んで立ち去っていった。弱肉強食。それは、俺が前世で戦っていたディスプレイの中の世界とも、今の俺が置かれているアルバート家という閉鎖社会とも、どこか似ていた。
俺はただ、その光景を壁に寄りかかって眺めていた。関わるつもりはなかった。だが、そのガキ大将――カイと名乗った――の目が、俺を捉えた。
「あ? なんだお前、見たことねえ顔だな。俺たちの縄張りで何してやがる」
面倒なことになった。俺は貴族だとバレないよう、少し汚れた服を選び、言葉遣いも崩していたが、所作の端々に育ちの違いが滲み出てしまうことは自覚している。早くこの場を立ち去りたかった。
「別に、何も。通りすがりだ」
「へぇ、威勢のいいこった。そのツラ、気に入らねえ。おい、お前ら、こいつで遊んでやろうぜ!」
カイの言葉に、周りの子供たちがニヤニヤしながら俺を取り囲む。その中に、一人だけ冷静な目でこちらを観察している少女がいた。後で知ったことだが、彼女がミアだった。
逃げ場はない。やるしかないのか。前世の俺なら、こんな状況は真っ先に避けていただろう。だが、今の俺は、失うものが何もなかった。むしろ、この理不尽な状況が、無気力だった俺の心に小さな火を灯した。
「いいぜ。ただし、一対一でやろうじゃないか、リーダーさん」
俺の挑発に、カイは面白いとばかりに口の端を吊り上げた。結果は、俺の圧勝だった。もちろん、正面からの殴り合いじゃ勝ち目はない。俺は前世の知識――FPSにおける基本中の基本、「位置取り」と「ヒットアンドアウェイ」を駆使した。障害物を利用して姿を隠し、カイの視界から消える。
彼が俺を探してキョロキョロしている隙に、死角から現れては足や背中を木の棒で軽く叩き、すぐにまた物陰に隠れる。
カイは俺の姿を捉えることすらできず、ただ翻弄されて息を切らすだけだった。最後には、「もうやめだ! お前、なんなんだよ!」と膝をついた。子供たちは、あっけにとられて声も出せずにいた。
その一件以来、カイは俺をライバルとして認め、何かと突っかかってきながらも、仲間として扱ってくれるようになった。俺にとって、それは不思議な感覚だった。前世で仲間を失って以来、誰かと群れることなどなかった。だが、こいつらといる時間は、悪くない。いや、むしろ心地良いとさえ感じ始めていた。
そして今日、カイが俺に頭を下げてきた。
「実はよ、レン。お前に頼みがあるんだ」
隣村との大規模な「戦争ごっこ」で、俺に「司令官」になってほしい、と。
司令官、か。その響きに、俺の心の奥底で、忘れかけていた熱い何かが疼いた。プロゲーマーを目指していた頃、俺はチームの司令塔(IGL - インゲームリーダー)だった。戦況を読み、仲間を動かし、勝利への道筋を描く。それは、エイム力や反射神経以上に、俺が最も得意とし、誇りを持っていた能力だった。だが、その夢は破れ、俺の戦術眼など何の価値もないと、自分自身で蓋をしていた。
だが、こいつらは、俺の「変な戦い方」に価値を見出し、頼ってくれている。
(もう一度、やってみるか。所詮は遊びだ。俺の知識がこの世界でどこまで通用するのかやってみるのも面白い)
空っぽだった心に、新たな目標という名の燃料が注ぎ込まれていくのを感じた。
「いいぜ、引き受ける。ただし、俺のやり方に文句は言うなよ」
俺の返事に、子供たちの間に歓声が上がった。
決戦までの数日間、俺は即席のチームビルディングに取り掛かった。まずは、子供たち一人ひとりの特性を見極める。腕っぷしの強いカイには、敵を引きつける「タンク」役を。すばしっこい奴には、側面から攻撃を仕掛ける「アタッカー」役を。そして、気が利くミアには、全体の状況を見て危ない仲間を助ける「サポート」役を任せた。
「いいか、一番大事なのは『報告』だ! 敵を見つけたら、場所と人数を大声で叫べ! それが俺の『目』になる!」
FPSにおけるボイスチャットの重要性を、俺は彼らに叩き込んだ。最初は「恥ずかしい」「意味が分からない」と文句を言っていた子供たちも、俺が仕組んだ模擬戦で報告の有無が勝敗を分けることを体験させると、次第にその重要性を理解していった。
そして、決戦の日。戦場となるのは、二つの村の中間にある、廃材置き場だ。俺は事前に何度も足を運び、障害物の配置、高低差、抜け道といった「マップ構造」を完全に頭に叩き込んでいた。
「いいか、絶対に俺の指示があるまで動くな。焦って飛び出した奴から負けるぞ」
俺は戦場を見渡せる一番高い瓦礫の上に陣取り、仲間たちを配置につかせた。やがて、隣村のチームが姿を現す。カイたちより頭一つ大きい奴らがゴロゴロいる。なるほど、個々の戦闘能力ではこちらが不利か。だが、問題ない。戦いは、始まる前から始まっている。
「敵、中央から突っ込んでくるぞ! カイ、いつもの場所で引きつけろ! 他の奴らは動くな!」
俺のコールが響く。敵は予想通り、数とパワーに任せて中央突破を図ってきた。カイが指定したポイントで敵の先頭集団を食い止める。
「ミア、右翼の連中を援護しろ! アタッカーチーム、今だ! 左から回り込んで敵の背中を叩け!」
敵の意識が中央のカイに集中した瞬間、俺は温存していたアタッカーチームを動かす。完全に無防備だった側面に回り込まれ、敵チームは混乱に陥った。報告が次々と入ってくる。
「敵、二人こっちに来た!」
「リーダー格の奴、カイとやり合ってる!」
頭の中に、戦場の3Dマップがリアルタイムで構築されていく。どこが手薄で、どこに戦力を集中させるべきか、全てが手に取るように分かる。この感覚、この全能感こそ、俺がかつて夢中になったものだ。
「よし、総攻撃だ! 囲んで叩け!」
俺の最後の号令で、仲間たちが一斉に敵チームへ襲いかかった。完全に陣形を崩された敵は、もはや烏合の衆だった。数分後、戦場に立っていたのは、俺たちだけだった。
「うおおおお! 勝った! 勝ったぞ!」
カイが雄叫びを上げる。仲間たちも、信じられないといった表情で顔を見合わせ、やがて爆発的な歓声を上げた。俺は瓦礫の上からその光景を見下ろし、静かに拳を握りしめた。
仲間と共に勝利を分かち合う。前世で失ってしまった、あの焦がれるような高揚感が、確かにここにあった。孤独だったこの世界で、初めて「居場所」を見つけたような気がした。
「すげえよ、レン! お前、マジで何者なんだ?」
興奮冷めやらぬカイが、尊敬の眼差しで俺を見上げる。ミアも、初めて驚きと賞賛が入り混じった顔をしていた。
その日の帰り道、俺は偶然、町を見回っていたガロウの姿を見かけた。アルバート家に仕える古参の兵士で、屋敷では「役立たず」の俺を何かと気にかけてくれる数少ない人物だ。彼は、歓声を上げて帰路につく俺たちを、少し離れた場所から見ていた。その表情は、ただのガキ大将を見るような、穏やかなものだった。だが、その瞳の奥に、何かを探るような光が宿ったのを、俺は見逃さなかった。
この時はまだ、俺たちの「戦争ごっこ」が、本物の戦いの序章に過ぎないことを知る由もなかった。だが、俺の心は確かに、次なる戦いを求めて燃え始めていた。