39話 軍争の難きは、迂(う)を以(も)って直となし、患(うれい)を以って利と為(な)すにあり
「『軍争の難きは、迂を以って直となし、患を以って利と為すにあり』。戦いの難しさは、回り道を近道に変え、不運を幸運にかえていくことにある」
亀ちゃんが眼鏡をクイと直しながら滔々と語りだした。
「貴方がタワーの管理を全て取り戻す。その事が『蒼穹』の治安を取り戻す一番の方法であることを、否定するつもりはありません。ただ、それは相手もわかっていることです。ジュピター、思い上がってはいけませんよ。考えることができるのは、貴方がたAIだけではない。敵は貴方が中継器を持ち込んできたうえでの対応策も、持っていると考えるべきです」
「それを計算にいれたとしても、電波妨害装置の使用は理解できません。用意させていただいた中継器には、彼らの使用している電波に擬態する機能があります。しかし、その横で全ての電波を妨害する装置を起動されては、私の活動が行えません」
ジュピターは亀ちゃんの言葉に、まったく怯む様子なく反論してくる。
もちろん亀ちゃんも負けてはいない。
「それでいいんですよ。貴方が最初から動く必要はないんです。孫子曰く『其の途を迂にして、之を誘うに利を以ってす。人に遅れて発し、人に先んじて至る』。目的の場所に相手より先に辿り着く方法は、一番近い道を相手より早く動くだけではありません」
ジュピターはまったく納得がいっていないようで、亀ちゃんをにらんだまま言葉を紡ごうとするが、師匠が先に暢気に声をあげる。
「ああ。そいつは助かるなぁ。ジュピターが動けないってことは、アンナロイドも直に命令されない限り、臨機応変な動きはできんということだろう? あいつら無駄に固いからな。動けなくするのが面倒なんだ。電波が妨害されてりゃ、近くにいる人間さえ潰しちまえばどうとでもなる」
亀ちゃんが頷く。
「人同士であれば、最強のカードはこちらにあります」
「俺には俺で用事があるから、あまり当てにされても困るんだが?」
「それでも降りかかる火の粉は払いますよね?」
「払うな」
師匠が楽しそうに、亀ちゃんと言葉のキャッチボールをする。
どうやら彼のことは、だいぶお気に召したらしい。
「中継器の設置はそのあとでもできます。それに三人が深部に進めば、テロリストもあとから貴方が来るとわかっていても、皆さんを無視することができなくなる。敵の分散が可能です」
「それにだ。そもそも協力させたいなら、それなりの誠意はみせんとな。お前さん、すでに人を裏切っている前科者だ。苦手な相手がいなくなった途端に手のひらを返しているようじゃ、こちらを思い通りに動かすことはできんぞ」
アタシはジュピターの顔色を窺う。アンドロイドのくせに、先程よりも亀ちゃんをにらむ目に力がない気がする。
黙ったまま、身動きひとつしない。
亀ちゃんも、師匠も、さらに言葉を重ねることはせず、ジュピターの反応を待っている。
図らずも訪れた静寂を、梯子を下りてくる音が破った。
見ると上に残っていたアンナロイドが、厚みのあるショルダーバッグを三つ肩に掛け、梯子を下りて来る。
床に降り立ったそのアンナロイドが、アタシ、師匠、冬児さんの順でショルダーバッグを渡してきた。
「降下場所はここからそう遠くありません。ついて来てください。それから、その妨害装置の有効範囲は半径15メートル。バッテリー継続時間は2時間程です。いま起動させるのはおやめください。話が進まなくなりますので」
ジュピターの感情を感じさせない声が、空間に響く。
どうやら、ようやく先に進めるようだ。




