『Colorful』の彩り
原恵一監督の『Colorful』を見た。中古で売ってたのを入手したのだ。まだ見てなかった。原恵一監督は『クレヨンしんちゃん』の劇場版の数々の傑作以来すっかりファンなのだが、後で知ると『21エモン』や『エスパー魔美』も参加しており、知らないうちにその作品を見ていたのである。
まず原作があるわけだけど、中々、上手い仕掛けだと思った。死んだ魂である「ぼく」が偶然、再チャンスを与えられ、小林真という自殺した少年の身体に入って甦るという始まりである。ただしこれはあくまで試験で、生前、自分が何をしたのかを想い出さないと、自分は転生のチャンスを無くし、真少年は本当に死ぬ。そういう枠組みである。
ところが知りもしない真くんの生活を初めてみると、色々不穏な事実が判ってくる。真が密かに想いを寄せていた少女が援交していたり、母親がフラメンコ教室の先生と不倫していたりなど、真少年はそれを知って自殺したらしい事が判る。この仕掛けがいい。
主人公の「ぼく」は他人として、真の環境に入るのだけど、その家族みんなで食卓を囲む日常自体がうさんくさく思えて嫌悪感を覚える。この『自分』から『遠ざかる』感じ。これは実際に青少年期にある事で、この乖離感をこういう仕掛けで再現したのを、とても上手いと思った。
『透明な自分』とは、事件を起こした酒鬼薔薇少年の書いた文句で、その後、多くの人がこの言葉を援用した。自分には主体性がなく、環境から乖離していて世界には色がない。そういう感覚をうまく言い表した言葉。そしてこの色のない世界に、彩は戻るのか?
真くんはどうして世界に色を取り戻したか? 何より面白い仕掛けだと思ったのは、「他人の人生だと思うからこそ、思ったことを言ったり、行動したりする、」という事を「ぼく」がする事である。これが一つ、契機になる。そしてキーキャラ早乙女くんの存在か。
とても面白く観たが、原監督はどうしてなんだろう? 『しんちゃん』の時はもっと派手で、『河童のクゥ』で少し地味になり、この『Colorful』は非常に地味だった。普通、派手になっていきそうなのに、逆方向なのが面白い。




