30話 火、内に発すれば、則(すなわ)ち早く之(これ)に外より応ぜよ
「上階は二十九階のみが立ち入り禁止区域に指定されているようですね。下層と比べるとかなり緩い。ああ、そうか。表向きは上流階級とジュピターは協力関係にあるからか」
下行きのエレベーターに乗るなり、スマホをいじっていた亀ちゃんがブツブツ言い始めた。
「上流階級の行動は、管理しやすいということなんだろうな。だから、そういった枠組みに囚われない飛鳥さんを遠ざけた」
「遠ざけたというより、殺されかけたのですが?」
「時田さんと加納さんが下層で作業をされていたことを、ジュピターは知っていたのでは?」
亀ちゃんの暢気な発言を、アタシの代わりに真雪さんが否定してくれる。
「いやー、実際に落ちてもらってわかったけど、あれじゃダメだったね。翼ちゃんが指とか靴とか犠牲にしてなかったら、少なくとも重傷だったと思うよ。むしろいま普通に動いていることが不思議だもの」
言われてアタシは、応急処置を施した指先と破けた靴のつま先を見る。
「死んだところで問題ない。そう思われていたことは間違いねえな」
そんな会話がされる中でも、冬児さんはエレベーターの階数表示灯が切り替わっていくのをじっと見つめていた。
「三十階についてからどうするつもりだ。二十九階に行けなきゃその下にはいけないのだろう。まさかその通気ダクトで下りるつもりなのか?」
それは嫌だな。罠がない保証もないし。
ただウチの軍師様はまだそこまでは考えていないようで、こめかみをとんとんと叩きながら答える。
「三十階の様子を見ないとなんとも言えません。気になるんですよ。ジュピターが動き出した割に、タワーニュースの速報が更新されていない。いまだに千本桜先輩解放のニュースのままです」
「桃華お嬢様が脱出されたことが、ニュースになってるんですか⁉」
驚いたアタシは思わず聞き返す。
「先輩がリークした訳ではありません。テロリストに探してもらっていたほうが、戦力の分散になりましたからね。まぁ、人の口に戸は立てられぬというやつです」
亀ちゃんが肩を竦める。
「それはしょうがないとして、ジュピターの計画がはかどっていない可能性が高いですね。孫子曰く『火、内に発すれば、則ち早く之に外より応ぜよ。火、発して兵静かなる者は、待ちて攻むる勿れ』。敵の内部での工作が上手くいっていれば、外の鎮圧部隊を介入させない理由がありません。つまり介入させられるだけの戦果を、得ることができていないのではないかと」
ひとり納得しながら語る彼を、冬児さんはアタシの時以上に胡散臭そうに見ながら、師匠に小声で尋ねる。
「なんなんですか、彼?」
「おう。3千年前から来た助っ人だ。心強いだろ?」
師匠が笑って言うが、冬児さんを余計困惑させるだけだった。
エレベーターが三十階に到着し、ぞろぞろと降りたアタシ達を出迎えたのは、カモミールちゃんと同じタイプのアンナロイド。
彼女はアタシ達に一礼し、尋ねた訳でもないのに、現在は二十九階に行けない旨を伝えてくる。
本来アンナロイドというのは、こういうのが仕事だ。
「僕たちで二十九階へのエスカレーターの状況を調べて来ますから、おふたりは物陰にでも隠れて待っていてください」
「なぜだ?」
「なぜですか?」
唐突な彼の提案に、アタシと冬児さんが揃って問い返す。
なんと亀ちゃんが、亀ちゃんのクセに大きなため息をつきやがった。
「おふたりの立場を考えてください。二十八階に侵入する前に身柄を拘束されたいんですか?」
アタシも冬児さんも、彼の言葉に言い返すことができない。
そうだった。アタシは日ノ本家から独立して動いている以上、日ノ本家の関係者にみつかるのはマズい。
冬児さんは冬児さんで、風御門家の関係者が、問題のフロア付近でウロチョロしているのを目撃されるのは、変な勘繰りをされる要因となりかねない。
アタシたちが黙り込んだのを納得したと受けとった亀ちゃんは、師匠と真雪さんを引き連れ、商業ビルが立ち並ぶストリートをエスカレーター方面へと向かって行く。
取り残されたアタシ達は、仕方がないのでエレベーターホールのベンチに揃って腰をおろす。
三十階のギミックの空もいい天気だ。
冬児さんは座るなり、ポケットから電子タバコを取り出してくわえる。
必要以上にアタシに関わるつもりはないという意思表示だろう。
会話する相手を失ったアタシは、ぼんやりとエレベーターに目を向ける。五基あるエレベーターの内のひとつの表示灯が、三十一から三十に切り替わるところだった。こんな状況下でも、アタシたち以外にこのフロアにやってくるモノ好きがいるらしい。
チンという間抜けな音がして、ゆっくりとエレベーターの扉が開く。
四人の黒服と、その四人に護られるように白いワンピースに身を包んだ小柄な黒髪の美少女が、杖をつきながらエレベーターから降りてくる。印象的だったのは、その少女の両瞼が固く閉ざされていたことだ。
「ウソ⁉」
アタシが思わずあげてしまった素っ頓狂な声を聞きつけた少女が、ハッとした様子で顔をアタシに向けてくる。
その小柄な体型のくせに、屈強な男たちを簡単に押し退け、手にしていた杖を捨て、こちらに向かって真っ直ぐに駆けてくる。その勢いのまま、アタシの胸に飛び込んできた。
「翼ちゃん! 翼ちゃん! 翼ちゃん!」
歌姫『歌柳院小夜』。
実に3年ぶりの再会だった。




