49話 鎖引き千切りし白虎
右腕を高々と掲げてカッコ良く決めたつもりだったが、いかんせん。
涙で前は霞んで見えるし、口には涙と一緒に鼻水まで入って来て散々。
「立ちあがるな! バケモノめ!」
完全に逆上したテロリストがまたもや発砲し、下腹部に衝撃がはしり、私は再び崩れ落ちる。
「翼!」
琥珀お嬢様の声で辛うじて顔をあげた。
そこには痛みが吹き飛んでいくような光景が、涙でぼやけながらもアタシの目に飛び込んでくる。
琥珀お嬢様が、両腕を押さえ込んでいた二人のテロリストの腕を振り払ったんだ。
この馬鹿お嬢様! 余計なことをするな!
テロリスト達の気を少しでも引けたらとは思っていたが、アンタにそんなことをさせるためじゃない。
怪我でもしたらどうするつもりだ。第一逃げられる訳じゃない。髪の毛を掴まれているんだぞ。
これ以上、余計なことをしてくれるなという心の叫びは、当然お嬢様には届かない。
予め場所を確認していたのだろう、後ろ手で背後のテロリストが腰に取り付けていたホルスターから、大ぶりのナイフを抜きとる。
待て! そんなもんで斬りつけたら、逆上されてなにをされるかわかったものじゃない!
相手は銃持ちなんだぞ!
アタシのように撃たれたいのか!
でもアタシの危惧は的外れだった。
お嬢様は前を向いたままナイフを黒き川のように流れる美しい髪にあてると、勢いよく上に振りあげる。
前傾姿勢になった琥珀お嬢様と、掴んでいたテロリストの間で伸びきっていた髪が、抵抗することもなくすらりと切れる。
ここまででも十二分にアタシを驚かせてくれたお嬢様の怪進撃はまだ止まらない。
せっかく自由を得たというのに、お嬢様はこちらに駆けてはこなかったのだ。
数歩前に出た所で立ち止まり、テロリストたちへと向き直る。
構える訳でもない。手にしたナイフを彼らに向ける訳でもない。
ただ凛とした立ち姿で、テロリスト達と向かい合っている。
「ば、馬鹿じゃねぇのか! 髪の毛、切っただけじゃねぇか!」
「そ、そうだ! ナイフ一本でどうにかできるとでも思ってんのか!」
「む、無駄なことしないで、大人しくしてろ!」
七人のテロリストたちが口々に叫ぶ。
でもアンタたち、本当にそう思ってる?
声も身体も震えてるよ。
かく言うアタシもだ。
痛みの所為にしたいけど、本能が違うことを理解している。
アタシに見えるのは後ろ姿のみ。いったいどんな表情をされているのかは見えない。
けれどわかる。あそこにいるのはお嬢様ではない。
一匹の獣
身体を縛り付けていた鎖を、自らの力で引き千切りし、一匹の獣。
とはいえ、お嬢様の身が危険なことには変わりない。
見ろ!
左手でお嬢様の鎖を握りしめていたテロリストが、震えながらもお嬢様に銃口を向けたではないか!
銃声がギミックの空に響きわたる。
銃を取り落したテロリストが、呻き声を上げながら跪く。
運動場側から、大勢の足音の乱入。
ジュピターが支配を取り戻したアンナロイド達だ。
中心には旭山さんの姿も見える。
亀ちゃんと冬児さんの姿は見えないが、おそらく倉庫前に待機しているのだろう。
「ランス、ジャスミン! 琥珀お嬢様を保護! 速やかに、丁重に!」
「イエス・サー!」
ランスが横を駆け抜けていくのを感じながら、アタシは仰向けに横になる。
空が青い。偽物だけどさ。
呑気な事を感じながらメイド服のポケットに手を突っこむ。
抜き出したアタシの手には形の歪んだ南京錠と銃弾が握られている
どうやらお腹に穴はあかずにすんだらしい。
足だけで充分に痛いけどね。
でも痛みが気にならなくなるくらい眠くなってきた。
考えたら昨日の朝から……もう日付変わってるだろうから一昨日か。ほとんど寝てないもんな、アタシ。
もう面倒臭い。このまま寝ちゃおう。
そう思って瞼をとじかけたら、不意にアタシの頭が持ち上げられ、何やら柔らかいモノの上に丁寧に置かれる。
「どうやら命に問題はないようだな」
女のアタシでも惚れてしまいそうな微笑をたたえ、アタシの手からこぼれた南京錠と銃弾を見ながら、お嬢様が呟く。
「よく頑張ってくれたな、翼」
アタシに視線を琥珀お嬢様が、アタシの額をなでる。
どうやらアタシの頭が乗っているのは、お嬢様の太もものようだ。あんなに細いのにこんなに柔らかいなんて、やっぱり反則だな、このお嬢様。
そうだ。
アタシ、お嬢様を引っぱたこうと思ってたんだっけ。
気力を振り絞り、右手を持ち上げるが、それ以上は力が入らず、琥珀お嬢様の右頬に触れるにとどまる。
お嬢様がアタシの手に、ご自身の右手をそっと重ねた。
「ご苦労だった。今は休め」
言われなくたって、そうしますよ。
春暁さんのこと。テロのこと。師匠のこと。
気になることはたくさんあるけれど、今はどうでもいい。
それにしても……。
あ~あ。アタシが貰いたいくらいだった美しい黒髪が台無しだ。
なにもナイフで切らなくたって良かったろうに。
目が覚めたら、整えてあげ……なく……ちゃ……ね……。
辛うじてそこまで思うと、アタシは遠慮なく目をとじた。




