1 始まり。
探偵モノ、突っ込みどころ満載ですが、よろしくお願いします。
愛とは、何なのだろうか……。
わからなくなって、茫然とする。
「う、ぁぁ……」
身体の下で呻くモノに視線を向け、手に持ったナイフを深く押し込む。
「が、ぁっ!……っ」
ナイフが肉を裂いて、身体に埋まっていく感覚が、手に伝わる。
その感覚に、何の感情の揺らぎもない。
ただ、与えられた愛を、同じだけ返しているだけ。
腕に、手の甲に、腹に、太ももに、ふくらはぎに。
与えられた傷を、返していく、ただそれだけ。
馬乗りになった身体の下で呻く、恋人だったモノの身体に。
ナイフを刺しながら、ふと、考える。
何を間違えたのだろう。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
だけど自問しても、答えが出ない。
ただ、身体の下で恋人だったモノが震えるその振動を、不快に感じた。
☆ ☆ ☆
台風が過ぎた後の空は、いつもより澄んでいるように感じて好きだと思う。
青空を見上げながら、弓木旭土は、ぼんやりと考えながら歩いていた。
目の前に迫る電柱に気づくことなく。
「いぎゃっ!」
思い切り全身で電柱にぶつかり、その場にしゃがみ込む。
「いってぇ……」
「弓木さん!何やってるんですか!?」
弓木の声を聞きつけ、少し前を歩いていた助手の八重垣志夫が、蹲る弓木の元へ駆けつける。
「いやぁ、ははは」
涙目になった弓木は、八重垣を見上げ、照れ隠しに笑う。
八重垣は苦笑して、弓木に手を差し伸べた。
「本当に、気をつけてくださいよ」
「あぁ、悪いね」
八重垣の手を借りて立ち上がった弓木は、大きく伸びをして、少し先にある建物へと視線を向けた。
「さて、どんな現場なのかな」
「あんまりスプラッタなのは、嫌なんですけどね」
建物の周りには、パトカーと野次馬が集まっていた。
線路沿いにある、二階建てのハイツ。
その二階部分、階段を上って左奥にある一室の入り口に、ブルーシートが貼られ、数人の警官が立っている。
「じゃぁ、行ってみますか」
「はい」
弓木旭土、三十五歳。職業、探偵。
八重垣志夫、二十六歳。職業、弓木探偵事務所助手。
二人は、奇妙な依頼を受けてこの場に来た。
それは依頼というより、招待に近いものだったが。
☆ ☆ ☆
数時間前。
「弓木さんー。今日も依頼ありませんね」
「そうだねー。台風の後だからねー」
弓木が所長を務める探偵事務所は、雑居ビルの三階にある。
その知名度は低く、たまに不倫調査や捜し物があるのみで、決して繁盛していなかった。
部屋は、事務机のセットが四つ、応接セットが一つ、壁際にはキャビネットが二つ並び、窓は大きめだが、今はブラインドが降りている。水回りは給湯室とトイレがついている。
所員は三人。
所長の弓木と、助手の八重垣。そして事務の大軒健哉二十歳。
「弓木さん。依頼がないのは台風は関係ありませんよ」
「健哉、本当のことだとしても、口に出して言うモノではありません」
「あ、すみません。八重垣さん」
「君たちねぇ、はぁー。どうやって知名度を上げればいいのか……」
二人の会話を聞きながら、弓木はため息を吐きながら椅子に凭れた。
「知名度を上げるのは、やっぱりテレビとかに取り上げられる事件を解決することじゃないですか?」
「テレビ、ねぇ……」
それだけでは知名度は上がらないだろうと思いながら、八重垣は新聞を弓木に差し出した。
「今話題になっているのは、この事件ですね」
新聞の一面に載っているのは、議員の贈収賄事件。
弓木の眉間にシワが寄った。
「こんな事件、僕たちでは扱えないよ」
「そこじゃないですよ。こっちです」
八重垣は、一面の下の方を指さした。
そこには、あるハイツの一室で、男女の刺殺事件が記載されていた。
「痴情のもつれか、それとも……」
新聞を覗き込んだ健哉が、文章を読む。
事件発覚は、一昨日の夜中。
発見したのは隣の部屋の住人。
深夜に帰宅した隣人は、ドアの下から漏れていた赤い水を見て、大家に連絡。
大家がドアを開けると、部屋の中は浴室からの水と血液で、血の海と表現しても過言ではなかったらしい。
男性の身体には数十カ所の刺し傷、女性は首を切られていたという。
「隣人の話では、男性は度々女性に暴力を振るっていて、警察では女性が男性を刺して、自分も自殺を図った可能性があるとみて、捜査をしている」
「怖いなぁ」
全く怖がっていない声と顔で、弓木が言った。
「あぁー、想像しただけで鳥肌が……っ」
対して八重垣は青い顔をして、自分の二の腕をさすっていた。
「八重垣さん、スプラッタとか駄目ですものね」
「そうですよ」
「じゃあどうしてこの事件を選んだの?」
「話題になりそうだと思ったからですよ」
呆れた弓木の視線を、八重垣は真剣な目で見返した。
「話題、ねぇ……」
あまり乗り気じゃない弓木に、健哉は首を傾げた。
「どうしたんですか?」
弓木はそれには答えず、新聞を見ていた視線を入り口のドアへ向けた。
同じタイミングで、インターホンが鳴った。
「久しぶりのお客様です」
健哉は嬉しそうにドアホンで対応する。弓木と八重垣は、無言で視線を合わせた。
「いらっしゃいませ。どのようなご依頼ですか?」
事務所にやってきたのは、大人しそうな女性だった。長袖の、淡い色のワンピースに、同系のパンプス。背中までの髪は首の後ろで、一括りに結んでいる。
表情は陰鬱だが、容姿は美人だ。
応接セットに、弓木は女性と対面に座る。八重垣はお茶を入れに給湯室へ向かう。健哉は書類を整理するため事務机に戻る。
女性は、弓木と視線を合わせることなく話し出した。
「実は、失踪した妹を探していただきたいのです」
「妹さん、ですか」
「はい。この子です」
そう言って女性は一枚の写真を机に置いた。そこには一人の少女が笑顔で写っていた。
「これ、いつ頃の写真ですか?」
弓木の質問に、女性の指先が一瞬震えた。
「古い写真ですみません。これは高校の頃です。両親が幼い頃に亡くなり、私が働いて妹と二人で細々と暮らしていたのですが、妹が高校を卒業したら働くと言って、私は大学に進んで欲しかったのでそう言うと口論になってしまって、妹は家から飛び出してしまったのです。それ以後、探しているのですが見つからず、探偵さんにお願いしようと伺いました」
「警察には相談しなかったのですか?」
「相談しました。だけど未だに何も音沙汰がなくて、もう心配で……」
「そうですか……」
弓木は、ちらりと目の前に座る女性を盗み見た。俯いている女性は、鞄からハンカチを取り出し、目元を押さえる。それは、泣いている涙を拭いているようにも見えた。
「それはさぞ心配でしょうね。心痛お察ししますよ」
八重垣がお茶を、テーブルに置きながら言った。
「あ、ありがとうございます」
女性は一瞬びっくりしたが、取り繕うように口角を上げた。
「驚かせてしまい、申し訳ありません。では失礼しました」
お辞儀をして、八重垣は給湯室へと戻っていった。
「うちの所員がすみません。どうぞ召し上がってください」
「あ、はい」
お茶を勧めるが、女性が湯飲みに手を伸ばすことはなかった。
「わかりました。その依頼、受けさせていただきます」
「え、あ、ありがとうございます……」
「それで、依頼料なんですが」
そう言うと、健哉がニコニコしながらファイルを持ってきた。
「あぁ、ありがとう。えっと、人捜しなので……」
ファイルを健哉から受け取り、弓木はページをめくる。
何枚かめくったところで手を止めて、女性に見えるようにテーブルに置いた。
「こちらですね。まず初期費用に十万。一年経っても見つからない場合は、その半額をお返しします。そのときに再度、捜索をご依頼の場合は、追加で十万お支払いいただきます。それでよろしいでしょうか?」
書類を見ていた女性は、少し考えてから、頷いた。
「はい。それでお願いします」
「わかりました。ではこちらの契約書にお名前をお願いします」
健哉がまた、ファイルを持ってきて、弓木に手渡す。弓木はその中から一枚抜き取り、ペンと一緒に女性に渡した。
女性は、ペンを受け取り、自署欄に署名する。そして用紙とペンを弓木に返した。
「はい。確かに。初期費用は今、頂戴できますか?後日でもいいですが」
「では、後日でお願いします。今は手持ちがなくて……」
「そうですか、では後日頂戴します」
「はい。では私はこれで……」
女性がソファから立ち上がろうとすると、弓木は口元に笑みを浮かべて言った。
「ただ、その依頼、もう達成しておりますがね」
「は?」
弓木の言葉に、女性は怪訝な声で応えた。
弓木は真っ直ぐ女性の顔を見て、笑顔を向ける。
「だってこの写真、あなたですよね?」
「っ!」
女性は冷や汗を隠して、弓木を凝視した。
「それは、私と妹は似ているとよく言われていましたので、それで勘違いされているのでは?」
「うーん。確かに、似ている兄弟姉妹はたくさんいるでしょうね。だけど完全に似ている、とはならないんですよ、実際は。本当に微かなんですがね、じっくり見ると違いが見えてくるんです」
そう言って、女性の顔を見つめる。
「特に、男女ではね」
「っ!」
目に見えて女性が反応した。
「女性の格好をしていますが、あなた、男性、ですよね」
確信を込めた声に、女性、もとい依頼人は、がっくりと肩を落としてソファに座り込んだ。
「いつから、わかっていた……」
「最初から、ですかね。事務所に入ってこられたとき、きれいな歩き方をしていた。そこから疑問が浮かびました。ソファに座るとき、話している口調。髪はウィッグですよね。俯いていたのは正面を見られると男だとバレてしまうからでしょうか。そしてこの写真」
「はぁー。あのくそ上司……」
「はい?何か?」
「何でもない。改めて自己紹介する。俺は清水優樹。職業は警察だ」
そう言って、清水は鞄から警察手帳を取り出して、弓木に見せた。
「ほう。警察の方でしたか。それで、私ども探偵事務所に、刑事の方がなんの用でしょう?」
「それは、君の方がよくわかっているのではないか?」
「わかりたくありませんね」
先ほどの笑顔とは打って変わって、弓木は、冷笑を浮かべる。
「今日のところは、これで失礼する。だが君は、きっとここへ来ると思うが」
ため息を吐いて、清水は一枚のメモをテーブルに置いて、事務所を出て行った。
テーブルに置かれた紙を見つめて、弓木は微動だにしない。
「弓木さん……」
八重垣が気遣わしげに声をかける。
「はぁ。面倒な」
弓木は一言口にして、ソファから立ち上がる。テーブルの上のメモを手に持って。
デスクに腰掛けて、八重垣と健哉に見えるようにメモを広げた。
「依頼だけど、とても面倒な依頼だよ。それでもやるかい?」
「もちろんです」
「任せてください!」
八重垣も健哉も、笑顔で答えた。弓木は苦笑を浮かべ、頷いた。
「わかった。じゃあよろしく頼むよ」
「はい!」
メモには住所が書かれていた。
弓木は一般的に無名だ。だが、場所によっては有名だった。
それは、非公式に迷宮入りしそうな事件を、依頼として請け負う。
それが、弓木探偵事務所の裏の顔だった。
「早速だが、この住所はおそらく、さっき話していた男女の刺殺事件の現場だろうね」
「では早速向かいますか?」
「そうだね。早いほうがいい。健哉くん、付近の防犯カメラの解析をお願いしてもいいかな?」
「はい。任せてください!」
「八重垣くん、現場に一緒に来てもらえるかな?」
「はい」
「うん。じゃあ行こうか」
始まりました。




