女人憂(アクトレス)
好きこそ物の上手なれとは、よく言ったものである。蓋し、「好き」は全ての原動力であり、それはさながら滑走路も補給基地すらも必要としない航空機のようであって、その勢いたるや音速を遥かに凌駕する。
しかし、私は先日ある腐れ縁の友人に「好きなことと向いていることでは、人はどちらを選ぶべきか」と問われて少々困った。
彼は言う。総て人は「向き」を選ぶべきであると。それは、人の「好き」が山の天気の如く変じやすいものであるのに対して、「向き」は、いわゆる才覚というものは大きく変わることがないからだと得意げに笑った。
確かに、「だいすき航空推し推し便」は滑走路も燃料をも必要とせずに全世界を飛び回るが、そのパイロットは行先を知らない。ゆえに、ときに操縦桿の握り方すらも知らぬままに滑空や旋回を試みて、大海原にその身を落として溺れ果てるかもしれない。南極大陸に流れ着き、極寒の中に頭を冷やしてようやっと、今まで私はなんのために飛んでいたのかと考えさせられることだってあろう。だが、それが良いのではないか。向いていなくとも、好いているから、するもの。生きがいとは、そういうものであってほしい。
私の反論に、友人は少々にやりと笑って、続けた。
「向き」はそう簡単に変わるものでは無いと言ったはずだ。例えば、人々を魅了する歌姫がある朝急に音痴になるとは考えにくい、熟練の刀工が包丁すらまともに研げなくなる日が来るとは考えにくいなどと、次々に例を持ち出しては、彼の持論を補強せんと、さながら「況や我の論理力をや」と締めくくらんばかりに得意気になっている。
友人は元来面倒臭い奴であった。それゆえに、彼は今までその飄々とした語り口で多くの人を閉口させ、あわや世界で最も優れた論破王とでも名乗り出しそうなものであったが、それをみすみす見逃してやるような人間ではないほどに、私もまた面倒臭い奴なのであった。
私は彼よりも幾分か聡明そうな笑顔を作って返してやった。「向き」とやらがいつ終焉を迎えるかもまた、わからないではないかと。歌姫がある日突然、失声に罹ることもあるではないかと。刀工が腰の痛みに耐えかねて、店を畳んでしまうこともあるのではないかと。
彼は、刀工が腰を折るのは勝手だが、話の腰を折るのは味気が無いなどと巫山戯てみせた。そして、そんなもの確率論だ、偶然だと言い始めた。しかし、そう言うならば、彼の「好き」がいつ終わるかという話もまた不確かなものである。
それならば、せめて「好き」に向かって一直線に死ねるならば本望であろうと私が言うと、彼はその人の「好き」が例えば殺人や強姦等であった場合はどうするのかと言い出したので、いよいよ論点ずらしが詭弁家のようになってきたなと私は笑って、暗殺に「向き」があれば君はアサシンになるのかねと訊いてやった。
結局、「好き」は誰かの「好き」や「向き」の可能性を奪う方向に向かってはならないという、何とも微妙な砂漠に我々の談議は不時着し、恐らくもう二度とこの話を「好き」になれない我々は、オアシスを探して彷徨うだけのターバン二匹に成り下がったのである。まあそれが我々には向いているのかもしれないけれど。
さて、ここまで読み進められた「向き」だか「好き」だか知らないがどちらかを、あるいはどちらをも持ち合わせていらっしゃる素敵な皆様には、少しだけ面白いお話をして差し上げられると思う。もう一寸だけ、突然の腰痛や墜落事故にアテンションされつつ、御付き合い願いたい。
これは私が、役者を志しているという女に出会った話である。
女なんてものはみな役者であって、本音を隠す生き物であると、ゆえに女優に特段の素養など必要なく、記憶力と美貌さえあれば良いと、恥ずかしながら私は本気でそう思っていた。この女に出会うまでは。
事の始まりは、何の変哲もない偶然の所業であった。私の所属する英語圏文化研究ゼミは、英国の異界譚などについて、毎週教授から二人組で発表を用意してくるように指示されるのだが、そのペアが我々だったというだけのことである。
まあ、なったものは仕方がない。覚悟を決めて、事前準備をすべく、特段話したこともない謎の女に連絡を取る。だが、一向に返事が来ない。これだから協業というものは嫌いである。私にとって協業は「向き」でも「好き」でもない。苦痛である。私は以前から、自分がやったことをあたかも二人で成したことであるかのように見せ繕うことで、「人間」を演じてきた。それが私なりの処世術だった。
五日は疾く過ぎ、発表前日となった。私はとうとう痺れを切らし、彼女を研究室に呼びつけて叱ることにした。
「やる気がないのなら、やる気がないともっと早く言っておいて欲しい。無視をしていては何の解決にもならない。君だけの問題ではないんだ。」
淡々と怒れる私に、彼女は驚きもせず謝った。
「すみません。」
謝って済めば警察も刑罰もいらない。私が呆れて、もう帰ろうと思ったときだった。彼女が放った言い訳に、どうしてか強く心を惹かれてしまったのである。
「わたし、色々とテーマや課題について考えたんです。でも、何がわからないのかもわからなくて、困ってしまって。こんなふうに迷惑をかけてしまって。本当にすみません。」
待ってくれ。それを言われては敵わない。私はこの女の態度を咎めたいのであって、無知を咎めたいのではないのである。しかし、これ以上何かを言ってしまっては、私はただの啓蒙主義者か、下手したらあの面倒臭い友人と何ら変わらない生物に成り下がったりはしないか。そうなっては困る。私のプライドに傷がつく。深めに。
「わかった。反省していることは充分伝わったので、これから急いで遅れを取り戻そう。」
気づけば私はこう言っていた。
このとき彼女が見せた表情は、笑顔とも哀しみともとれないような、このときのためだけの顔だった。彼女は確かに、声ひとつ出さずに私が最も聞いてみたかった言葉を演出して見せたのだ。「無知なわたしですみません。でも、貴方に教えていただけるなら、わたしは頑張れるのです。貴方がこうして教えてくださる優しさが、わたしにはうれしいのです」と、確かにこの女の顔はそう言っていた。私はひどく弱って、以降全く彼女を咎めなかった。むしろ彼女と話すのが、愉しくて堪らなくなっていた。
そして、気づけば私の財布の紐はいとも簡単に解かれ、夕食までご馳走していた。食事中の雑談として、私はついに彼女が女優を志していることを知ることになる。そのときの私は、咄嗟に、「向いているんじゃないか」くらいに返す他なかったが、あとから思えばあまりに粗末な回答だったと、恥ずかしくなる。
彼女は最初こそ大人しかったが、私のことを優しい人間であると見抜くや否や、自分の話を沢山するようになった。英文学を専攻しているのは、いつかシェイクスピアの劇を演じてみたいからだとか、女優になれたら東京に住むのだとか、父母にはそれを内緒にしているだとか、聞けば聞くほど私にはこの女面白いなと思えて仕方がなくなっていた。彼女は続ける。
「演劇はとても楽しいんです。わたしに才能があるかどうかなんて、正直わかりません。けれど、演じている自分は、今の自分とは違う人生を生きる人。その人に命を吹き込むことが、私にとっての幸せなんです。」
「それに……。」
「それに?」
「若いうちからしか、始められないものだから。きっと。もし、私が演劇に向いていたとしても、盛りを過ぎてからでは、遅いんです。誰も見向きもしてくれないでしょうから。」
どこか遠くを見ながら話す彼女は、今までに見せたことのない、特異な笑顔を放っていた。私はその原因に強く惹かれ、彼女に言った。
「それほどまで君を虜にする演劇の世界に、興味が湧いてきたな。」
「今度、舞台があるのでぜひ先輩にも見に来ていただきたいんです。先輩の感想を聞きたいです。」
私は、良し判ったと即答し、彼女の演劇チケットを予約することと相成った。
私は演劇に興味があるのではなかった。だが、どうしてか、今この瞬間にしかない人間の「好き」と「向き」が、重なる瞬間を目撃できる気がして、心が躍った。
さて、長くなったが、まだ読者は残っているのだろうか。日記にも劣るようなくだらない文章を読んで、私に幻滅されてしまっては適わないので、そろそろ締めに入ることにしたい。
結局、「向き」も「好き」も、いつかは失われる儚いものであって、それを一生同じ気持ちで追い続けるには限度があるものなのかもしれない。しかし、「向き」は手探りでも、「好き」に全力で挑まんとする彼女が私に公演チケットを買わせてしまったように、それらを突き詰めた先にはきっと素敵な出会いというものが安置されていると思いたいものである。人生とは、そういうものであってほしい。たとえどれだけ小さな光だったとしても、諦めの闇夜より、ずっと美しいはずだ。
そんなことを考えながら徹夜で仕上げた発表レポートは、十割が私のお手製であったのだが、驚いたことに彼女は、それを一読するや否や瞬時に彼女が発言すべき所を全て把握し、まるで協業の手本を見せつけるかのように、私との発表を成功させた。最高評価を得た私たちは、喜び合うこともなく、軽く労い合うに留まって、また会話なき日々に戻っていった。
そして今日、気づけば私は、濡れたハンカチのせいで湿ったチケットの半券を片手に、次回公演の予約をさせられていた。どうか彼女が腰を悪くしないことを願いたい私は、次回公演に合わせて飛行機の手配を進めた。
女優からの返信は、まだ無い。