悪役の難しさ
『鬼滅の刃 柱稽古編』の最終回を観た。その前回から、鬼舞辻無惨が産屋敷の屋敷に歩いてきている。この歩くシーンをたっぷり見せる。これがまず、よかった!
こんな歩いてるだけのシーンをたっぷり見せるというのは、贅沢な描写だ。こういう事は漫画でも小説でも、なんだったら劇場アニメでもできない。尺が十分にとれるテレビアニメだからできるのだ。いやあ、贅沢な描写だった。
それから無惨と産屋敷の会話のシーンがまたよかった。「お前は何か、思い違いをしている……」とか無惨が言う訳だ。いやあ、その言い草が酷くて、本当によかった。
「私は千年間、人を喰らったにも関わらず、神にも仏にも会ってない」いやあ、そりゃあそうだろうよ、無惨。お前の言う事はもっともだ。そして言うにことかいて、「お前の話には辟易した」 …いやあ、どんだけだよ。なかなか、ああいう会話を考えるのは難しい。けど無惨の理不尽な言い分に、シビれた。
悪役を書くってのは本当に難しい。大沢在昌の小説講座の本で、受講者の一人が注意されている。作者の人がいい人なのか、善人ばかりで悪人が書けてない、と。余談だけど、この大沢在昌さんの本は凄く勉強になるので、いい本だ。
やっぱり戦いものを書くので敵とかラスボスとか出すんだけど、中々、『圧倒的な存在感』とかを出すのは難しいものだ。そこいくと無惨は、下弦の鬼を皆殺しにした時、本当に震えた。あれは凄いくだりだった。
ああいうシーンを描ける、というのは本当に凄い作家だと思う。小悪人や小悪党は難しくない。その辺にいるからだ。で、現実のワルい奴らというのは、そんな圧倒的な存在であるより、ただただ利権を保持するために他人を陥れるだけの汚い奴らだったりする。あんまり存在として、大きくはないのだ。
無論、そういう奴を描く必然性もあるとは思うが、それとは別に無惨みたいな圧倒的な存在というのはやはり魅力だ。ダースベーダーの素顔見た時とか、皇帝とか、ちょっとがっかりしなかった? ヴォルデモートは映画で見て、実はがっかりした。フリーザ様の最終形態が出た時は、ちょっとドキドキしたけど。




