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 『柔医伝』のこと

秋山四郎兵衛という人は、楊心流という柔術の創始者なのだが、小児医だったという。武術家なのに医者というところに惹かれて、この人の話を書きたいと思っていた。


柔道というのは明治になってから、嘉納治五郎は各柔術を研究し、主に天神真楊流と起倒流の二つを独自に体系化したものだ。この天神真楊流の源流に楊心流があり、その始祖・秋山四郎兵衛は戦国初期の人なのだった。


しかしこの人、長崎の人で大陸に渡って技を学んだ後、大宰府で遂に開眼した、という伝承がある。それ以外は福岡のなんとかいう藩主の、北上の旅に同行したという伝承くらいしか残ってない。ほとんど、謎の人なのだった。


伝承がない、という事は逆に、何を書いてもいい、という事なので、シメシメとか思ったのが大間違い。その福岡の藩主の時代を調べ、おおまかに生きた年代を想定した上で、当時の長崎の情勢を調べてみた。ら、なんと日本初のキリシタン大名、大村純忠による政策で、長崎は荒れに荒れた時代だという事が判ってきた。


大きく寄与したのは『教会領長崎』(安野眞幸著)という文献で、当時の長崎の様子が詳しく描かれていた。それを基点にキリシタンの歴史、大村純忠の人生、当時の急襲の戦国状況を調べる。


無論、秋山四郎兵衛が医者である以上、東洋医学にも詳しくなくてはいけない。医学史や漢方の基本的な診療法、日本の受容史だとかやたらに調べた。さらに実はここに武術史上の謎を書き込みたいと思った。


中国の武術書『紀効新書』には、太極拳の源流と思われる型が載っているとどうじに、何故か日本の陰流の伝書らしきものが写されているのである。この陰流の伝書は、倭寇に混じっていた陰流の遣い手から入手したものだろうと考えられている。


そんな訳で倭寇についてもやたら調べた。そうして三年くらい資料を読み込み、執筆したのが『柔医伝』である。僕にとっては、非常に転換点となった大事な作品なのだった。


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