5 過去に何かありました?
「はっくしょんっ!……ぐず。誰か噂してるのかな?」
弓木は、辺りを見回して、誰もいないのを確認してから、建物の中へと入っていった。
「こんにちは、取り次ぎをお願いしたいのだけど」
「はい。ではお名前をお願いします」
受付の女性は、弓木を見て、事務的に答えた。
「僕は弓木と言います。刑事課の課長、名前は確か……」
「かしこまりました。少しお待ちください」
そう言って受付の女性は、手元の電話で内線をかける。
「課長に取り次ぎを、名前は弓木さんとおっしゃる方で……。はい。わかりました」
受話器を置いた女性は、弓木に向かって右側にあるソファを勧めた。
「もう少しで参りますので、あのソファにかけてお待ちください」
「ありがとう」
礼を言って、ソファに座る。
数分して、エレベーターから一人の男性が現われた。
スーツをしっかり着こなし、どこかのビジネスマンのように颯爽と歩いてくる。
「よう、弓木!久しぶり!」
「……」
男性の顔を見るたび、弓木の眉間のシワが増えた。
「そんな嫌そうな顔するなよ。久しぶりに会う同僚に向かって」
「俺はもう刑事じゃない」
「まあ、とにかくこっち」
「……ちっ」
舌打ちをして、弓木は男性の後についていった。
連れてこられたのは、応接室のような場所だった。
「それで?あんな刑事寄越して、何を企んでいるんだ」
「あんなって、清水のことか?素直ないい青年だろう?」
「もしかして、お前の案なのか、あの女装」
「そうだぞ。お前が警察嫌いだから、依頼内容も容姿も偽って行けって指示したからな」
「……可哀想に」
弓木は清水に同情した。
「仕方ないだろう。こうでもしないと、お前と連絡なんて取れないんだから」
「俺はとる必要性を感じない」
「そう言うなって。あの事件のあと、お前が警察を辞めたこと、俺は今でも……」
「洋介、その話をするなら俺は、十倍の請求をして帰るぞ」
部屋の空気が一段と下がる。
「っ!……悪かった」
「ふん。それで?」
「今回依頼した事件、裏がありそうな気がして、調査を頼みたい」
「非公式に、だろ?」
「あぁ」
「また、手柄はひとりじめか?」
「そんな事はしないさ。連絡には清水をつける」
「ああ、あの不憫な刑事か」
五十嵐洋介四十五歳。刑事課課長は、にやりと笑う。
「素直すぎるのが些か玉に瑕、だけどな」
弓木の表情が曇る。だけどそれは一瞬で、すぐにふて腐れた顔に戻る。
「費用についてはいつも通り。口座に振り込んでおいてくれ。金額は……」
「了解。じゃあよろしく頼む」
「はぁ。めんどくさい」
椅子から立ち上がり、弓木は洋介と部屋を出た。
建物から出て、弓木は空を見上げる。
「はぁ。甘い物、食べたいな」
呟いて、事務所に帰るため、駅に向かって歩き出した。
☆ ☆ ☆
去って行く弓木の後ろ姿を眺めながら、洋介はため息を吐いた。
「課長。こんなとろこで何してるんですか?」
後ろから声をかけてきたのは、女装から普段のスーツに着替えた、清水だった。
「なんだ、もう着替えたのか」
「当たり前じゃないですかっ!あんな格好で署に戻ってくるわけないでしょ!」
「そうだな」
「課長?」
いつものふてぶてしい態度が、大人しいのが気持ち悪くて、清水は洋介の顔を覗き込んだ。
「何だ?俺に惚れたか?」
ニヤリと笑った顔に、からかわれたと気づいて、清水は勢いよくそっぽを向いた。
「ふざけないでください!」
「まあ冗談はそのくらいにして、お前、今度から弓木探偵事務所の窓口だから」
「はい?」
「弓木から上がってくる情報は、お前が受け取れ」
「それって、違法捜査じゃないんですか?」
「違うな。一般市民からの情報提供だ」
「……お金を払って、ですか?」
洋介は、清水の頭に手を乗せた。
「事件によったら、報酬を出してでも情報提供を呼びかけるときもある。それと一緒だ」
「そんなの、詭弁です」
「そうだな。だけどその分、犯人が捕まる可能性があがるなら、俺はそうする」
「それが、課長の正義ですか?」
「……。まあ、な」
納得いかないと、顔に書いてあるが、清水はそれ以上何も言わず、コクりと頷いた。
若いな、と洋介は清水に対して思った。そして、その若さと、自前の正義を持った人物を思い出し、洋介は弓木が去った後に視線を向ける。
「あいつも、吹っ切れたらいいのにな……」
「なにか言いました?」
「いや、何も。さて、捜査会議始まるぞ」
「はい」
洋介と清水は、並んでエレベーターに乗り込んだ。
いろいろ難しいですね




