武力クーデター勃発(後編)
レンの高速移動戦術とセレスティアの自動迎撃システム「天の火」のおかげで、アークヴァルドの軍勢の進軍は止まっていた。
しかし、それはあくまで一時的なものだ。レンは、まるでFPSゲームの難攻不落のステージにいるプレイヤーのように、焦りを感じ始めていた。
アークヴァルドは、苛立ちを隠せないでいた。彼の本陣は、魔王城からほど近い丘の上に設けられていた。そこから彼は、双眼鏡で戦場の様子をずっと見守っている。
「なぜだ…なぜ、こんなに時間がかかる!」
彼は拳を強く握りしめた。計画では、クーデター開始から数時間で城を制圧し、新体制を宣言するはずだった。
それが、レンというたった一人の狼獣人と、正体不明の光線兵器のせいで、全てが狂ってしまった。
「くそっ…!」
副官が心配そうに彼の顔を覗き込む。
「殿下、一度退却して態勢を立て直しませんか?」
アークヴァルドは、その言葉に激昂した。
「馬鹿なことを言うな! 退却など、ありえない!」
彼の瞳には、狂信的な光が宿っていた。この計画は、彼が長年温めてきた、純血主義の理想を実現するための唯一の方法だった。
「我々は、この世界で最も高貴な血を持つ存在だ。人間との血が混じった偽りの王に、この国を任せておけるはずがない。我々こそが、真の支配者として君臨するべきなんだ!」
彼の言葉は、自分自身に言い聞かせているようだった。彼は、自分の行動が正しいと信じていた。
この戦いは、未来の世代の魔族のために必要な、聖戦なのだと。
たとえどんな犠牲が出ようとも、目的のためなら許される。そんな歪んだ正義感が、彼の心を支配していた。
「このままでは…」
彼は再び双眼鏡を覗き込む。
前線では、彼の精鋭部隊がレンに翻弄されている。まるで、一人で戦場全体を操るかのように、レンは縦横無尽に動き回っていた。
「だが、必ず勝つ。どんな手段を使ってでも、この戦いに勝利し、純血主義の正義を証明してやる」
アークヴァルドの心は、焦燥と確信の間で揺れ動いていた。しかし、彼の決意は揺るがない。勝利への執念だけが、彼の体を突き動かしていた。
戦場の真っ只中、レンは息を切らしていた。『シャドウ・ストライカー』の魔力起動音が、まるで悲鳴のように聞こえる。
「まずいな…」
彼は額から流れる汗を拭った。体力的な疲労はもちろんのこと、何よりも精神的な疲労が大きかった。常に次の敵の動きを予測し、攻撃と回避を繰り返す。
それは、まるで終わりのないデスゲームのようだった。
(『シャドウ・ストライカー』の魔力が底をつきそうだ。一人で戦況を変えるには、限界がある…)
彼の心は、焦りで満たされていた。自分一人では、このクーデターを止めることはできない。
どうすればいい? もっと早く、この事態を食い止める方法はなかったのか? そんな自責の念が、彼の心を重くしていた。
その時、レンの魔法通信端末に、懐かしい三つの魔力が感知された。リシア、イリヤ、カティアだ。彼らは、戦場から少し離れた場所にいた。
「お兄様」
リシアの声が、はっきりとレンの耳に届いた。その声には、悲しみと、そして強い決意が込められていた。
「私たちに任せてください」
レンは驚き、思わず動きを止めた。何を言っているんだ、彼女たちは。
ここは戦場だ。彼女たちを危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「何をするつもりだ? ここは危険だ、すぐに安全な場所に…」
レンが言いかけると、イリヤが美しい精霊族の顔で微笑んだ。
「この争いを、誰も傷つけずに終わらせます」
彼女の瞳は、穏やかで、しかし確固たる意志に満ちていた。カティアが猫の瞳を輝かせ、続けた。
「武力による鎮圧ではなく、心による鎮圧を。私たちは、『癒しの光』の準備ができています」
レンは彼女たちの言葉を理解できなかった。どうやって、こんな戦いを「心」で鎮圧するというのか?
(妹達は、いったい何をしようとしてるんだ…)
リシア、イリヤ、カティアは、手を取り合った。三人の心は、一つになっていた。
リシアは、兄のレンが一人で危険な戦場を駆け回る姿を見て、胸が張り裂けそうだった。彼女は、ただ守られるだけの存在ではいたくない。
「お兄様が一人で戦うのを見ているのは辛いのです。私たちにもできることがあります」
イリヤは、神聖魔法の真の力を信じていた。彼女の神聖魔法は、破壊のためではなく、癒しのために存在するものだ。
「神聖魔法の本当の力は、争いを終わらせることにある」
カティアは、自分が持つ禁呪魔法の力を、誰かを傷つけるためではなく、違う目的で使いたいと願っていた。
「禁呪魔法も、破壊ではなく癒しのために使える」
三人の魔法が発動する。リシアの優しく温かい光魔法、イリヤの清らかで神聖な魔法、そしてカティアの、本来なら破壊を招くはずの禁呪魔法。
三つの異なる力が融合し、奇跡的な調和を生み出した。巨大な光の球となって、それは空に浮かんだ。その光は、まるで太陽のように温かく、そして優しかった。
その光景に、アークヴァルドも、彼の部隊も、そして魔王軍の兵士たちも、全員が戦いの手を止めて、空を見上げた。
魔王ルシファードは、城の窓からその光景を見つめていた。彼の目は、涙で潤んでいた。
「あの光は…まさか、曾祖父が理想とした『癒しの力』なのか」
彼の心に、かすかな希望が灯った。それは、武力による解決ではなく、愛と慈しみによる解決を願った、彼の遠い先祖の理想だった。
「武力ではなく、愛で争いを解決する。それこそが、真の統治者の力だ」
ルシファードは、その光に、曾祖父が残した平和への願いと、彼の理想を重ねて見ていた。この光が、争いを終わらせてくれるだろうか。彼の祈りは、天に届くのだろうか。
光の球は、ゆっくりと戦場全体を包み込み始めた。
その光は、全ての兵士の心を温かく照らし、彼らの心から、争いへの憎しみと怒りを静かに溶かしていくようだった。