74話 白虎は頂上見えぬ峰を見上げる
「まもなく、当主が参りますので、お待ちくださいませ」
その言葉を残し、黒曜堂家執事長は、アタシの渡した教授からの手紙を手にし、お茶を運んで来たメイドと共に応接間を出ていく。
一度ホテルに戻り着替えたアタシ達は、夕食を簡単に済ませ、すぐに黒曜堂家のあるタワー都市『銀嶺』へと移動する。もちろん直通の地下鉄道を利用してだ。
銀嶺に着いた時には、すでに夜も更けていたのだけれど、アタシがご挨拶をしたい旨の電話を黒曜堂に入れると、相手の執事長さんは渋る様子も、特に主に相談するような時間をかけることもなく、快い返事を返してきたんだ。まるでこちらの用事を察しているみたいに。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
執事長が応接室を出て少したつと、お嬢様が少しばかり緊張しているような声音で、そんな呟きを漏らす。
「グランドマスター。ここは『百々ノ鬼』でも『大蛇森』でもなく『黒曜堂』だぞ。出てくるとしたら黒曜石ではないのか」
あまりにとんちんかんなランスの返答に、アタシは彼に冷たい視線を投げつつ注意する。
「黙っていなさい、ランス。いつ御当主がお越しになるかわかりません。従者が自由にお喋りをしているなどと思われては、日ノ本の格が下がります」
なぜか驚いた顔をこちらに向ける。
「マ、マスター。まるでまともな使用人の意見だぞ」
「バラすぞ、ガラクタ」
アタシ達の前の来客用ソファーで笑いを押し殺すお嬢様以外にも、笑いをこらえているような気配が両開きの扉の向こうからしてくる。どうやら手遅れであったようだ。
盛大にため息をつきたい私の前で、扉が開かれる。
先程出て行った執事さんを引き連れた年配の小柄な女性が立っていた。その顔には小さな丸メガネと笑顔が見える。
「いやいや、智水のじいさん、ずいぶん愉快な連中を使いに寄越したもんだねぇ。ああ、そのまま座ってな、お嬢ちゃん。堅苦しいのは不要だよ。そういうのは公式の場にだけにしておくれ」
気さくな物言いをする白髪の女性だ。年齢は70歳と聞いているが、かくしゃくとしていて遥かに若く感じさせる。この人が黒曜堂家の主『黒曜堂 峰』様か。
峰様はお嬢様の向かい側のソファーにゆったりとした動作で腰を下ろす。執事さんはそれを見届け、部屋の隅へと移動する。
「ご無沙汰しております、峰様」
「ああ、大きくなったねえ、琥珀嬢ちゃん。あんたは年末のパーティーには顔を出さないから、十年くらい前にアタシが日ノ本家を訪れて以来かい。ますます勝美ちゃんに似てきたじゃないか。あの娘も本当にきれいな娘だった」
「懇親会には私は連れて行ってもらえませんので」
お嬢様が苦々しそうに言うと、峰様は声をたてて笑う。
「そいつぁ仕方ないね。あれは後継ぎのお披露目とか、個々の繋がりをつくる機会みたいに捉えている連中が多いから。あんたを連れて行っちまったら、後継ぎの坊やはおろか、獅童の坊やさえ影が薄くなりかねん。そんだけ妙な存在感があるよ、あんたには。ただ綺麗なだけじゃなくてね」
ひとしきり笑った峰様は、途中入室してきたメイドさんが運んで来たお茶を口にして一息つく。
「智水のじいさんの手紙は読んだよ。きな臭いモンが出てきたもんだねぇ。あたしとしても国への報告はこちらで一通り調べた後にしたいから、すぐに信頼できる人をやって、現場の者には箝口令を出させることにしたよ。通信に関しても注意を払わせたうえでね。さっき向かってもらったところさ」
「素早い対応痛み入ります」
頭を下げるお嬢様に、峰様がまたもや声を上げて笑う。
「おかしな娘だねぇ。あんたは見聞を広げるためについて行っただけだろう。むしろウチの問題なのに、三十六名家の娘を走り使いしちまった、こっちが頭下げなきゃいけないよ」
そう言って峰様まで頭を下げた。
「いえ、頭をお上げください。今回、調査の護衛に加わらせてもらったのは私の我儘。しかも結局、教授の役にたったのは後ろの二人。私も少しくらいはお役に立ちたいと申し出ただけですので……」
まあ、確かにお嬢様はなにもしていないが、お嬢様とは本来そういうものだろう。気にしなくていいのに。
峰様が顔を上げ、丸メガネの位置を直すと、身を乗り出してお嬢様の顔をマジマジと見つめる。
「ふむ。誇り高いようだが、日ノ本の気質とは少し違うかね。やっぱりアンタは、外見だけじゃなく中身も勝美ちゃん似かもね、『鳳』の血の方が強くでているのかもしれないねぇ。あそこの連中はやけに義理堅いからさ」
「そうでしょうか? あちらはあちらで考え方が固すぎて苦手なのですが』
峰様は頬だけを緩めて腰をソファーに戻す。
すぐに考え事をするように腕を組んで目を閉じた。
やがて目を閉じたまま、ゆっくりと口を開く。
「アタシもさ、三十六名家の当主の一人だから、それなりに他家の情報も耳に入れてる。アンタの今の立場ってもんも、それなりにはわかっているつもりさ」
目を開け、真っ直ぐにお嬢様を見つめる。
「その上で、琥珀嬢ちゃん。アタシからひとつアンタに提案があるんだがね。聞いてくれるかい?」
「提案ですか。なんでしょうか?」
珍しく少し不安げだ。そりゃそうだ。手紙を渡したら、少し雑談してすぐに御暇するつもりだったからな。
ただアタシはそれほど意外には思わない。なぜなら、このお嬢様は天然のトラブルメーカー。ここに来たら来たで、なにか厄介ごとを言われるんじゃないかとは思っていた。
なにせこれまで割と平穏だったアタシの人生が、メイド選抜訓練を含め、このお嬢様に関わりを持つ選択をしてから、とんでもないことに巻き込まれてばっかりだからな。まぎれもない疫病神だろう。
「琥珀ちゃん、あんた、あたしの養女にならんかね」
クイと指先で押し上げられた丸メガネがキラリと光った。




