深夜の密会
王都の夜は、偽りの平和を纏っていた。新国王ルシアンの圧政の下、貴族たちは息を潜め、民は不安に顔を曇らせている。その闇に紛れ、俺は王都の片隅にある寂れた宿屋の一室にいた。ここもエレノアが手配した、彼女の情報網の拠点の一つだ。
扉が静かにノックされ、俺が合図を送ると、黒いマントで全身を覆った人物が滑るように入ってきた。マントのフードを外すと、月明かりに照らされた美しいプラチナブロンドの髪、強い意志を宿したアイスブルー瞳が現れる。ヴァルクス帝国の姫騎士、セリナ・ヴァルクスその人だった。
「待たせたな、レナード。首尾よく撒いてきた」
彼女の声は潜められていたが、その響きには確かな自信が満ちていた。
「助かるよ、セリナ。お前の動きのおかげで、王城の目は完全に貴族街に集中している」
俺は感謝を伝え、テーブルに広げた王都の地図を指差した。そこには、エレノアが更新した最新の兵力配置が記されている。
セリナは地図を覗き込み、満足げに頷いた。
「ふん、チョロいものだ。どいつもこいつも、帝国の威光と和平交渉の甘い蜜に目が眩んでいる。私が会談を持ちかけるだけで、蜘蛛の子を散らすように警備兵が動くのだからな」
彼女の外交圧力は、計画通りに機能していた。表向きは『和平条約の再交渉』を名目に、ルシアン支持派の主要貴族たちとの会談を次々とセッティングし、王城の警備兵力を彼らの警護のために王都の貴族街に分散させる。帝国との戦いを共に乗り越えた彼女だからこそできる、大胆かつ効果的な陽動だった。
「だが、それだけでは足りんだろう?」
セリナは鋭い視線で俺を見た。
「どうせお前のことだ、次の一手を考えているはずだ」
「流石セリナ、俺のことをよくわかってる」
レンに褒められてセリナの頬が一瞬染まる。
「その通りもう一つの陽動を、同時に仕掛ける」
俺がそう言った時、部屋の奥の扉が開き、もう一人の人物が姿を現した。その人物を見て、セリナの表情が驚きと警戒に強張る。
「お前は……レオンハルト王子。なぜ、お前がここに」
かつて王都を追われた第三王子、レオンハルトが、静かにそこに立っていた。
「久しいな、セリナ姫。今はただのレオンハルトだ」
レオンハルトは穏やかに、しかし王族としての気品を失わずに言った。
「レオンハルト殿下は、俺たちの協力者だ」
俺は二人の間に立ち、説明した。セリナはまだ納得がいかない様子だったが、俺の言葉を信じてか、ひとまず剣の柄から手を離した。
レオンハルトは、セリナに向き直り、深々と頭を下げた。
「セリナ姫、まずは礼を言わせてほしい。我が兄が引き起こした混乱に対し、貴殿がレナードに力を貸してくれていること、心から感謝する。そして、一つ、私の立場から明確にしておきたいことがある」
彼は真摯な瞳でセリナを見つめた。
「私がアークライト王国の正当な王位継承者として玉座に戻った暁には、今回の貴殿の行動を、一個人の、レナード・アルバートに対する助力であったと正式に認め、決して王国への敵対行為とは見なさないことを、アークライト王家の名にかけて約束しよう。この内乱に、帝国が巻き込まれることはない」
その言葉は、セリナが最も気にしていた点だった。彼女の行動が、帝国と王国の新たな火種になること。レオンハルトは、未来の王として、その懸念を払拭する最大限の約束をしたのだ。
セリナはフッと息を吐き、肩の力を抜いた。
「…礼には及ばん。私は、こいつに借りを返しに来ただけだ。それに、あの愚かなルシアンが玉座に居座り続けるのは、帝国にとっても望ましいことではないからな」
彼女はそう言ってから、ちらりと俺の顔を見て、少しだけバツが悪そうに視線を逸らした。その些細な仕草に、彼女の素直ではない優しさを感じる。
俺は話を本題に戻す。
「エレノアの内部工作についてです。彼女は今、内通者を通じて『レオンハルト殿下が、反乱軍を組織して王都に進軍中』という偽情報を、複数のルートから流しています」
俺は地図上の王都の外周を指でなぞった。
「情報源は、商業ギルド、傭兵団、そして国境の砦。それぞれに、もっともらしい噂を流す。ルシアンは、王都の外に脅威があると誤認し、すでに城内の兵力を割いて王都の城壁や街道の警備を強化し始めている。セリナの陽動と合わせて、王城の内部は今、がら空きに近いはずだ」
レオンハルトは、静かに頷いた。
「エレノアの策は、実に的確だ。辺境の村で再会した時にも感じたが、彼女は変わった。かつての彼女は、完璧な人形のようだった。だが、今は違う。お前たちと共に戦う中で、彼女は自らの意志で、最も効果的な策を導き出せるようになった。私の論理と、お前の絆、その両方を理解した真の軍師へと成長したんだな」
彼の声には、かつての部下の成長を喜ぶ、穏やかな響きがあった。
「彼女だけじゃない。ここにいる全員が、あなたとの戦いも含めて、多くの戦いを乗り越えて強くなったんです」
俺の言葉に、セリナが誇らしげに胸を張る。
自動的にその胸に目を奪われたがすぐにそらす。
今は大事な話をしているんだ。
レオンハルトは、そんな俺たちの様子を眩しそうに見ていた。
「…そうか。兄上は、自分の支配体制が盤石だと信じ込んでいる。だからこそ、外敵の排除を優先する。内なる反乱よりも、目に見える軍隊の脅威に、より過敏に反応するはずだ。エレノアは、かつての私を最もよく知る者だからこそ、今の兄上の思考を完璧に読める、というわけか…」
セリナは、腕を組んで感心したように言った。
「なるほどな。表では私が貴族を踊らせ、裏ではお前の軍師が王子を踊らせる、か。そして、手薄になったところに、主役のお前たちが登場するというわけだ。実に、お前らしい回りくどく、そしてえげつない作戦だ」
「まあ、まだ他にもあるんだがな。とりあえず褒め言葉と受け取っておくよ」
俺は不敵に笑った。
「ただ、忘れないで欲しいんだが、俺たちの本当の狙いはあのモブな第一王子じゃない」
ラインハルトが苦笑する。
「本当の狙いは陰で黒幕きどってる『賢者』だ」
レンの言葉に一同が頷いた。
光の外交官セリナ、影の王子レオンハルト、そして盤外の軍師エレノア。過去の因縁と、現在の共闘。それぞれの思惑と能力が、この秘密の会談で一つに収束していく。
「では、セリナ。引き続き、派手に貴族たちを振り回してくれ。俺たちが動くための、最高の舞台を。よろしく頼む」
「ふん、言われるまでもない。最高の見せ場をくれてやろう」
「レオンハルト殿下。民衆の前に立つ準備を。あなたの言葉が、この戦いの大義名分になる」
「ああ、わかっている。私の言葉で、民の心を一つにしてみせる」
三者三様の決意が、薄暗い部屋の中で交錯する。王都の闇は、まだ深い。だが、その闇の向こうに、反撃の狼煙が上がる瞬間は、刻一刻と近づいていた。俺は、頼もしき共犯者たちと共に、この王都での決戦に臨む。