レコードと小説
ラジオで興味深い話を聞いた。今や音楽は配信ダウンロードで聴くのが主流だが、MCはレコードで聴くのが好きだと。で、そもそもCDとレコードでは、何か違うのか? レコードだと溝の雑音などが入るが、それがまたいい、と楽しむむきもある。が、それだけなら音源としてはCDの方が正確だ。
しかし実は、音源としてのCDとレコードでは明らかな違いがある、という話なのだ。では、何が違うのか? CDでは音は、よりクリアだ。そもそもだが、音とは何か? 空気の振動である。その振動にも、波長によって人間の耳に聞こえる領域と、聞こえない領域がある。
CDではより音をクリアにするために、聞こえない領域はカットしているのだそうだ。が、レコードではそんな事はしてない。聞こえない領域の音も、そこには含まれている。確かにそれは聞こえてない。しかしその振動は、耳から、身体から伝わり、人間は聞こえない音も感じている、というのだ。
その聞こえてないが感じてる領域。それが言うなればレコードの『深さ』だ。それははっきりと認識できるわけではないが、確実に存在する領域の話である。その表に形になって現れていない領域が、人に深みを感じさせる……というのは、ちょっとファンタジーか?
が、この話を聞いて、ふと小説も似たものかも、と思った。昔はよく『行間を読む』とか言われたものだが、即物的な理解ばかりが進む現在ではもはや死語かもしれない。しかし行間はともかくとしても、小説は全てが言葉で書かれたものだ。映像コンテンツと違い、どうしても言葉による想像力を必要とする。
前に読んだ本の中で、ある作家が「登場人物の外見の描写は敢えてしない。読者に好きに想像してほしいから」と言っていた。その時は「ふ~ん」とか思った。僕はどっちか言うと、結構、書くほうだから。
けど、敢えて書かない、というテクニックも必要なのかもしれない。無論、小説の別の特性は、他の娯楽コンテンツに比べて詳細な情報量を入れることができる、という面もある。あるいは、普段覗くことができない、長い心情の描写も小説ならではの面がある。そんな特性を知った上で、効果的に使いたい。




