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好みのモチーフ

AKBに一時期ハマっていたのだが、実はあまりテレビは見ないので、もっぱら動画を見ていた。その内、乃木坂・欅坂も見るようになる。で、女の子たちではなく、すっかり作詞家・秋元康のファンになってしまった。


秋元康は、あまり好きな作詞家ではなかった。むしろ嫌いだったと言ってもいい。僕はアイドルには興味がなかったので、おニャン子クラブとかほとんど知らなかったし、とんねるずで秋元が書く詩の世界も嫌いだった。


それが、どうして一転好きになったのか。多分、きっかけは『ポニーテールとシュシュ』だ。女の子たちが歌ってる歌なのに、その詩の世界は「好きだなんて、いえやしないよ」という繊細な少年の恋心の世界だったのだ。


それまでずっと聞いてたのは、一言で言って『僕』という一人称が特権的な位置を持つ歌詞の世界だ。TMネットワーク、尾崎豊、B,zなどがそうだった。これらの歌詞に世界は「僕」に対して「君」というスタンスが定番だ。


秋元が提示してきた世界はそれに近いものだった。男の子の片思いでは、『言い訳May be』がかなり好きで、毎日、MVを見ていた時期がある。あのMVに、本当にやられた。


しかしそれ以上に好きだな、と思ったのは、例えば『二人セゾン』『混ざりあうもの』『君の名は希望』の世界だ。これは、集団に馴染まない少年が孤独を保っているところに、不意に女の子がその扉を開く…というモチーフだ。……これにはやられた。


小林秀雄の有名な評論に、ドストエフスキーの『罪と罰』の主役、ラスコーリニコフの精神世界を表して『自意識の球体』と呼んだものがある。そう、この自意識の球体は、集団世界から距離を置くような知的青年の自我の殻なのだ。この自我の殻を破るのは、他者としての少女だ。それは文学における一つの主要テーマですらあった。


それを秋元は小難しい形ではなく、日常にありそうな、そしてどこか郷愁を誘うような彩りを添えて詩の世界にした。このモチーフ、秋元の書いた色々な作品に出てくるのだけど、これを聞くとキュン、とくる。


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