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自由の翼

 黒い触手は高速で伸び、たちまちレファンヌの身体に巻き付く。拘束されたレファンヌは、黒い沼と化したハーガットの屍を見た。


「あの黒い沼は?あの狂気王。一体どんな禁術を使ったの?」


 数多の黒い触手は、この闘技場だけでは無く、ドルト将軍達が戦っている戦場にも伸びてゆく。


 そして、ハーガットの意図が程なくして理解出来た。俺とレファンヌの視界に、触手に身体を拘束されたヒズケイトが映った。


 ヒズケイトはそのまま黒い沼に引きずり込まれ、沼の底に消えた。その後はべロス。ロイエンス。ハーガットが甦らせた四人の勇者達も沼に消えていった。


「······なる程ね。自分が死んだ時に、この禁術を発動するよう予め準備してたって訳ね。全てを道連れ。悪趣味な奴が考えそうな事だわ」


 レファンヌが不快そうにそう吐き捨てる。レファンヌに巻き付いた黒い触手は、彼女を黒い沼に引きずり込もうとする。


「レファンヌ!!くそっ!動けよ俺の身体!」


 俺は身体に刺さった黒い刃を両腕で抜こうとするが、手に力が入らず思うようにできない。


 やっとハーガットを倒したのに!最後にレファンヌが道連れにされるなんてあんまりだ!!


 触手はドルト将軍達の戦場からも獲物を獲得して来た。触手に身体を拘束されるのは、人間。魔族。死霊。全てが平等に黒い沼に放り込まれた。


「······落ち着きなさいキント。引き込まれる寸前に、爆裂の呪文で沼を破壊するわ」


 辛うじて踏み止まるレファンヌは、恐ろしい事を口にする。レファンヌは触手によって両手も拘束されている。


 そんな状態で呪文を唱えれば、レファンヌの身体は無事じゃ済まない。


「良くて両腕を失うか。悪くて裂傷で死ぬか。どっちにしても、ハーガットに道連れにされる位なら自ら死を選ぶわ」


 レファンヌはハッキリと言い切った。金髪の聖女は、死の危機に瀕してもその矜持を失わなかった。


「······愛って物が何なのか。少し興味が涌いて来たのにね。それが少し心残りよ」


 レファンヌが穏やかに。そして静かに笑みを浮かべる。そして次の瞬間、覚悟を決めたように呪文を詠唱しようと口を開く。


「駄目だぁっ!!レファンヌ!!」


 俺は右手を伸ばしながら絶叫する。次の瞬間、レファンヌの身体に巻き付いていた黒い触手の色が白に変化した。


 違う。白じゃない。あれは、触手が凍りついたんだ。


「······ハーガットの黒色属性は氷結に弱いんだ。爆炎ではこの触手は燃やせないよ。レファンヌ」


 俺とレファンヌの前に立っていたのは、胸を押さながら息を切らすカミングだった。カミングは震える手で杖を向け、黒い沼を凍りつかせて行く。


「······多くの者を沼に引きずり込んだね。ハーガットも僕達を道連れにしたと思っているだろう」


 カミングは力無くそう呟く。ハーガットの屍である黒い沼は完全に凍りつき、沼の中から這い出て来た無数の触手達も沈黙する。


 寸前で沼に引き込まれそうになっていた兵士達は、一様に放心したような表情だった。


「ぐふっ」


 カミングが大量吐血し、膝か崩れ落ちた。血塗れの優男の前にレファンヌが歩み寄った。


「······最後の最後で何故私達を助けるの。本当にどっちつかずの奴ね。アンタは」


 カミングを見下ろすレファンヌの両目には、僅かに憐憫の色があるように俺には見えた。


「······二重密偵の僕にはお似合いの最期さ。レファンヌ。皆に詫びておいてくれ」


 カミングは微笑みながらそう言った。それが、二つの陣営を行き来していた男の最期の言葉となった。


 ······レファンヌは空を見上げていた。俺もそれに倣うと、闇に覆われていた様な黒い空は、いつの間にか青空に変わっていた。


 

 ······ハーガットとの戦いは終わった。ドルト将軍率いる連合軍は、レファンヌの復活させた死霊を軍列に加え、ハーガット軍を見事討ち破った。


 止む終えない方法とは言え、ガレント国の戦没者を死霊に変えて戦いに利用したのだ。後にドルト将軍は、全ての呪いを一身に受け地獄に落ちる覚悟だと苦笑していた。


 ガレント連合軍の死者は二万二千。アークレイの百三人の仲間は半数が命を落とした。その凄まじい戦死率の高さに俺は戦慄し、死者達の冥福を心から祈った。


 メルダとビンセントは全身に重傷を負ったが命を拾った。レファンヌに言わせると、二人を倒したカミングが故意に止めを差さなかったと言っていた。


 カミングと言う人間は、最後まで本心が読めない男だった。でも、俺は不思議とあの優男が憎めなかった。


 マコム。アークレイ。メルサルも見事に生き残った。四つ目の化物と死闘を繰り広げた三人は、傷だらけになりながらも四つ目を沈黙させた。


 マコムは手の皮が破れても尚、戦斧を何度も四つ目のアキレス腱に叩き込み、四つ目の片足を使用不能にさせた。


 そして、アークレイとメルサルの四つ目の背中への集中攻撃が功を奏し、四つ目は両膝を地につけ動かなくなった。


『精神が無い空の身体とは言え、よくぞ私を沈黙させた物だ』


 ラークシャサはそう言って、マコム。アークレイ。メルサルを賞賛した。ラークシャサは自分の甦った身体である四つ目を、燃やすように俺に指示して来た。


 ハーガットの禁術とは言え、生き返る機会を失っていいのかと俺は問いかける。


『必要ない。あの様な戦士の誇りの欠片も無い者によって復活させられた身体になど未練は無い』


 ラークシャサはそう言い切った。ハーガットによって甦った神喰いの戦士の身体は、メルサルの火炎の呪文によって灰と化した。


 ······あの時。ラークシャサが俺に力を貸してくれた時。ラークシャサの記憶が俺の頭の中に流れ込んで来た。


 遥か昔。天界人は地上の民から神と呼ばれていた。天界人は地上の人間や魔族に文明を与え、両者は友好的な関係を築いていた。


 だが、時の権力者がその関係を破壊する。天界人の権力者が地上を隷属させようと画策し、地上の民はそれに強く反発した。

 

 かくして天界と地上の戦いが始める。当初圧倒的な天界人の武力に、地上の民はなす術が無く敗退を繰り返した。


 その時、四つ目の巨人族が現れた。四つ目の巨人族は次々と天界人を破り、敗北寸前の地上の民を救った。


 地上の民達は救世主である四つ目一族を、その凄まじい戦い振りから「神喰いの戦士」と褒め称えた。


 ラークシャサは四つ目一族の最強の戦死として、天界人最強の騎士と戦った。壮絶な死闘の末、ラークシャサは戦いには勝利したが、天界人側の精霊使いによってその精神を剣に封じ込まれた。


 以降ラークシャサは、俺に見つけられるまで呪われた剣として店から店へと流れて行ったのだった。


 俺は半身死霊からいずれ完全な人間に戻る。そうなると、血肉を喰われるこのラークシャサの力をもう使えなくなるだらう。


 その前に俺は、このラークシャサを剣から解放する方法が無いか探すつもりだった。


『······物好きな小僧だ。まあ、期待せずに待つとしよう』


 ラークシャサはそう言った。俺にはそれが、楽しみにしていると聞こえた様な気がした。


 美貌の魔王メルサルは、ハーガットを倒すと言う目的を達成し自分の国へと帰って行った。


 不良勇者アークレイは、当たり前の様にメルサルについて行ってしまった。メルサルの冷たい毒舌を涼しい顔で聞き流し、不敵に笑いながら。


 アークレイは想い人と添い遂げる為に、不毛な努力を続けるようだ。いつかその想いが成就する日が果たして来るのだろうか。


 メルダはビンセント達生き残った一族達と共に、組織の再建に生涯を捧げるようだ。生真面目な彼女なら、きっと実現するだろうと俺は思った。


 狂気王の禁術によって否応無くこの世に呼び戻された史上最高の劇作家ミルドリアルは、俺達とハーガットの戦いの顛末に興味を持ち、新たな作品の参考にすると言っていた。その劇名は「聖女に踏み潰される死霊」になると言っていた。


 ······俺はこれから、世界中を旅するつもりだった。もし俺の村がハーガットに攻められる事が無かったら、俺は小さな村で一生を終えただろう。  


 でも今は、この世界に存在する数多の物をこの瞼に焼き付けたいと思っていた。それは、自分だけの為では無かった。


 俺の脳には、アミルダの血肉も一部となって存在しているのだ。自由に憧れた彼女に、世界の風景を俺の目を通して見せてあげたい。


 それが、アミルダの血肉によって命を繋いだ俺の義務だと思った。いや。義務じゃない。感謝の気持ちを込めてだ。


 ······旅立ちの朝は、生憎の曇り空だった。俺はロッドメン一族の城の城門から、荷を抱えながら歩き出した。


「人間に戻る事を諦めたの?定期的に治癒の呪文を施さないと、アンタは完全な人間になれないわよ」


 背後からの声に、俺は振り返った。気付くと城門の入口の壁に、レファンヌが両腕を組みながら背を預けていた。


 レファンヌは肩迄の長さになった金髪の髪を揺らし俺の顔を見る。あのハーガットの降らした黒い雨によって、レファンヌの長い金髪は所々焦げてしまった。


 金髪の聖女は迷う事無く、その美しく長い金髪の髪を切ってしまった。その時のレファンヌは何処か清々とした表情だった。


 髪と共に、一緒に何かを断ち切ったのだろうか。俺はそんな生意気な事を考えてしまった。


「別に治癒の呪文なら、街の神官だっていいんだろ?」


 俺の質問に、金髪の聖女はため息を漏らした。


「前に言ったでしょう?アンタを人間に戻すには、一流の魔法使いじゃないと駄目だって。私以上の実力者がそう簡単に見つかると思ってんの?」


 人を小馬鹿にした様な言い方に、俺は苦虫を噛み潰した様な顔になる。


「キント。私もアンタの旅に同行してあげるわ。まあ、暇潰しにはなるだろうから」


 レファンヌの意外な言葉に、俺は驚き立ち尽くしてしまう。


「いいのかレファンヌ?ロッドメン一族の再建に協力しなくても」


「······私はもう、どんな鎖にも縛られるのは御免なの。私は生きたい様に生きるわ。一生ね」


 レファンヌは左腕を右手でさすった。その両腕には、かつてレファンヌの魔力を封じる鎖が巻かれていた。


 いや。魔力だけじゃない。レファンヌの多くの物を縛っていた象徴だったのかもしれない。レファンヌはその縛りから解放されたのだ。


 俺がレファンヌに笑みを浮かべていると、金髪の聖女は何かに気付いた様に両目を見開き、早足で俺の前に歩いてくる。


 俺の視界全体にレファンヌの顔が映った。口さえ開かなければ絶世の美女の顔が至近に迫り、俺の心臓は急に慌て始める。


「······キント。アンタ背が伸びたわね?私より少し高くなっているじゃない」


 レファンヌの視線は、俺の頭頂部を見据えていた。


「え?背、背が伸びた?そ、そうかな」


「半身が人間に戻って、死霊の時に止まっていた成長がまた再開されたのね。アンタ生意気にも私を見下ろすつもり?」


 レファンヌはそう言うと、右手で俺の髪の毛をクシャクシャにする。


「そ、そんな事言ったって仕様がないだろ!レファンヌこそ精神の成長が必要なんじゃないか?」


 俺は何故か脈が荒くなり、レファンヌの右手を払い除ける。


「生意気な事を言うじゃないわよ!半端人間の癖に!!」


 憤慨したレファンヌは、俺の首を両腕で締め上げる。苦悶の声を上げる俺を救ってくれたのは、赤毛の少女だった。


 旅装の格好をしたマコムは、頬を赤らめながら俺とレファンヌに近づく。


「あ、あのキントさん!レファンヌさん!私もお二人と御一緒してもいいですか?」


 マコムのこの言葉に、レファンヌの腕の力が一瞬抜けた。俺は素早くレファンヌの拘束から逃れ、赤毛の恩人に笑いかける。


「勿論だよマコム!一緒に行こう!なあレファンヌ?」


「······私はいいけど。ビンセントが寂しがるんじゃない?マコム」


 レファンヌの悪戯っぽい表情とこの台詞に、マコムの顔が更に赤くなる。


「そ、そんな事はありません!あんな乱暴な人、私は好みじゃありませんから!」


 マコムは両手を振って必死に否定する。マコムはマコムで色々とあるのだろう。その時、雲間から太陽の光が地上に射し込み、小さな影が俺達の頭上を通過して行った。


「······鷹?」


 マコムを空を見上げ小さく呟いた。それは、一羽の鷹だった。堂々と翼を広げ、己の思うがまま自由に空を突き進んで行く。


 俺もレファンヌも、その鷹が飛ぶ方角を暫く眺めていた。


「······さあ行くわよ二人共。自由の旅路って奴にね」


 レファンヌは微笑し、長い脚を動かし始めた。数々の強敵を葬って来た凶器ブーツの靴底が地面を削る音が響く。


 俺とマコムは笑顔で頷き合い、レファンヌの後を追う。ふと空に目をやると、鷹はいつの間にか空の彼方へ消えていた。


 

 


 

 


 

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