エピローグ
「大丈夫。タカフミ」
久美子は隆文の腹に突き刺さったままのナイフの周りを押さえた。
傷口からは隆文の呼吸に合わせて血が溢れ出ていた。
「本当に久し振りだな……。真面目にやってるか」
隆文は久美子に微笑んだ。
「真面目にやってるから、しゃべらないでよ。もう救急車が来るから」
叫ぶ様に言う久美子の白い制服は隆文の血で赤く染まっていた。
「良いんだよ……。俺は死ぬんだってさ……」
隆文は肩の力を抜く様に息を吐いた。
「何、馬鹿な事言ってんのよ。しっかりしてよ。タカフミにはまだお礼してないモン。こんなところで死なれちゃ困る」
久美子は周囲を気にする事もなく、道に倒れた隆文の腹を押さえながら大声でそう言った。
「ドッペルの奴が言うんだよ……。俺は死ぬんだってな……」
「ドッペルって誰よ。そんな外人の言う事なんて関係ないじゃん」
隆文は可笑しかった。
久美子の言う事も一理あるのだ。
ドッペルゲンガーの言う事を信じなければそれで良いのだ。
「確かにな……。助かるかな……俺……」
隆文は重く閉じてしまう瞼を開けておこうと必死になった。
「任せてよ。お礼するって言ったでしょ」
久美子は携帯を制服のスカートのポケットから取り出した。
「アタシのパパ、腕の良い医者なの。タカフミが死んだらアタシも死んでやるって言ってやるから……」
久美子の瞳からは大粒の涙が溢れていた。
その涙は久美子の頬を伝い、隆文の身体に落ちた。
「お前……泣いてるのかよ……」
「泣いてないわよ」
久美子は隆文の血の付いた手の甲で頬を拭った。
久美子は血だらけの顔で隆文に微笑んだ。
「馬鹿じゃないの……」
隆文は朦朧して薄れて行く意識の中で、周囲の目も気にせずに必死に寄り添ってくれる健気な久美子を見つめた。
「馬鹿だよな……」
「しっかりしてよ」
久美子の手に力が入った。
「痛いよ……。力、入れ過ぎだ」
隆文は目を閉じて微笑んでいた。
「その力なら、ドッペルの野郎に勝てるかもしれないな……」
救急車の音が近づいて来た。
「大丈夫だって。そんな外人、アタシが一発でノックアウトしてやるから」
「そりゃ頼もしい話だ」
隆文のすぐ傍に救急車は停まり、ストレッチャーが運ばれて来た。
救急隊員の足音がアスファルトを伝って隆文にも聞こえて来る。
久美子は救急隊員に押し退けられる様に隆文から放された。
「大丈夫ですか」
「聞こえますか」
「お名前言えますか」
救急隊員の声が朦朧とした意識の中で隆文の耳に入って来て小さく頷く。
ガチャガチャと音を立てるストレッチャーごと隆文は救急車に押し込まれる様に乗せられた。
隆文の身体からナイフが抜かれると、救急車のハッチバックは閉められ、ゆっくりと走り出す。
隆文の横には白い制服を真っ赤に血で染めた久美子が座っていた。
そして、その横にもう一人の隆文が座り、隆文の顔をじっと見ていた。
「またお前か……」
隆文は隆文を見た。
「いつ見ても嫌な面してるな……」
ドッペルゲンガーの隆文は傷ついた隆文を覗き込む様な姿勢で座っていた。
「俺はお前だからな……。嫌な面は当たり前だ」
「ふん……。これでお前の言う通りになったな。俺はこのまま死ぬんだろう……」
隆文は刺された腹の痛みが薄らいで行くのを感じた。
痛みが薄らいで行く……。
とうとう痛みも感じなくなってきたか……。
隆文は思った。
「どうかな……。もしかするとドッペルゲンガーに遭って死ななかった数少ない人間になるのかもしれないな……。俺は」
「お前じゃなくて、俺だろう……」
「お前は俺だ……。俺はお前だ……」
ドッペルゲンガーの隆文は不敵に笑った。
救急車はサイレンを鳴らし、国道を走って行った。
久美子の父親の待つ病院へ。
久美子にはもう一人の隆文は見えていなかった。
「なあ、俺のイキザマ。楽しかったか……」
隆文はドッペルゲンガーの隆文に訊いた。
「ああ……楽しませてもらった。そして……、もっと見たくなった」
その言葉に隆文は鼻で笑った。
「もう勘弁してくれないか……。その鬱陶しい顔は、毎朝、鏡で見るだけで充分なんだよ」
「俺もそう思っている」
ドッペルゲンガーの隆文はそう言うと歯を見せて笑った。
「お前も……、そんな風に笑えるんだな……」
「俺はお前だからな……」
「俺はそんなに不愛想じゃないさ」
二人は鳴り響くサイレンの中で笑っていた。
了