あった事、なかった事
『信長のシェフ』の最終巻を読んだ。驚いた―― はい! ネタバレ嫌な人は、Uターン! 残念だが、アデュー!
――で、ですね。驚いたわけですよ、これが。なにせ歴史が変わってしまった! 本能寺の変で、信長死なないじゃん!!! …いや、これアリなの? というか、『信シェフ』はちょっと変わった視点から歴史を覗き見る「歴史もの」ではなくて、こうだったらよかった…の「架空戦記」だったわけ?
う~ん…。この結末を「信長が生きている別の宇宙」とか捉えるべきなんだろうけど。単線の時間軸だけがあって、その時間を動かすことはできないか、重罪になるタイムパラドックスものに対して、やはり多次元宇宙論が出てきて「あらゆる可能性の未来が並列存在しうる」としたのは凄く大きい。『アベンジャーズ』でも、言ってたもんねえ。
しかし、だ。どうも妙な落ち着かなさが残る。この感じ…どっかで経験したな――と思うと、どうやらこれは新海誠監督の『君の名は』に感じた落ち着かなさと同質だ、と思い至った。
『君の名は』がウケた理由も判らないではない。日本中が、「あの震災がなければよかったのに」「あの災害でも、避難できたらよかったのに」と思った。そういう国民感情を、うまく受け止めたのがあの作品のヒット理由だと思う。
けど僕は正直言うと、あの作品に居心地の悪さを感じた。起こった事は、起こらなかった事にはできない。起こった事はあった事として、受け止めていかなければ先には進めないんじゃないか。僕はそう思っている。
なかった事をいいことに、想像を膨らませるのはアリだと思う。けど、あった事は、なかった事にはできない。けど、世のなかには「歴史なんて、解釈で幾らでも変えられる」と思ってる人がいるのも確かだ。
厳然として傷ついた人々がいるような歴史的事実でも、「そんなものはなかった」と強弁する人はたくさんいる。自分の心理的安定のために、外の世界を捻じ曲げる…というのは、極めて危うい。それは、あった事を直視できないだけでなく、いずれ、今ある事を直視できないようになるからだ。




