『新宿野戦病院』と想像力
宮藤官九郎の新作という事で『『新宿野戦病院』を見た。面白かった。…が、ちょっと思った。「どれだけの人が、これについてくる?」
ブッ飛んだ始まりで、ブッ飛んだキャラ。これが新宿歌舞伎町か。オーバードースとか、ホストに貢ぐ女性、外国人犯罪者等の色んな事がちらちら描写されてるが、これを『リアル』に感じる人がどれだけいるだろうか?
前作『不適切にもほどがある』では、昭和の時代と現在のコンプライアンスをすり合わせて、今を生きる人が感じてる微妙な違和感、息苦しさを浮き彫りにして大ブレイクした。それから考えると、この『新宿~』の荒唐無稽さは何だ?
いや、予想のつかなさこそが、本来のクドカンの真骨頂。予想を裏切り、「え~、そうなる?」と思わせるのが宮藤官九郎だ。むしろ『あまちゃん』だとか『ふてほど』は、クドカンっぽくない、と言ってもいいぐらいか。
思うに。自分の見知ってる事に近いものを受容する時は、想像力を必要としない。想像力のコストが低い、という事だ。それに対して想像力の範囲外にあるものを受容するのは、コスト―労力が必要なのだ。
『ふてほど』は、懐かしい昭和と現在が素材なのでコストが低いのに対して、『新宿』はコストが高い。身近でなくて、縁遠い世界だ。『ふてほど』より評判あるいは視聴率が落ちるとしたら、このコスト高が原因だと思う。
ついでに思ったが、『転生もの』は一般の人(ファンタジーとかSFとか見ない人)にとってはコストが高いが、そのジャンルに慣れてる人にはコストが低いジャンルなのだ。よくあるファンタジー世界、というだけで、ほとんど世界描写をしないのも特徴だと思う。
正直言うと、僕もあまり身近に感じない世界のものを読もうとは思わない。例えば古代ローマものとかイスラム圏ものとか、あるいは逆に乙女ゲーものとか。縁遠いわけだ。けど、『キングダム』みたいに、多くの日本人にとって大して身近でないような世界観で、ヒット作になったものもある。
それは一重に力量…というべきなのか。う~む、難しい問題だ。




