二重密偵者
「······お前はロッドメン一族の者ではないのか?」
苦痛に声を歪ませ、メルサルは崩れるように倒れる。その光景に、俺達は全員見動き一つ出来なかった。
俺の知っている優男は、血塗れの短剣を握りながら俯いていた。
「······ハーガット側につく。それがアンタの出した答えってわけ?カミング」
ただ一人。レファンヌだけが声を発し同族の背信者に問いかけた。カミングはいつもの陽気さを全て捨て去ったように、物憂げな瞳をこちらに向けた。
「······ごめんよ。レファンヌ。ごめんよ。皆。随分迷ったんだけどね。世界を一度まっさらにする。それがこの世界から争いを無くす唯一の方法だと僕は選んだんだ」
カミングは弱々しくそう言った。以前、カミングは言った。二重密偵をしていると、どちらの組織の自分が本来の自分なのか分からなくなると。
ハーガットの組織に身を置いている内に、カミングはヒズケイト達と同じ考えを持つようになったとでも言うのだろうか?
「······おお。一人の苦悩する若者の葛藤!それが生み出す裏切りと憎しみ!魔王メルサルはその第一の犠牲者となった。これだ!人の業が織り成す愛憎劇!余の劇には必要不可欠な要素だ!!」
既に発狂していると思われるハーガットが狂喜しながら叫んだ。狂気王の前に、ロコモ大尉とカミングが並び立つ。
「······そんな。カミングさんがハーガット軍に与したと言うんですか?」
マコムが悲痛な表情で優男を見る。一方、恋慕を向ける相手を刺されたアークレイは、鬼の形相で駆け出していた。
「お前がハーガットにつくかどうかは関係ない。俺のメルサルに手を出した時点で、テメェのあの世行きは確定だ」
アークレイはカミングに不吉な死刑宣告を言い渡し、右手に握った剣を構える。
「レファンヌはメルサルよ治療を!俺達も行くぞマコム!!」
俺は叫びながらアークレイの後を追う。マコムも一瞬遅れたが走り出す。カミングの裏切りは予想外の事態だったが、あと一歩でハーガットを倒せる所まで来たんだ。
カミングとロコモ大尉の後ろには、呪文を封じられた非力な狂気王がその身をさらけ出している!
ロコモ大尉が弓矢を連射して放つ。アークレイの眉間を正確に捉えた鋭い矢を、不良勇者は面倒そうに盾で弾く。
「······お前達は俺を本気で怒らせた。それを悔いて死んで行け」
アークレイはそう言うと剣を空に向けた。その途端に、青空に黒い雲が突如として発生した。いや。そんな規模じゃない。空一面が雲間に覆われて行く。
「古代呪文「天空の雷撃」」
アークレイが剣を振り下ろすと、雲から巨大な光が落ちてきた。光はハーガット達の元へ落ちた瞬間、俺は眩しさの余り目を塞いだ。
爆音が闘技場全体を包み込み、振動で立つのもやっとな程だった。ア、アークレイは空から雷を落としたのか。
西風が粉塵が運んで行くと、ハーガット達が立っていた場所も見えてきた。あの雷撃で無事な訳が無い。狂気王は死んだのか?
「キ、キントさん。あれは何でしょうか?」
マコムが指差す方角を俺も見た。最初に見たのは茶色い背中だった。大きな茶色い背中が地面に付しているように見えた。
その背中は茶色い毛が焼き焦げ、深い傷を負っているように見えた。そしてそれは動き出した。
両手を地に立て、畳んでいた両足で立ち上がった。それは、五メートルはあろうかと思われる巨体だった。
全身は獣のような茶色い毛で覆われ、頭部は長い黒髪を生やしていた。そしてその顔は、鋭い牙が口からはみ出し、太い鼻の上には四つの目が眼球を動かしている。
な、何だこの四つ目の化物は!?そしてこの化物の足元にハーガット。カミング。ロコモ大尉が居た。
この化物が盾となって、アークレイの雷撃からハーガット達を守ったのか!?
······いや。違う。もう一人別の人間がハーガットの後ろに立っている。長いトンガリ帽子を被り、黒髭を生やした五十代半ばの男だ。
黒髭の男は黒い礼服の肩の埃を手で払っていた。な、なんだこの帽子の男は?
「紹介しよう。ロッドメン一族達よ。この逞しい体躯を誇る戦士の名はラークシャサ。かつて神喰いと呼ばれた英雄だ。そしてこの帽子の紳士はミルドリアル。史上最高の劇作家と誉れ高い余の尊敬する逸材だ」
······ラークシャサ?ミルドリアル?それは、以前ロッドメン一族の城での会議でカミングが口にした名だった。
ハーガットは七冊目の禁術書を手に入れ、この二人を甦らせる事が目的だと。
「······キント君。僕は会議で嘘は言っていないよ。ただハーガットは最後の禁術書を手に入れる前に到達したんだ。完全に死人を甦らせる術をね」
カミングが頬の埃を拭いながら俺の疑問に答えた。か、完全に死人を甦らせる術?
「······カミングの言う通りだ半身死霊の少年よ。当初余はガレント国が保有する七冊目の禁術書を手に入れるつもりだった。しかし余は考えた。禁術を極め。七冊の禁術書を遺したザッカートスを模倣するだけでは彼を超えたことにはならない。余はザッカートスの遺した謎掛けを看破し、この通り完全に死人を復活させる事に成功したのだ」
ハーガットの言葉に、俺はいよいよ世界が崩壊する足音が聞こえたような気がした。それは、一人の人間の分を超えた神の所業だった。
「······だかな。一つだけ問題点が残ったのだ」
ハーガットは悲しそうな表情でラークシャサを見上げた。
「余の命令には従うのだが、この神喰いの英雄には心が抜け落ちでいるのだ。そこで余は思った。半身死霊の少年よ。そなたが持つラークシャサなる剣に神喰いの英雄の精神が宿っているのではないかとな」
ハーガットは俺の持つ剣に怪しい視線を送る。それは、獲物を狙う獰猛な狩者の物だった。
「半身死霊の少年よ。その剣を余に渡して欲しい。さすればこの神喰いの英雄は完全な戦士に戻るだろう」
ハーガットがそう言うと、ミルドリアルと呼ばれた男がため息混じりに口を開いた。
「······ハーガットなる名の者よ。私は荒っぽい事は無縁な人間だ。離れた場所で見物させて貰うぞ」
「おおミルドリアル。是非そうしてくれ。そして余の劇の感想を後に教えてくれ。余の劇がそなたの感性をどこまでくすぐるか興味は尽きないのだ」
ハーガットが愛想よくミルドリアルに答えた。史上最高の劇作家と呼ばれた男は「私はあくまで作り物の世界の人間なのに」とため息を漏らし、血生臭い戦場を恐ろしそうに見ながら後ろに歩いて行く。
「······狂気王は人間の分を笑いながら超えてしまった。奴を仕留めないと本当にこの世は滅びるぞ」
レファンヌに治療を受けたメルサルが立ち上がり、機嫌が良さそうにしているハーガットを睨みつける。
「さあ。再開しよう。余の生涯最高の。そして最終劇の続きを」
ハーガットは両手を広げ、狂気に満ちた表情を見せた。奴の定まらない視線の先がどこを捉えていたのか。
俺にはそれが、破滅の世界を見ているとしか思えなかった。




