第二話:小鬼のいる部屋
午前十時。
雲の切れ間から差す陽光が、事務所の薄汚れたガラス窓をぼんやり照らしていた。
袴田十五は、ソファに座ってぼんやりと缶コーヒーを傾けている。
ラーメン、深夜、エルフ——。
昨日の出来事を思い返して、胃のあたりが重くなる。
「……やっぱり俺、変なの拾っちまったよな」
その“変なの”こと、ラスティア・アルベルクは、事務所の一角でカップ麺に夢中だった。
「この“焼きそば”ってすごくおいしいですね! ソースの香りが癖になりますっ」
「……そりゃ良かったな」
十五が呆れたように言ったそのとき、事務所のインターホンが鳴った。
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「“小さい鬼”が出る、ですって?」
やってきた依頼人——若い眼鏡の男性が、怯えた声で語った。
「はい……夜になると天井裏で何かが動き回るんです。最初はネズミかと思ったんですけど……ある夜、ふと見上げたら……」
彼の手が震える。
「天井の隙間から……小さい、人の形をした何かがこっちを……じっと、見てたんです」
「おいおい、そういうホラーはご遠慮願いてぇな」
十五がため息をつくと、ラスティアがスッと立ち上がる。
「十五、それ、“チビゴブ”かもしれません」
「チビゴブ?」
「低級魔物です。魔力が薄く残る場所に引き寄せられ、人の住居に巣を作る性質があります。力は弱いですが、放っておくと厄介です」
「……なんでそんなもんが、こっちの世界に?」
ラスティアは、ふと表情を曇らせた。
「おそらく……私が来たときに、時空の裂け目から“何か”が流れ込んできたんだと思います。世界の壁が、ほんのわずかに、揺らいでしまった」
「お前のせいか」
「う……すみません……」
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夜、依頼人のアパート。
天井は低く、空気は湿っていて重苦しい。十五は見上げながら低く唸った。
「やっぱ、なんか居るな」
「感知術、展開します」
ラスティアが小声で呪文を唱えると、空気中に淡い光の粒が浮かび始めた。
そして——天井裏の一点が、ぼんやりと光を帯びる。
「いた……! 小さい……でも、魔力反応があります!」
直後、天井板を突き破って、小さな灰色の生き物が飛び出してきた。
「ギッ、ギャッ!」
「出たな、チビゴブ!」
十五が依頼人をかばって身を引く。ラスティアが一歩前へ出て、指を鳴らす。
「《風縛の糸》!」
風の帯がチビゴブの手足を絡め取り、宙に浮かせた。じたばた暴れるが、抜け出せない。
「魔力量は低め……一体だけなら大したことありませんが——」
ゴン、と音がして、別の天井板が落ちた。
「もう一体、いるぞ!」
灰色の影が床に着地し、こちらに向かって突進してくる。
「チッ……!」
十五が懐から伸ばしたのは、伸縮式の鉄製警棒。
振り抜いた一撃がチビゴブの側頭部にヒットし、バランスを崩させる。
「“風刃!”」
ラスティアの風の刃が追撃し、チビゴブは悲鳴を上げて後ずさる。
そして——ふいに、涙目になった。
「……あ、降参、みたいです」
「は?」
「この種族は、力で制されると、結構素直になることもあります」
「……だったら最初から出てくんなよ……」
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魔法の帰還術式を使い、二体のチビゴブは光の粒となって消えていった。
元の世界に“お帰り”ってわけだ。
「ふぅ、やっぱり魔法の精度が不安定ですね……」
ラスティアが腕をさすりながら、ぽつりと言った。
「お前、さっき言ってたな。異界の裂け目ができたって」
「……はい」
「それ、直せんのか?」
ラスティアはしばらく黙っていたが、やがて小さく首を振った。
「帰還術には“世界座標”が必要なんです。でも、私の装置は……壊れてしまったから」
彼女は懐から、壊れた腕輪のような金属を取り出す。
微かに魔力の残滓が漂っていた。
「元の世界がどこにあるのか、今はわからない。修復も、この世界では材料も精霊も足りなくて……」
「じゃあ」
「——私は、帰れません」
彼女は無理に笑おうとしたが、表情はどこか寂しげだった。
「だから、せめて……できることを探そうと思って。人助けとか、依頼とか」
「……変なエルフだな、お前」
「へっ?」
「普通、異世界に飛ばされたらパニクって終わりだろ。よくそんなに前向きでいられるな」
十五はふっと笑い、缶コーヒーを飲み干した。
「……ま、しばらくは、うちで働け。役に立つなら、居ていい」
「ほんとですかっ!?」
「うるせぇ、声がでけぇよ」
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朝焼けがアパートの外を照らす。
異界と繋がりつつある現代。その片隅で、ヤクザとエルフは肩を並べて歩き始める。
彼女の帰る場所は、今は遠く——
だが、この世界にしかない“何か”を、二人はこれから少しずつ見つけていく。