戦術書と甘い菓子
セリナが捕虜として俺の屋敷で過ごし始めてから、数週間が経った。最初は警戒心をむき出しにし、俺と目を合わせようともしなかった彼女が、最近は少しずつ様子が変わってきている。俺が兵士たちと話している時、窓からこちらを見ている視線に気づくことがある。
「おはよう、レン!調子はどうだ?たまにはお前の指揮で訓練させてくれよ」
「ああ、おはようカイ!何言ってんだ、もう、必要ないだろ?隊長はお前だ。昨日の訓練、いい感じだったじゃないか!」
「そ、そうか?お前に言われると何だか照れくせーよ」
会話を聞いてる使用人達は内心ハラハラしているだろうがそんなことはどうでもいい。
俺は貴族としての体面なんて気にせず、気さくに言葉を交わす。前世での習慣というか、チームメイトとして接するのが自然だからだ。領民たちの声にも耳を傾ける。彼らの生の声を聞かなければ、本当に必要な政策は見えてこない。
「レナード様、収穫の件ですが…」
「ああ、聞かせてくれ。どんな小さなことでも構わない」
そんな俺の姿を、セリナはどう見ているのだろう。窓辺に立つ彼女の表情は、困惑しているようにも見えた。俺のやり方が、この世界の常識――貴族は尊大で、民を見下すもの――とは、かけ離れているからだろう。
セリナに対しても、捕虜ではあるが、決して侮辱することなく、一人の戦士として尊重したいと思っている。伝わっているかはわからないが、まあ、気にしても仕方ない。俺は俺のやり方でやるだけだ。
そして何よりも、リシアとの時間は大切にしている。
「お兄様、これ、私が作ったんです」
「ありがとう、リシア。嬉しいよ」
リシアの頭を撫でてやると、彼女は嬉しそうに笑う。前世で失った家族の温もりを、この妹との時間で取り戻しているような気がする。そんな俺とリシアの様子を、セリナはどんな思いで見ているのだろうか。彼女にも家族がいるはずだ。弱音を吐くことはないが、故郷を思い出しているかもしれない。
ある日、俺は書斎で戦術書を読んでいた。これは、俺の魂に刻まれた知識が具現化したものだ。FPSで培った戦術理論、ポジション取り、チーム連携…全てがここに記されている。
ドアがノックされた。
「入れ」
入ってきたのはセリナだった。彼女の視線が、俺の手元の書物に注がれる。
「貴様、そのような奇妙な書物を読んで、一体何を企んでいる?」
警戒心のある問いかけだ。まあ、無理もない。俺は顔を上げて微笑んだ。
「これは、俺だけの『戦術書』だ。この世界の戦い方とは、少し違うかもしれないが、なかなか面白いだろう?」
俺はセリナにその書物を見せた。彼女の目が、ページに描かれた図形や数字を追っている。「散開」「カバー」「フォーメーション」といった概念が、細かく記されている。
「これが…貴様の、あの奇妙な戦術の源か…」
セリナの声には、驚きが滲んでいた。
(そうだ。これが俺の武器なんだ)
実は、この戦術書が存在すること自体が、不思議な現象だった。プロゲーマーを目指していた頃、俺は常にゲームの攻略法を模索していた。ただプレイするだけでは満足せず、戦場の地形を詳細に分析し、敵の行動パターンを予測し、仲間との連携を極める。その過程で、俺は膨大な量のメモを書き記していた。それは、俺がプレイした全てのゲームの攻略法であり、FPSというジャンルにおける普遍的な戦術を記した、俺だけの「戦術書」だった。
プロゲーマーへの夢が破れた後も、その「戦術書」は俺の部屋の片隅に埃を被っていた。それは、俺の挫折の象徴であり、二度と開かれることのないはずの過去の遺物だった。しかし、俺の心はまだ、ゲームへの情熱を完全に捨てきれていなかった。深夜の野良試合で、無意識に繰り出されるかつての神業…。
転生した世界に、なぜFPSの戦術書があるのか。最初に見つけた時は目を疑った。だが俺という人格が転生した時、自らの人生の軌跡、そして叶わなかった夢そのものと言えるこの「戦術書」がともに転生したのは当然だとも思えた。なぜならこれは「俺自身」なのだから。これこそ俺の魂に深く刻まれた、勝利への渇望の残滓だった。そして、俺の魂が異世界に転生した瞬間、その情熱と知識が、新たな形で具現化した。
それは、俺の過去であり、未来だった。
FPSという無機質な世界で培われた俺の戦術眼は、剣と魔法が支配するこの世界で、新たな「攻略法」として蘇ったのだ。俺が叶えられなかった夢を、この異世界で再び追いかけるための、神からの贈り物だと感じていた。
セリナは、俺の戦術書を見ながら、何かを考え込んでいるようだった。時おり大きく頷いたり怪訝な顔をみせたりしている。彼女なりに個人技量で劣る俺がなぜ「勝てる」のかを読み解こうとしているようだった。
(彼女なら、理解してくれるかもしれない)
俺の戦術に、ただの奇策ではない、深い理論があることを。
俺は俺で、一緒にいるうちにセリナのことも段々とわかってきた気がする。最初はプライドが高く、気難しい姫騎士だと思っていた。まあ、実際その通りなんだが、意外にも真面目で、一度興味を持ったことにはとことん向き合う一面がある。戦術書を見せた後、彼女は時々質問してくるようになった。
「この『カバー』という概念について、もう少し詳しく教えろ」
「ああ、いいぞ。これはな…」
俺が説明すると、セリナは真剣な表情で聞いている。その集中力は、戦場での彼女の姿を思い出させた。
(この姫騎士、結構いい感じじゃないか…)
またある時、リシアがセリナに甘い菓子を差し入れた。
リシアはリシアでセリナとの距離感に戸惑っているようだった。
「セリナさん、あの、これ、良かったら食べてください」
「え、ああ、...ありがとう」
「これは、美味いな、リシア殿が作ったのか?」
「リシアとお呼びください、セリナ様。このお菓子はお兄様も大好きなんですよ!」
「意外だな、もっと堅物かと思っていたが…」
「いつも私には優しくしてくれます。お兄様は私の憧れです」
リシアは少しだけ「私だけのお兄様」と、セリナに牽制してみる。
「そ、そうか、あいつが女性に優しいなんて思ってもみなかったな」
セリナが言外のリシアの意図に気づいたのか、珍しく歯切れの悪い返事を返す。
そんなセリナとリシアが菓子を食べている姿を、俺は偶然見かけた。戦場での猛々しい姿とは全く違う、年頃の少女の表情だった。
「意外だな、姫騎士殿も甘いものが好きとは」
俺は思わず笑みをこぼした。
「う、うるさい!これは、たまたま、だ!」
セリナは顔を赤くして反論する。その姿が、なんだか可愛らしく見えた。
(ああ、こいつも普通の女の子なんだな)
戦場での厳しい表情しか見ていなかったが、こんな人間らしい一面があったとは。俺は、そんなセリナに親近感を覚えていた。
今回の帝国との戦いで見せた活躍は王都にも伝わり、評価はさらに高まっていた。王都の貴族たちは、俺の戦術に注目し始め、俺を王都に招こうとする動きも出てきた。
(面倒なことになってきたな)
だが、これも必要なステップだ。この世界で生き抜くためには、王都での地位も必要になる。そして、セリナとの関係が、今後の王国の歴史に大きな影響を与えることを、俺は予感していた。彼女との間に、単なる敵味方ではない、新たな関係が芽生え始めていることを自覚する。
(これは、ただの戦争じゃない。新しいゲームの始まりだ)
俺の心の中で、新たなゲームのロード画面が表示される。次なるステージは、王都。難易度は高いだろう。政治の駆け引き、貴族たちの陰謀、そして新たな敵。でも、今回は違う。
(この姫騎士は...最高のパートナーになるかもしれない)
セリナの戦闘能力は折り紙付きだ。そして、最近見せ始めた俺の戦術への理解力。この二つが組み合わさったら、かなり強力なチームになる。
ある夜、俺は書斎で戦略を練っていた。ドアがノックされた。
「入れ」
セリナが入ってきた。
「まだ起きていたのか」
「ああ、少し考え事をしていた」
「私もだ」
セリナが俺の向かいに座る。
「なあ、レナード。お前の戦術を、もっと学びたい」
彼女が俺の名を呼んだ。いつもの「貴様」ではなく、名前で。
「本当か?」
「ああ。負けは認める。だが、次は負けない。そのためには、お前の戦術を理解する必要がある」
「今は捕虜の身だが、いつの日かお前より強くなって帝国に戻ってみせる」
セリナの目には、真剣な光が宿っていた。俺は笑った。
「それは面白い。じゃあ、君を俺のパートナーとして迎えようか」
「パートナー...?」
「ああ。これからの戦いには、君の力が必要だ。一緒に戦ってくれないか?」
セリナは少し考えてから、俺の手を握った。
「分かった。協力してやる。ただし、私の方が強いということは忘れるな」
「もちろん。そのプライドの高さも含めて、頼りにしてるよ」
俺が笑うと、セリナも珍しく笑顔を見せた。
(よし、これで戦力が整った)
俺の心の中で、新たなゲームのロードが完了した。次なるステージは、王都だ。そして、その隣には帝国の姫騎士の姿があった。
(さあ、新しいゲームの始まりだ。今度も勝ってやる)
窓の外には、満天の星空が広がっていた。