徳川家康の城
『ブラタモリ』を見ていたら、東海道五十三次……ではなく、五十七次をブラブラする回だった。五十七とはどういう事かと言うと、大津で分岐して大阪の方に向かう道が江戸時代には整備されたという話なのだった。
五十三次の終点は京都である。五十七次は大津で分岐するので京都にはいかない。ここに江戸幕府の思惑がある、という話だった。それは参勤交代の時に、大名たちが京に寄らないようにという配慮である。京に寄って他の大名が天皇に近づく危険性があるからである。
で、大津の次に行ったのが伏見であった。伏見というのが実は家康が作った城があるところで、人生年表で見ると、家康は実に長い時間を伏見で過ごしているという事が判った。その上、御三家の元になる家康の息子たちが伏見で生まれたりしていて、伏見は実は結構、キーになるポイントなのだと知った。
で、今度は『歴史探偵』を見ていたら、幻の江戸城の特集だった。この幻の江戸城を見つけた経緯が面白い。城郭考古学の千田先生は『歴史探偵』のレギュラーだが、この先生が『真田丸』の監修をしていて、まさにその籠城戦になった真田丸の再現のために、資料を探した。
その資料が松江の博物館にある各国の城郭図を集めた資料にあると判り、その資料を調査していた。すると、建て替えられる前の江戸城の城郭図が出てきて、仰天したというのだ。それまで誰も見つけてなくて、専門書にも取り上げられてなかったとすると、凄い話だ。
で、この幻の江戸城が三つの大きな特徴を持っている。それは『馬出し』『五連外桝形』『連立式天主』だ。これが中々えげつなくて、馬出しと連立式天主は向かってくる敵を多方向から攻撃できる構造。外桝形は侵入する敵を迷路状に追い込んで、やはり多方向から迎撃できる仕組み。
徳川家康はこれらの築城技術を武田信玄や織田信長から学んだという。家康は負けた相手からでも学んだが、信長なんかは全然、そうでもなかったという話が面白かった。城から見る徳川家康、ちょっと新しい側面で興味深かった。しかしなお面白かったのは、その強力な江戸城を敢えて壊して、戦向きじゃない形に作り替えたことだ。戦の時代の終わりを告げる…そんな意図があったか。




