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優位の視角

『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でケビン・コスナーは、近代文明の欧米社会を捨て、ネイティブ・アメリカンの社会で生きることを選ぶ。が、狩りをする時は、ケビン・コスナーだけ銃を使っているのだ。僕はそれを見た時、やはり欧米人だな、とつくづく思った。


元の世界に対しての『異界』に入る。けど自らの優位性は捨てたくない。そういう願望が、そこに見えるのだ。その自らが優位である視角を持っている、という事に無自覚でいると、最近問題になったMrs.GREEN APPLEのMVみたいな炎上が起きるのではないか。


もっと卑近な例で。退職して都会から田舎暮らしをする夫婦とかがいる。ところがこの夫婦が現地の風習に馴染もうとしない、現地の人と交流しようともしない。移住したはいいが、その土地で孤立している。なんて例がある。結局、居づらくなって、文句を言いながらその地を去るのがオチだ。


別の例で言うと、退職して再就職しようとしてるおじさんに、人事の人が「貴方、何ができますか?」と聞いたら、「部長ならできます」と偉そうに答えた、という話だ。これは経済アナリストの森永卓郎さんが話していた。問題なのは、元の世界から出てきたのに、異界にも根付けない。つまり高すぎる視角が、自らの行き場所を狭めることがある、という点だ。


例えばラフカディオ・ハーンは小泉八雲として、日本の中で生きようとした。あるいはゴーギャンは、タヒチのなかにヨーロッパで失われた生命の息吹を感じ、そこで暮らし絵を描いた。『異界』に行って、自分の優位性を保持するのではなく、彼らはその異界をポテンシャルと捉え、学び、そこに馴染もうとした。


優位、なのではなく、差異、がある。と捉えれば、また別の面が見えてくる。地域起こし協力隊の活動なんかで、都会から来た人には新鮮で貴重なものが、田舎の人にとっては当たり前すぎて無自覚だったりするような事がある。都会から来た人は、そこを掘り起こして都会からの集客活動に利用したりする、という視角の差を活かす道もあるのだ。


転生ものの面白さが、ただチート無双するだけでないとしたら、そういう視角差を利用した描写があると面白いな、と思ったりする。


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