9話 鳥の囀りは守護者をたぶらかす
……しまった。眠ってしまったみたいだ。いまでは、もう懐かしくさえ感じる日ノ本家への初任日の記憶。私の夢復活記念日。
アタシはスマホではなく左腕にしている腕時計で時刻を確認した。
22:57。見張りを鈴木さんに代わってもらって、もうすぐ一時間が経過する。
アタシが入口に目を向けると、先ほど見張りを交代した彼が、身体は用具室の外に向けたまま、首だけを動かしてアタシを見ていた。
「出発は一時間後だ。遠慮せず寝ておけ」
イケボで発せられた言葉はぶっきらぼうだったが、出会った当初に比べたら、随分と穏やかな目をしていた。
アタシは特に言葉は返さず、お嬢様たちの様子を確認する。
お嬢様方は身を寄せ合って寝息をたてていた。亀ちゃんもそう離れていないマットの上で転がっている。
三人ともなかなかに神経が図太い。不安で眠れないのではないかと思っていたのだが。
まぁ、さっきまでのんきに夢を見ていたアタシが言えた立場ではないか。
立ちあがり、音をたてないように移動して鈴木さんの隣に立つ。彼は少し驚いたようだったが、特に咎めてくることはなかった。
しばしの沈黙のあと、彼が先に口を開く。
「出会ったときはすまなかったな。君がいることをとがめる様な事を言って。正直、君がいてくれて助かった。俺ひとりじゃ、お嬢様がたの水分補給やらトイレのことまで気が回らなかっただろうからな」
「お嬢様がたは、アイドルではありませんからね。トイレには行かれます」
「いや、アイドルだっていくだろう?」
「あら、ご存知ないんですか? タワーができる前のアイドルは、トイレに行かなかったそうですよ」
「マジか⁉」
「冗談です」
少しの間、口をポカンと開けていた鈴木さんだったが、やがて声をたてずに笑いだした。
「フゥ。君は花ちゃんとはだいぶ違うな。なんというか、メイドらしくない。ああ、悪い意味じゃない。実際仕事の手際は見事なものだ。アンナロイドを一人で運べるメイドさんも、初めて見たしな」
「タワー外育ちには、たまにいますよ。私みたいなのが。それにメイドの選抜訓練では、体力的な訓練も厳しく行われたので」
彼の目が大きく見開かれる。だがそれも冗談と判断したようですぐに顔が綻ぶ。
「もしかして、君はタワーに来たのは最近か?」
「はい。雇われてからまだ一ヶ月弱しか経っておりません」
「そうか。どうりで他の使用人とは雰囲気が違うはずだ」
納得したようにうなずく。
たぶん鈴木さんが感じている雰囲気の違いというのは、家に対する忠誠心とか服従心とか、そういうものだろうね。
私は表面的には琥珀お嬢様に恭しく従っているように見えるけど、ポーズだからね。
でも、ほとんどの使用人は違う。幼いころから雇われ、そのまま終身雇用というのが上流階級での当たり前らしい。自由はなくとも、生きることには不自由がない。そしてたいていの場合、使用人を輩出したタワー外の家族や市町村はその恩恵を受ける。逆に使用人が裏切りでもした場合は、推して知るべし。
嫌でも忠誠やら服従をせざるを得ない環境にしてしまうわけだよ。環境ってのは大事だよね。
「鈴木さんはタワーのお生まれですか?」
「ああ。育ちもこっち。外には養成所の訓練で何回か行ったことがあるくらいだな」
「学園に入って来たテロリスト? 彼らはどうなんでしょうか?」
「そうだな。目的がわからないとなんとも言えんが、武装した外の人間がタワーに入るのは難しいだろう」
「中の人間が武器を手に入れるのも難しいのでは?」
「そりゃあな。だが俺も持ってる。むろん俺のは千本桜家から支給されたものだが、武器の入手はタワー内でもできるということさ」
そう言って腰のホルスターから拳銃を抜いて見せる。
「どっちにしろ。俺たちがテロリストの出自やら武器の出所を考えても仕方がない。俺たちが考える必要があるのは、お嬢様たちをいかにこのフロアから脱出させるかだ。君がメイドとしては変わり種でも、それはかわらんだろう?」
「そうですね。いつまでもここに隠れているわけにもいかないですし」
「ああ。奴らが暗視ゴーグル持ちだとしても、電波が使えない状況じゃ、連携には限度があるからな。この闇は奴らよりも俺たちのほうがずっと有利さ。大丈夫。お嬢様がただけじゃなく、君も無事に脱出させて見せるよ。この闇がある限りな」
「駄目ですよ、鈴木さん。そんなことを言っては」
顔をしかめて鈴木さんを注意する。
「なんで?」
彼が不思議そうに問い返す。
「タワーの外では、それはフラグと呼ばれるものです」
「はぁ?」
いぶかしむ鈴木さんを嘲笑うかのように、世界が光で満たされた。