祭典の罠
収穫祭当日の朝、街は異様な緊張に包まれていた。
「お兄様、街の雰囲気が...」
リシアが兎の耳を不安そうに動かしながら窓の外を見つめた。
普段なら祭りを楽しみにしている住民たちの表情が、どこか硬い。魔族と獣人族の間に見えない壁があるのが感じ取れた。
「情報戦の影響が深刻ですね」
エレノアが魔族の翼を心配そうに動かした。
「でも、後戻りはできません」
レンが狼獣人の姿で決意を込めて言った。
「今日、全てが決まる」
街の中央広場では、大きな舞台が設営されていた。収穫祭の恒例行事として、魔王の演説が予定されている。しかし、今年は明らかに違った。
舞台の周りには、アークヴァルドの支持者と思われる魔族たちが陣取っている。一方、魔王を支持する者たちも集まっているが、その数は少ない。
(これは、アークヴァルドがかなりの人数を民衆を扇動するために集めてるな…流れにのみこまれたら危険だ…)
レンが群衆をみて考えていると、それを見たセレスティアもレンに、話しかけた。
「こりゃあ、アークヴァルドの方が人数で優勢だね」
セレスティアが竜人族の角を撫でながら、辺りを見まわした。
「数だけが全てではありません」
イリヤが決意を込めた顔で言葉を続ける。
「真実の力を信じましょう」
昼過ぎ、魔王が舞台に登場した。いつも通り威厳のある姿だが、どこか思い詰めたような悲壮感も漂っていた。
「我が国民よ」
魔王の声が広場に響いた。
「今年も豊かな収穫を祝う時が来た」
しかし、民衆の反応は冷ややかだった。普段なら歓声が上がるはずの場面で、ざわめきと疑惑の視線が向けられている。
この民衆の態度を見た魔王ルシファードは、あらためて真っ直ぐに民衆に向かい、そしてゆっくりと話し始めた。
「最近、私について様々な噂が流れていることは承知している」
魔王が直球で切り込んだ。
民衆がどよめいた。
「私は今日、全ての疑問にお答えしよう」
その時、群衆の中からアークヴァルドが現れた。
「魔王陛下」
アークヴァルドの声が広場に響いた。
「それならば、私からも質問があります」
「アークヴァルドか、よろしい何なりと答えよう」
魔王が堂々と答えた。
「陛下は、純血の魔族でいらっしゃいますか?」
静寂が広場を支配した。全ての視線が魔王に注がれる。
魔王が一瞬沈黙した後、答えた。
「私は、初代魔王田中一郎の血を引く者だ」
「それは答えになっていません」
アークヴァルドが詰め寄った。
「田中一郎は人間でした。つまり、陛下には人間の血が流れているということですね?」
民衆がざわめいた。
「そうだ」
覚悟を決めた魔王が率直に認めた。
「私には人間の血が流れている」
広場が騒然となった。
「裏切り者!」
「人間が魔族を支配していたのか!」
アークヴァルドが仕込んだ者達が真っ先に叫ぶ。
民衆もそれにつられ、やがて会場全体が怒号に包まれていった。そして、その状況を見てアークヴァルドが満足そうに微笑んだ。
「お聞きください、同胞たちよ!」
アークヴァルドが演説を始めた。
「我々は人間に騙されていたのです!純血の魔族ではない者に支配されていたのです!」
民衆の一部が同調し騒ぎ立てる。
しかし、その時、予想外の声が響いた。
「待ってください」
レンが狼獣人の姿で舞台に上がった。
「また貴様か、いったい貴様は何者だ?」
アークヴァルドが警戒した。
「私は旅の者です。しかし、この場の議論に参加させていただきたい」
「獣人風情が口を挟むな!」
アークヴァルドの支持者が怒鳴った。
「いえ、訊かせてください」
レンが冷静に言った。
「魔王陛下が人間の血を引いているとして、それが何か問題なのでしょうか?」
民衆がざわめいた。
「問題だらけだ!」
アークヴァルドが叫んだ。
「魔族は純血でなければならない!それが我らの誇りだ!」
「誇り、ですか」
レンが首をかしげた。
「では、お聞きします。この国の発展は誰が成し遂げたのでしょう?」
「それは...」
「上下水道、医療制度、教育システム。これらは田中一郎、つまり人間の知識によるものではありませんか?」
民衆が考え込み始めた。
「さらに言えば」
レンが続けた。
「この国は魔族だけの国ではありません。獣人族も共に暮らしています。純血主義を押し進めれば、彼らはどうなるのでしょう?」
アークヴァルドの表情が険しくなった。
「獣人族は我々に従えばよい」
「従う?」
レンが驚いたふりをした。
「つまり、共生ではなく支配ということですか?」
「当然だ!魔族が上位種族なのだから!」
アークヴァルドの本音が露呈した瞬間だった。
(しめた!奴は口を滑らしたぞ!)
民衆の中の獣人族たちが動揺した。
レンはこの勝ち筋を最大限に利用し話を続ける。
「皆さん、お聞きになりましたか?」
レンが民衆に向かって言った。
「これが純血主義の実態です。血統による差別と支配です」
「黙れ!」
アークヴァルドが激昂した。
「貴様のような下等種族に発言権はない!」
その瞬間、群衆の中から声が上がった。
「下等種族だって?」
「俺たちは下等種族なのか?」
獣人族の住民たちが怒り始めた。
「そうだ、貴様らは下等種族だ!」
アークヴァルドが開き直った。
「魔族に従うのが自然の摂理だ!」
この発言で、形勢が一気に変わった。
魔族の中にも、アークヴァルドの過激な発言に眉をひそめる者が現れた。
「ちょっと待てよ」
ある魔族の商人が立ち上がった。
「俺の店で働いてる獣人族は、真面目で優秀だぞ」
「そうだ、俺の知ってる獣人族も立派な奴らだ」
「下等種族なんて言うのは行き過ぎじゃないか?」
民衆の意見が分裂し始めた。
レンはチャンスを逃さなかった。
「どうか、考えてみてください」
レンが演説を続けた。
「この国の素晴らしさは、多様性にあるのではありませんか?」
「魔族の知恵、獣人族の勤勉さ、そして人間の革新性。これらが組み合わさって、今の繁栄があるのです」
民衆が頷き始めた。
「血統の純粋性より、心の純粋性の方が大切ではないでしょうか?」
その時、リシアたちも舞台に上がった。
「皆さん、私たちを見てください」
リシアが光魔法を放った。温かい光が広場を包む。
「私は、この国の平和を心から願っています」
イリヤが神聖魔法で癒しの力を放った。
「種族が違っても、同じ心を持っています」
カティアが禁呪魔法で美しい光の花を咲かせた。
「大切なのは、お互いを思いやる気持ちです」
民衆が感動し始めた。
「これが共存の美しさです」
レンが締めくくった。
「血統ではなく、心で繋がることの素晴らしさです」
アークヴァルドは劣勢に追い込まれた。しかし、彼には最後の手段があった。
「騙されるな!」
アークヴァルドが叫んだ。
「あの者たちは魔族ではない!人間だ!変装しているのだ!」
民衆が再びざわめいた。
「証拠を見せろ!」
しかし、アークヴァルドには決定的な証拠がなかった。
「信じられないなら、魔法で正体を暴いてみろ!」
レンが挑発した。
アークヴァルドが魔法をかけようとした瞬間、セレスティアの装置が作動した。変装が一時的に強化され、正体がバレることはなかった。
「ほら、何も変わらないじゃないか」
(良くやったセレスティア!事前に準備しておいて正解だった…これもエレノアが時間を稼いでくれたおかげだ)
レンは内心、冷や汗をかいていた。
民衆の多くがレンたちを支持し始めた。
「血統よりも心だ!」
「共存万歳!」
「多様性こそ我らの誇り!」
アークヴァルドは完全に劣勢に回った。しかし、彼にはまだ最後の切り札があった。
「ならば...」
アークヴァルドが不気味に微笑んだ。
「力で決着をつけようではないか」
突然、アークヴァルドの配下と思われる武装した魔族たちが広場を取り囲んだ。
「これは武力クーデターですね」
エレノアが冷静に分析した。
「ついに本性を現したか」
レンが身構えた。
思想戦は、いよいよ武力衝突へと発展しようとしていた。